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第3話 楽しいが一番①
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「というわけで、今日から代理店長兼居候仲間としてよろしくお願いします」
六畳一間に大きなボストンバッグを抱えてきた私を、居候としては先輩にあたる和泉さんがふんと鼻を鳴らして眺める。
「ボサボサ頭もさっぱりしたな」
「ずっと髪も切ってなかったので、これを機にさっぱりさせようかと」
こう、とやることが決まったせいか随分と肩の荷が軽くなったような気がする。久しぶりにトリートメントまでしてもらった髪は、いつかの艶を少しだけ取り戻していた。
どこか晴れ晴れとした心地で和泉さんを見据えれば、彼も満足げに笑う。
「よし、じゃあ早速今日も店開けるか!」
たい焼き屋こちょうは、祖父が入院してからほぼ和泉さんの天下となっていた。そもそも店のことをほとんど知らない私が、数年以上ここで働いている和泉さんに太刀打ちできるはずもないのだけれど。
しかし、祖父に無許可のまま出している四九〇円の高級たい焼きは、すっかりこちょうのメニューとして並ぶようになってしまった。初日の盛況具合は今でも思い出せるほどだったのだが……──
「今日も売れませんね……」
あの盛況が夢だったかのように、その後は一日に数個売れるか売れないか、という明らかな低迷を見せている。定番メニューである一二〇円のたい焼きが今までと同様の売れ行きなのが救いだった。
「でもこれじゃあ、今日の晩ご飯もかぼちゃと小豆のいとこ煮ですね」
宇迦さんからもらって作った絶品粒あんも、売れなければ傷んでしまう前に自分たちで食べてしまうしかなかった。そのため、朝昼晩の食事に小豆を使った料理が最近の食卓の主役となってしまっている。
「煮物は昨日も食っただろ」
「じゃあ、野菜と小豆のチキンカレーとか?」
「それは一昨日食った」
自分で作らないくせにそういう文句だけはいっちょ前だ。さすがは神様。舌は肥えているらしい。
「何で売れねぇんだろうな。こんなに美味いのに」
「美味しすぎると逆にリピーターができない、って話は聞いたことがあります」
「は? 何でだよ」
和泉さんは意味が分からないと眉間に深い皺を寄せた。瞳の色を隠すために薄い色の入った眼鏡をしているが、整った顔の造形をしている彼にそんなすごむような顔をされると妙な威圧感がある。
「美味けりゃ美味いだけいいだろ」
「それも間違ってないとは思いますが……特別感が出ちゃうのかもしれないです。値段も安いわけじゃないので、何かあった時のご褒美枠っていうか。その点、一二〇円のたい焼きはお手軽だし、美味しすぎない美味しさがちょっと甘いものを食べて帰りたい時、気軽に手が出るのかも。こういう商店街のお店ってご新規さんより、リピーターさん頼みなところがありますし」
私の見解に和泉さんは腕を組んだまま、その長い身長ごと不服そうに首を傾げる。どこまでその身体は曲がるのかを見守っていると、今度は逆方向にぐいんと折れた。
「じゃあ何か? もう少しまずくしろってことか?」
「そういうことじゃないような……」
そもそも、やはり値段の高さはおいそれと毎日買うようなお菓子ではなくなってしまっているような気がする。
そうなると、新規顧客の獲得を目指さなければならないのだろうが、この商店街は基本的に近隣住民や学生街からの若い子たちが行き交う通りだ。何かしらSNSなどで発信して、行動力のある若い人の関心を引ければ、可能性もあるのかもしれないが。
「見た目は普通のたい焼きなんだよなぁ……」
要するに、SNS向きではない。
「これが普通だと!? ちゃんと見てんのか、孫。この芸術的なまでの皮の焼き加減! 割ったら一粒一粒が輝く粒あん! 天下一品だろ!」
「そんなの、通の人にしか分かりませんよ……」
「何ィっ!?」
和泉さんの言いたいことも分かる。彼の華麗な手さばきから生まれるたい焼きは、確かに輝いているようにすら見える出来映えだ。
食べればその皮のパリッとした触感の後に、あんことの間で膨らんだ生地の柔らかさがやってきて、これ以上ない触感は彼の言うように天下一品だ。
でもそれが、SNSで一体どれくらい伝わるのか……。
「インフルエンサーにでも紹介してもらえれば早いんですけどね」
「いん、ふる……? なんだ、急に病気の話か? 尭も予防接種がどうとかって言ってたな」
「インフルエンザじゃないですよ、インフルエンサーです。影響力のある人や物のことを言うんですよ」
「影響力のある……」
私の言葉を口の中でぶつぶつと繰り返し、やがてはっとしたように和泉さんは顔を上げる。
「要するに神、つまり俺だな!」
「は……?」
六畳一間に大きなボストンバッグを抱えてきた私を、居候としては先輩にあたる和泉さんがふんと鼻を鳴らして眺める。
「ボサボサ頭もさっぱりしたな」
「ずっと髪も切ってなかったので、これを機にさっぱりさせようかと」
こう、とやることが決まったせいか随分と肩の荷が軽くなったような気がする。久しぶりにトリートメントまでしてもらった髪は、いつかの艶を少しだけ取り戻していた。
どこか晴れ晴れとした心地で和泉さんを見据えれば、彼も満足げに笑う。
「よし、じゃあ早速今日も店開けるか!」
たい焼き屋こちょうは、祖父が入院してからほぼ和泉さんの天下となっていた。そもそも店のことをほとんど知らない私が、数年以上ここで働いている和泉さんに太刀打ちできるはずもないのだけれど。
しかし、祖父に無許可のまま出している四九〇円の高級たい焼きは、すっかりこちょうのメニューとして並ぶようになってしまった。初日の盛況具合は今でも思い出せるほどだったのだが……──
「今日も売れませんね……」
あの盛況が夢だったかのように、その後は一日に数個売れるか売れないか、という明らかな低迷を見せている。定番メニューである一二〇円のたい焼きが今までと同様の売れ行きなのが救いだった。
「でもこれじゃあ、今日の晩ご飯もかぼちゃと小豆のいとこ煮ですね」
宇迦さんからもらって作った絶品粒あんも、売れなければ傷んでしまう前に自分たちで食べてしまうしかなかった。そのため、朝昼晩の食事に小豆を使った料理が最近の食卓の主役となってしまっている。
「煮物は昨日も食っただろ」
「じゃあ、野菜と小豆のチキンカレーとか?」
「それは一昨日食った」
自分で作らないくせにそういう文句だけはいっちょ前だ。さすがは神様。舌は肥えているらしい。
「何で売れねぇんだろうな。こんなに美味いのに」
「美味しすぎると逆にリピーターができない、って話は聞いたことがあります」
「は? 何でだよ」
和泉さんは意味が分からないと眉間に深い皺を寄せた。瞳の色を隠すために薄い色の入った眼鏡をしているが、整った顔の造形をしている彼にそんなすごむような顔をされると妙な威圧感がある。
「美味けりゃ美味いだけいいだろ」
「それも間違ってないとは思いますが……特別感が出ちゃうのかもしれないです。値段も安いわけじゃないので、何かあった時のご褒美枠っていうか。その点、一二〇円のたい焼きはお手軽だし、美味しすぎない美味しさがちょっと甘いものを食べて帰りたい時、気軽に手が出るのかも。こういう商店街のお店ってご新規さんより、リピーターさん頼みなところがありますし」
私の見解に和泉さんは腕を組んだまま、その長い身長ごと不服そうに首を傾げる。どこまでその身体は曲がるのかを見守っていると、今度は逆方向にぐいんと折れた。
「じゃあ何か? もう少しまずくしろってことか?」
「そういうことじゃないような……」
そもそも、やはり値段の高さはおいそれと毎日買うようなお菓子ではなくなってしまっているような気がする。
そうなると、新規顧客の獲得を目指さなければならないのだろうが、この商店街は基本的に近隣住民や学生街からの若い子たちが行き交う通りだ。何かしらSNSなどで発信して、行動力のある若い人の関心を引ければ、可能性もあるのかもしれないが。
「見た目は普通のたい焼きなんだよなぁ……」
要するに、SNS向きではない。
「これが普通だと!? ちゃんと見てんのか、孫。この芸術的なまでの皮の焼き加減! 割ったら一粒一粒が輝く粒あん! 天下一品だろ!」
「そんなの、通の人にしか分かりませんよ……」
「何ィっ!?」
和泉さんの言いたいことも分かる。彼の華麗な手さばきから生まれるたい焼きは、確かに輝いているようにすら見える出来映えだ。
食べればその皮のパリッとした触感の後に、あんことの間で膨らんだ生地の柔らかさがやってきて、これ以上ない触感は彼の言うように天下一品だ。
でもそれが、SNSで一体どれくらい伝わるのか……。
「インフルエンサーにでも紹介してもらえれば早いんですけどね」
「いん、ふる……? なんだ、急に病気の話か? 尭も予防接種がどうとかって言ってたな」
「インフルエンザじゃないですよ、インフルエンサーです。影響力のある人や物のことを言うんですよ」
「影響力のある……」
私の言葉を口の中でぶつぶつと繰り返し、やがてはっとしたように和泉さんは顔を上げる。
「要するに神、つまり俺だな!」
「は……?」
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