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第2話 和泉の社②
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翌日。
メモ帳を使い切ってしまったことが気がかりで、近くの文房具屋でメモ帳を買い、再びこちょうを訪れていた。何より、祖父の着替えを病院に持っていかなければならない。
まだ開店前の店の窓はカーテンで閉ざされ、中に和泉さんがいる様子もない。二階へ続く階段を上っていけば昨日と変わらぬ廊下が伸びていた。
二〇一号室の扉にあるインターホンを鳴らすと、中からガッタンバッタンとおもちゃ箱をひっくり返すような音が聞こえてくる。戸惑いながらも閉じられたままの玄関を見つめていると、次の瞬間、勢いよく扉が開かれた。
「孫っ! 助けてくれ!」
「えぇ……?」
ただただ困惑の声が漏れてしまった。
和泉さん越しに見えた部屋の中は、昨日と同じ場所とは思えぬほどに荒れていた。床に物が散乱し、おまけにガタガタと音を立てて揺れる洗濯機から明らかに過剰な洗剤の泡が溢れ出してきている。
「台風でも来ましたか?」
「いいから、早くこのカラクリをどうにかしてくれ!」
洗濯機をカラクリと呼ぶ和泉さんは半泣き状態だった。てんやわんやになりながらも、どうにか泡製造機と化した洗濯機を止める。
洗剤の香りが部屋中に充満した家の中に上がらせてもらうが、リビングもまた足の踏み場がない。適当に物を避けて作ったスペースに和泉さんは胡坐をかき、それに倣うように私も小さなスペースに正座する。
「はー助かった! ありがとな、孫!」
「あの……昨日の今日でどうしてこんなことに?」
「普通に飯作ろうとしたらキッチンはああなって、風呂入ろうとしたらリビングはこうなって、今朝洗濯しようとしたらさっきみたいに……」
「なりませんよ、普通!」
思わず私が叫んだ瞬間、ドンッ、と壁が揺れた。先ほどから騒がしくしていた自覚は多少あったが、ついに隣の住民から苦情が来てしまった。見えないだろうと思いつつも、壁に向かって会釈して、改まって和泉さんへと小声で尋ねる。
「まさか、今まで全部おじいちゃんにやってもらってたんですか?」
「あぁ、最初は手伝えって言われてたんだけど、俺が手伝うと仕事が何倍にもなるからやるな、って言われてさ」
「はぁ……」
溜息混じりの返事しかできない私に、和泉さんは開き直ったように言葉を続ける。
「身の回りのこととかしたことねーんだよ。社は誰かが綺麗にしてくれるし、社がない時代は野宿が普通だったからな」
「野宿って……」
つまり、普通の賃貸物件になど住んだことがないのだろう。
眩暈がしそうになったが、祖父の家をめちゃくちゃにされて放置するわけにもいかない。もしや祖父は、男女がひとつ屋根の下というリスクよりも、こうして家が荒れることを恐れたのかもしれなかった。
「神様なら神社がお家みたいなものじゃないんですか? そっちに帰ればいいのに」
「まぁそうなんだけどさ。お前、俺以外に神や妖を見たことあるか?」
「え? ない、ですけど……」
「じゃあ、何で俺のことは見えてると思う?」
言われてみれば、今まで霊感のレの字もなかったような私がなぜ普通に見えているのだろう。こちょうに来るお客さんだって、みんな普通に和泉さんと接していた。
昨日は疲れてそんなことを考える余裕もなかったが、和泉さんが本当に神だとするならば、不思議である。そもそも、神様についてなんてよく知らないけれど。
首を傾げる私に、和泉さんは長い腕を横に広げてみせた。
「今は人らしく見えるように変化の術を使ってるんだよ。だが、神社に帰るには術を解かなきゃならない。で、神社から出るためにはまた術を使わなきゃならない。これがなかなか面倒でな」
「つまり、和泉さんがものぐさだから、ここに居候してると?」
「楽して何が悪い」
堂々と言い切る彼に、もはや言葉を返す気力もなくなってきた。しかし、同時にわずかな希望を覚える。
和泉さんがちゃんと帰れば、この家に私が住むこともできるのでは?
この部屋を借りられるのなら、祖父の願い通り代理店長をやってもいい。もしそうなれば、和泉さんにこの部屋を荒らされることもなくなるし、一石二鳥だ。
「この家にいてもこんなに散らかすようじゃ、どっちみち快適じゃないですよね? おじいちゃんの入院中は神社に帰った方が……」
「孫が尭の代わりに住めばいいだろ。許可ももらってんだし」
「それ、遠回しに世話しろって言ってます……?」
「光栄だろ?」
「……」
「何だよ、その明らかに不満そうな顔は」
これも神ジョークなのだろうか。
しかし、せっかく見つけた希望を、ここでみすみす逃すわけにはいかない。
「神社って、つまり和泉さん専用に作られたお社ですよね? こんな1Kのアパートより絶対に住み心地いいんですから、術のひとつやふたつ使えばいいじゃないですか」
「お前、知らねーだろ。神社がどんなのか」
「そりゃ知りませんよ」
「まぁ、いいじゃねーか。事情は知らねーけど、お前もここに住みたいんだろ? で、俺は世話してくれる相手ができる。持ちつ持たれつってやつだな!」
あくまでも、彼はこの家から出て行くつもりはないらしい。和泉さんからすれば、私は世話係以上でも以下でもなく、男女の境界なんてものは何ら意味を持たないらしい。
でも、なぜ私が彼の世話まで? 確かに、社宅から抜け出せるならそれに越したことはないけれど……。
「その話は一旦保留で……おじいちゃんの着替えを病院に持っていかないと」
ひとまず話題を変えると、和泉さんは素っ気なくも下着やら寝間着が入っている箪笥を教えてくれたのだった。
メモ帳を使い切ってしまったことが気がかりで、近くの文房具屋でメモ帳を買い、再びこちょうを訪れていた。何より、祖父の着替えを病院に持っていかなければならない。
まだ開店前の店の窓はカーテンで閉ざされ、中に和泉さんがいる様子もない。二階へ続く階段を上っていけば昨日と変わらぬ廊下が伸びていた。
二〇一号室の扉にあるインターホンを鳴らすと、中からガッタンバッタンとおもちゃ箱をひっくり返すような音が聞こえてくる。戸惑いながらも閉じられたままの玄関を見つめていると、次の瞬間、勢いよく扉が開かれた。
「孫っ! 助けてくれ!」
「えぇ……?」
ただただ困惑の声が漏れてしまった。
和泉さん越しに見えた部屋の中は、昨日と同じ場所とは思えぬほどに荒れていた。床に物が散乱し、おまけにガタガタと音を立てて揺れる洗濯機から明らかに過剰な洗剤の泡が溢れ出してきている。
「台風でも来ましたか?」
「いいから、早くこのカラクリをどうにかしてくれ!」
洗濯機をカラクリと呼ぶ和泉さんは半泣き状態だった。てんやわんやになりながらも、どうにか泡製造機と化した洗濯機を止める。
洗剤の香りが部屋中に充満した家の中に上がらせてもらうが、リビングもまた足の踏み場がない。適当に物を避けて作ったスペースに和泉さんは胡坐をかき、それに倣うように私も小さなスペースに正座する。
「はー助かった! ありがとな、孫!」
「あの……昨日の今日でどうしてこんなことに?」
「普通に飯作ろうとしたらキッチンはああなって、風呂入ろうとしたらリビングはこうなって、今朝洗濯しようとしたらさっきみたいに……」
「なりませんよ、普通!」
思わず私が叫んだ瞬間、ドンッ、と壁が揺れた。先ほどから騒がしくしていた自覚は多少あったが、ついに隣の住民から苦情が来てしまった。見えないだろうと思いつつも、壁に向かって会釈して、改まって和泉さんへと小声で尋ねる。
「まさか、今まで全部おじいちゃんにやってもらってたんですか?」
「あぁ、最初は手伝えって言われてたんだけど、俺が手伝うと仕事が何倍にもなるからやるな、って言われてさ」
「はぁ……」
溜息混じりの返事しかできない私に、和泉さんは開き直ったように言葉を続ける。
「身の回りのこととかしたことねーんだよ。社は誰かが綺麗にしてくれるし、社がない時代は野宿が普通だったからな」
「野宿って……」
つまり、普通の賃貸物件になど住んだことがないのだろう。
眩暈がしそうになったが、祖父の家をめちゃくちゃにされて放置するわけにもいかない。もしや祖父は、男女がひとつ屋根の下というリスクよりも、こうして家が荒れることを恐れたのかもしれなかった。
「神様なら神社がお家みたいなものじゃないんですか? そっちに帰ればいいのに」
「まぁそうなんだけどさ。お前、俺以外に神や妖を見たことあるか?」
「え? ない、ですけど……」
「じゃあ、何で俺のことは見えてると思う?」
言われてみれば、今まで霊感のレの字もなかったような私がなぜ普通に見えているのだろう。こちょうに来るお客さんだって、みんな普通に和泉さんと接していた。
昨日は疲れてそんなことを考える余裕もなかったが、和泉さんが本当に神だとするならば、不思議である。そもそも、神様についてなんてよく知らないけれど。
首を傾げる私に、和泉さんは長い腕を横に広げてみせた。
「今は人らしく見えるように変化の術を使ってるんだよ。だが、神社に帰るには術を解かなきゃならない。で、神社から出るためにはまた術を使わなきゃならない。これがなかなか面倒でな」
「つまり、和泉さんがものぐさだから、ここに居候してると?」
「楽して何が悪い」
堂々と言い切る彼に、もはや言葉を返す気力もなくなってきた。しかし、同時にわずかな希望を覚える。
和泉さんがちゃんと帰れば、この家に私が住むこともできるのでは?
この部屋を借りられるのなら、祖父の願い通り代理店長をやってもいい。もしそうなれば、和泉さんにこの部屋を荒らされることもなくなるし、一石二鳥だ。
「この家にいてもこんなに散らかすようじゃ、どっちみち快適じゃないですよね? おじいちゃんの入院中は神社に帰った方が……」
「孫が尭の代わりに住めばいいだろ。許可ももらってんだし」
「それ、遠回しに世話しろって言ってます……?」
「光栄だろ?」
「……」
「何だよ、その明らかに不満そうな顔は」
これも神ジョークなのだろうか。
しかし、せっかく見つけた希望を、ここでみすみす逃すわけにはいかない。
「神社って、つまり和泉さん専用に作られたお社ですよね? こんな1Kのアパートより絶対に住み心地いいんですから、術のひとつやふたつ使えばいいじゃないですか」
「お前、知らねーだろ。神社がどんなのか」
「そりゃ知りませんよ」
「まぁ、いいじゃねーか。事情は知らねーけど、お前もここに住みたいんだろ? で、俺は世話してくれる相手ができる。持ちつ持たれつってやつだな!」
あくまでも、彼はこの家から出て行くつもりはないらしい。和泉さんからすれば、私は世話係以上でも以下でもなく、男女の境界なんてものは何ら意味を持たないらしい。
でも、なぜ私が彼の世話まで? 確かに、社宅から抜け出せるならそれに越したことはないけれど……。
「その話は一旦保留で……おじいちゃんの着替えを病院に持っていかないと」
ひとまず話題を変えると、和泉さんは素っ気なくも下着やら寝間着が入っている箪笥を教えてくれたのだった。
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