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第2話 和泉の社④
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好奇心もあり、宇迦さんに連れられるままその場所へとやってきた。
「この先だよ」
「えっ、ここって……」
宇迦さんに案内された場所は、たい焼き屋こちょうの裏にある路地裏だった。しかし、宇迦さんが指差す先には二階にある祖父の家へ続く階段しか見えない。訝し気な視線を向けてしまう私に、宇迦さんは階段の横にある人がひとりようやく通れるくらいの隙間へと身体を滑らせた。
「こっちだよ」
もしや、どこかのファンタジー漫画よろしく、この場所が神様の世界に続いていたりするのだろうか。もし、そんな謎の空間に行ってしまったら、ちゃんと私は戻ってこられるのだろうか。
でも、怖いもの見たさもあり、足を踏み出した。その先に広がるのは、めくるめく妖と異形たちの世界……
なんて妄想は、全くの杞憂で終わった。
「え……?」
通路の先は、日の差さないただの袋小路だった。湿った空気の吹き溜まるそこで、慎ましやかに佇む社。
まるで階段で隠されるように、社は建物の壁に埋め込まれていた。
おそらく奥行きも手を差し込める程度しかないであろう、小さく小さくまとめられた神社。申し訳程度の鳥居が無ければ、まるで家にある仏壇のようだ。
「元はね、もっと大きな神社だったんだよ」
物悲しささえ感じさせる社に言葉を失くす私の隣で、宇迦さんは静かに言葉を紡ぐ。
「昔、この辺りの村はよく日照り続きで飢饉になることが多くてね。でも、和泉と雷神の間でいろいろあって、川が出来たんだ。そうして川という恵を得た村人たちに祀られたのが、龍神である和泉なんだよ」
「和泉さんって、龍神さまなんですか……というか、雷神さまといろいろのくだりも気になるんですけど」
「そこはまぁ、そのうち和泉から聞いたらいいよ。でも、都市開発っていうのかな? それで川は埋め立てられて街が広がって、和泉への信仰もどんどん薄れていって……ここに構えていた神社も、どうにかこうして残される程度にしか認知されていなくてね」
川のことも神社のことも、何も知らなかった。
和泉さんのことは知っていたけれど、神様だということも昨日知ったばかりだったし、そんな彼の神社がこんな近くにあることにも気付いていなかった。
ふと、和泉さんが首から提げていた手作りの賽銭箱を思い出す。
ああでもして持ち歩かなければ、こんな寂しい場所にある神社に一体誰が賽銭を投げてくれるのだろう。
「信仰がなくなると、どうなるんですか?」
「……信仰あってこその、神だよ。信仰がなくなれば力も弱くなるし、存在できなくなる。八百万と言われているけれど、明らかに神の数は減ってきてるからね」
社会人になって仕事に追われ続けていた頃、唯一の休みと言ってもいい正月は疲れ切って初詣すら行かずに寝正月を過ごしていた。そんな自分を思い出して、つい顔を俯けてしまう。
「あぁ、ごめん。責めてるわけではないんだよ。神が必要とされないくらい、きっと今は平和なんだ。寂しいけれど、何事も永遠じゃないよね」
和泉さんの神社を見つめながら、宇迦さんは朗らかなまま呟く。ただ達観しているというよりは、まるで大木のようにどっしりとその事実を受け止めるかのようだった。
「でも……」
「あーーー!!!」
何かを言いかけた宇迦さんの声は叫び声に掻き消される。
声の方を振り返れば、階段の隙間から私たちを見つけた和泉さんが、慌てて隙間に身体を捻じ込んできた。
「宇迦、おまっ……! 何勝手に人の社見せてんだよ!」
「別に隠すこともないだろう? 尭さんが手入れしてくれてるおかげで、綺麗な社じゃないか」
「そういうことじゃねーんだよ!」
顔を赤くした和泉さんがやんやと宇迦さんに噛みつくが、当の宇迦さんは涼しい顔でそれを受け流している。暖簾に腕押しと気付いたらしい和泉さんは、やがて私をきっと睨みつけた。
「どうせ、しょぼいとか思ってんだろ」
「そんなこと……」
「それとも何か? どうせ消える運命にあるくせに、賽銭箱持って人間の真似事までして働いてる俺が滑稽か?」
自嘲するように唇を歪めた和泉さんに、何と声をかけたらいいのか分からない。神様だなんだ、と言っていた尊大な彼とは違う、その虚ろな表情にただ押し黙った。
「俺は、……っ」
喋りかけて、苦しげに息を吐いた和泉さんはよろめくように近くの壁へと手をついた。気遣うように宇迦さんが手を伸ばすが、和泉さんはそれを拒むように弾く。
「俺は、絶対に消えてやらねー……信仰も、畏怖も、なくていい。どんな形であろうと、俺は……」
胸元に垂れ下がる段ボールの賽銭箱をがっちりと掴んで、和泉さんはよろよろと店に戻っていく。呆然とその背を見送る私の横で、宇迦さんは小さく溜息を零した。
「病院の前での質問だけど、和泉は社に戻りたくないわけじゃないと思うよ」
宇迦さんを見上げると、彼は和泉さんが消えていった方に顔を向けたまま、変わらぬ表情で呟いた。
「正確には、戻れないんだ。今の術を解いてしまえば、きっと和泉にはもう、あの姿に変化する力は残っていないから」
「え……」
信仰があってこその神。この暗がりに取り残された和泉さんの神社には今、どれだけの信仰が残されているのだろう。
冷たい風は、容赦なく路地裏に吹き込んでくる。小さな神社の木枠が、カタカタと鳴いていた。
「この先だよ」
「えっ、ここって……」
宇迦さんに案内された場所は、たい焼き屋こちょうの裏にある路地裏だった。しかし、宇迦さんが指差す先には二階にある祖父の家へ続く階段しか見えない。訝し気な視線を向けてしまう私に、宇迦さんは階段の横にある人がひとりようやく通れるくらいの隙間へと身体を滑らせた。
「こっちだよ」
もしや、どこかのファンタジー漫画よろしく、この場所が神様の世界に続いていたりするのだろうか。もし、そんな謎の空間に行ってしまったら、ちゃんと私は戻ってこられるのだろうか。
でも、怖いもの見たさもあり、足を踏み出した。その先に広がるのは、めくるめく妖と異形たちの世界……
なんて妄想は、全くの杞憂で終わった。
「え……?」
通路の先は、日の差さないただの袋小路だった。湿った空気の吹き溜まるそこで、慎ましやかに佇む社。
まるで階段で隠されるように、社は建物の壁に埋め込まれていた。
おそらく奥行きも手を差し込める程度しかないであろう、小さく小さくまとめられた神社。申し訳程度の鳥居が無ければ、まるで家にある仏壇のようだ。
「元はね、もっと大きな神社だったんだよ」
物悲しささえ感じさせる社に言葉を失くす私の隣で、宇迦さんは静かに言葉を紡ぐ。
「昔、この辺りの村はよく日照り続きで飢饉になることが多くてね。でも、和泉と雷神の間でいろいろあって、川が出来たんだ。そうして川という恵を得た村人たちに祀られたのが、龍神である和泉なんだよ」
「和泉さんって、龍神さまなんですか……というか、雷神さまといろいろのくだりも気になるんですけど」
「そこはまぁ、そのうち和泉から聞いたらいいよ。でも、都市開発っていうのかな? それで川は埋め立てられて街が広がって、和泉への信仰もどんどん薄れていって……ここに構えていた神社も、どうにかこうして残される程度にしか認知されていなくてね」
川のことも神社のことも、何も知らなかった。
和泉さんのことは知っていたけれど、神様だということも昨日知ったばかりだったし、そんな彼の神社がこんな近くにあることにも気付いていなかった。
ふと、和泉さんが首から提げていた手作りの賽銭箱を思い出す。
ああでもして持ち歩かなければ、こんな寂しい場所にある神社に一体誰が賽銭を投げてくれるのだろう。
「信仰がなくなると、どうなるんですか?」
「……信仰あってこその、神だよ。信仰がなくなれば力も弱くなるし、存在できなくなる。八百万と言われているけれど、明らかに神の数は減ってきてるからね」
社会人になって仕事に追われ続けていた頃、唯一の休みと言ってもいい正月は疲れ切って初詣すら行かずに寝正月を過ごしていた。そんな自分を思い出して、つい顔を俯けてしまう。
「あぁ、ごめん。責めてるわけではないんだよ。神が必要とされないくらい、きっと今は平和なんだ。寂しいけれど、何事も永遠じゃないよね」
和泉さんの神社を見つめながら、宇迦さんは朗らかなまま呟く。ただ達観しているというよりは、まるで大木のようにどっしりとその事実を受け止めるかのようだった。
「でも……」
「あーーー!!!」
何かを言いかけた宇迦さんの声は叫び声に掻き消される。
声の方を振り返れば、階段の隙間から私たちを見つけた和泉さんが、慌てて隙間に身体を捻じ込んできた。
「宇迦、おまっ……! 何勝手に人の社見せてんだよ!」
「別に隠すこともないだろう? 尭さんが手入れしてくれてるおかげで、綺麗な社じゃないか」
「そういうことじゃねーんだよ!」
顔を赤くした和泉さんがやんやと宇迦さんに噛みつくが、当の宇迦さんは涼しい顔でそれを受け流している。暖簾に腕押しと気付いたらしい和泉さんは、やがて私をきっと睨みつけた。
「どうせ、しょぼいとか思ってんだろ」
「そんなこと……」
「それとも何か? どうせ消える運命にあるくせに、賽銭箱持って人間の真似事までして働いてる俺が滑稽か?」
自嘲するように唇を歪めた和泉さんに、何と声をかけたらいいのか分からない。神様だなんだ、と言っていた尊大な彼とは違う、その虚ろな表情にただ押し黙った。
「俺は、……っ」
喋りかけて、苦しげに息を吐いた和泉さんはよろめくように近くの壁へと手をついた。気遣うように宇迦さんが手を伸ばすが、和泉さんはそれを拒むように弾く。
「俺は、絶対に消えてやらねー……信仰も、畏怖も、なくていい。どんな形であろうと、俺は……」
胸元に垂れ下がる段ボールの賽銭箱をがっちりと掴んで、和泉さんはよろよろと店に戻っていく。呆然とその背を見送る私の横で、宇迦さんは小さく溜息を零した。
「病院の前での質問だけど、和泉は社に戻りたくないわけじゃないと思うよ」
宇迦さんを見上げると、彼は和泉さんが消えていった方に顔を向けたまま、変わらぬ表情で呟いた。
「正確には、戻れないんだ。今の術を解いてしまえば、きっと和泉にはもう、あの姿に変化する力は残っていないから」
「え……」
信仰があってこその神。この暗がりに取り残された和泉さんの神社には今、どれだけの信仰が残されているのだろう。
冷たい風は、容赦なく路地裏に吹き込んでくる。小さな神社の木枠が、カタカタと鳴いていた。
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