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第26話 西風(ゼファー)が吹いた

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 どのくらい経ったのだろう。
 三隈は、ハッとした。

 ここへは、このバイクを引き取るために来たのだ。父親の親しい友人とはいえ、南は社会人だ。
 三隈の都合で、いつまでも待たせるわけに行かない。
 彼女は自身の感情の奔流に強引に蓋をした。

 三隈は立ち上がって、周囲を見回したが、南の姿は消えていた。

 三隈がキョロキョロしている姿に気づいた女性従業員は、作業の手を止めて立ち上がり、三隈に声をかけた。

 「お客さん、落ち着いたかい」

 「え、ええ、落ち着きました。社長さんはどこですか」

 三隈は、見知らぬ店員から声をかけられたことに、びっくりしながら返事をした。
 女性従業員は、笑いながら言った。

 「社長を探してんだろ、すぐ呼びに行くから、ここで待ってな」

 「あ、ありがとうございます」

 三隈がお礼の言葉を言い終わらないうちに、女性従業員は事務所に向かって歩き出していた。

 三隈は、その場で待っていた。するとさっき南を呼びに行った女性従業員が戻ってきた。

 「お客さん、社長がETCのセットアップ手続きのため、事務所に来て欲しいんだって、行ってくれないか」

 「はい、すぐ行きます」

 そう返事をして、三隈はバイク店の事務所へ歩いていった。

 三隈が事務所に入ると、南がカウンターの中から手招きをしていた。彼女は、カウンターを挟んで南の向かい側に座った。

 南は三隈が座ったのを見て、南が話を始めた。

 「三隈ちゃん、この書類に記入して欲しいんだ。あと免許証とクレジットカードがセットアップに必要だから貸して欲しい」

  南は、一枚の紙をカウンターに置いた。ETC申込書だ。

 三隈は、まずリュックから、免許証とクレジットカードとETCカードを取り出し、南に渡した。
 受け取ったカード類を見て、南は一瞬不審な顔をしたが、すぐに納得した表情に変わった。

 三隈は、申込書に名前、住所など必要事項を書き込んでいった。書き終わった後、南に見てもらい、必要事項を確認してもらった。

 「三隈ちゃん、セットアップに少し時間が必要だから、今のうちに、注文していたヘルメットやブーツを受け取ってくれると助かる」

 そう言い南は、免許証その他を持って、事務所の奥に行った。

 三隈は、この待ち時間で、ライディングウェアに着替えるために立ち上がった。

 三隈は、フィッティングルームを借りてライディングウェアに着替えた後、店員に声をかけ、ヘルメットとブーツを出してもらうように頼んだ。

 三隈は、二つの箱を受け取り客の待機スペースに移動した。そして、ブーツを履いて足に合っているかどうか確かめた。

 その後さっきまではいていた靴をビニール袋に入れて口をしっかり縛った後、キャリーバッグからツーリングバッグとウェストポーチを取り出した。その後空になったキャリーバッグに袋に入れた靴を仕舞った。

 ほぼ空のキャリーバッグを近くにあった、コンビニで自宅に発送した。

 店に戻った三隈は、ヘルメットを箱から出して試着した後、ブーツとヘルメットの空箱を、店員に処分してもらうように頼んだ。

 その後、足踏みするなどブーツを慣らしながら待合スペースで待っていると、南がカウンターまで出てきて、三隈を呼んだ。
 三隈がそばに行くと、南が免許証とカードを差し出しながら言った。

 「三隈ちゃん、セットアップが終わったよ」

 「ありがとうございます」

 三隈は、お礼を言って、免許証やカードをポーチに仕舞った。それを見た南は彼女の服装を上から下まで一通り見てから声をかけた。

 「そっちの用意はできたようだね。じゃ、ここに座ってくれないかな、これから納品説明をするよ」

 三隈が椅子に座ったのを見た南は、カウンターの上に納品書を置いて、それを指さしながらバイクの整備した部分の説明を始めた。

 オーバーホールしたのはフロントフォークとキャブレター。
 フォークはパーツの洗浄と消耗品のゴム類を交換して組立てた。ついでにステムのベアリングを変える事で、ハンドルの切り返しが楽になっている。
 キャブはオーバーホールをしてから組み直している、燃料調整を取り直して、ほんの少し薄目にしている。三隈の家が標高五百メートルと高い場所にあるためだ。

 交換したのは、ヘッドライトなど灯火類、エンジン周りはプラグとプラグケープル、吸排気系はエアクリーナーエレメント、電装系はイグナイターとケーブル類とバッテリー、足周りはリアサスとゴムブッシュ類と前後のタイヤ、それとフロントブレーキレバーとクラッチレバーとワイヤーだ。

 灯火類は、ヘッドライトとテールライトを高輝度LED化する事で、省電力化しながら照度アップを図った。

 リアサスとゴムブッシュを同時に交換すると、乗り心地は格段に良くなる。

 三隈の希望はリアサスも純正をオーバーホールして欲しかったのだが、サスの構造上手間がかかりすぎてお金の無駄遣いになると言われたので諦めて、社外品の「お○りんずS36PR1C1L」を組み込んでもらった。

 レバー類はアジャスト機能が付いているので、実際にバイクに乗ったとき三隈の手の大きさに合わせることになった。

 ブレーキはパッドが充分残っていて、ピストンも動きが滑らかだったので、ブレーキホースとブレーキフルード交換のみ行った。

 その他は、三隈の希望通りできるだけ元の姿を残しているとのことだ。

 「大体、メンテナンスをした所はこの位だね、外装は可能な限り元の状態を保つようにしたよ、ウィンドシールドも付けておいたよ」

 と、南は説明が終わって、一息ついた。

 三隈は、お礼の言葉を言って頭を下げた。

 南は、やや間を空けた後、少し罰の悪そうな顔をしながら、話を切り出した。

 「あのね、三隈ちゃん、申し訳ないんだが、ウチも商売なんで、タダと言うわけにはいかないんだ。支払えるかな」
 
 そう言って、南は請求書二枚をカウンターの上に置いた。

 三隈は、それを自分の方に引き寄せて、請求額を見た。

 バイクの整備価格は、「三十九万九千八百円」と記載されてた。もう一つはヘルメットとブーツの代金で「四万九千八百円」を書いてあった。
 合計「四十四万九千六百円」|(税込)だ。

 三隈は、明細をしばらく見てから、真顔で南の顔を見て口を開いた。

 「南さん、支払いは現金でよろしいでしょうか」

 「えっ・・・、三隈ちゃん、現金持ってきたの」

 南は、驚いた顔で三隈の顔を見返した。
 三隈は、仕方がないというちょっと寂しい顔をして答えた。

 「はい、メールで大まかな金額を教えていただいていたので、口座からお金を下ろして準備しました」

 「そんな大金を持ち歩いていると、危険な目に遭うかもしれないよ」

 「仕方ありません。私は十七歳ですから、自分のクレジットカードを作る事ができません」

 「・・・、そうか、そうだったね、忘れていたよ」

 日本在住者でクレジットカードを所有する条件は、18歳以上で高校を卒業した人という基準を各信販会社が決めている。18歳成人制度が施行されても、18歳未満が個人のクレジットカードを作るのは、ほぼ不可能だ。
 そのため、17歳の三隈はクレジットカードを作る事ができない。

 従って、高額商品を購入する場合は、現金を用意するか、保護者である祖父か祖母の名義のカードの使用か祖父母名義でローンを組むしかない。

 だから、三輪スクーターの購入代金は、祖母に払ってもらった。
 もっともスクーターの購入費を出してもらったのは、祖父母を安心させるためと、|周囲(ムラ人)から個人資産の所有を隠すために、わざとお金を出してもらったのだ。

 三隈は、リュックの中から、厚みのある封筒を取り出し、南の前に差し出した。
 他に方法が無いので、三隈は多額の現金を持ってきた。

 「中に支払うためのお金が入っています」

 「じゃあ、預かるよ」

 南はそう言い、封筒を手元に引き寄せ、中身を出した。
 カウンターの上に、十万円ずつまとめた一万円札が五セット、五十万円が出てきた。

 彼は、近くに置いてあったトレーに一万円札を四十五枚を乗せ、五枚を三隈に返した。その後、トレーを持って席を立ち、奥の方へ歩いて行った。

 三隈は、帰したもらった5万円を財布にしまった後、納品書を見ながら、この価格はいわゆる【お友だち価格】なのだろうと思った。

 バイクを見て気づいたが、単なる部品交換や標準的な整備ではなく、手間暇かけて整備をされているように見えた。ヘッドやポイントカバーの鏡面仕上げは、普通の整備ではやってくれない
 おそらく、友人の娘の為にサービスしてくれたのだろう。

 三隈がそんな事を考えている内に、南がカウンターに戻って来て、椅子に座った。

 「おまたせ、お釣りだよ」

 といい、おつりと領収書が載ったトレーを三隈の前に差し出した。
 三隈は、おつりを受け取り、金額を確認してから、財布に仕舞った。
 それを見た南は、三隈に話しかけた。

 「三隈ちゃん、あのETCカードの事、他に知っている人いるの」

 「はい、います。お世話になった弁護士さんです」

 南はその答えを聞いて、一瞬嫌な顔をしたが、すぐにもとの表情に戻してため息をついた。

 「あの守銭奴がねー、信じられないよ」

 「・・・はあ、ですが私のために、いろいろ手配してくれました」

 「・・・、そうなんだ、三隈ちゃんにとってはいい弁護士なんだね。で、他にカードの事知っている人入るの」

 「いません、南さんが二人目です」

 三隈の回答を聞いた南は、天を仰いだ後うーんとうなってから、真顔になって三隈にいった。

 「三隈ちゃん、いいかい、このカードの事は他の人に言っちゃダメだよ。おじさんも絶対に言わないから」

 南の言葉を聞いた三隈は、笑顔を見せて言った。

 「分かりました、弁護士の先生にも同じこと言われました」

 それを聞いた南は、罰の悪そうな顔をしたが、すぐ笑顔になって、

 「そうか、分かっているならいいんだ。金を持っていることがバレると、悪い大人がたくさん寄ってくるから気を付けるんだよ。話が大分長くなったね、そろそろバイクのところに行こうか」

 「南さん、その前に、一つお願いがあります」

 「何だい」

 「例のバイク、一年かけてオーバーホール、必要ならレストアをしてもらえませんか」

 「えっ、あれをか・・・、オーバーホールOHはできるけど、軽くひゃ・・・」

 南は、OH代を言いかけて、黙った。
 目の前にいる女の子は、両親から莫大な遺産を受け取っている。
 今風に言えば、【親ガチャ】で大当たりを引いたようなものだ。
 そのことを他の誰かに知られる事は、彼女を危険にさらすことになる。
 彼女の秘密は、彼女が自立した大人になるまで守らなければならない。
 それが親友の忘れ形見にできる、最大の親切だ。

 南は、改めて三隈を見つめていった。

 「分かった、オーバーホールして、一年後に三隈ちゃんに渡せるようにしておくよ」

 「あ、ありがとうございます」

 三隈は、カウンターに頭をぶつけるのではないかという位、頭を下げてお礼を言った。そして、彼女が頭を上げた。

 「じゃあ、三隈ちゃん、バイクの所に行こうか」 

 そう言って、南は立ち上がり、カウンターの外に出て、バイクの方に歩き始めた。
三隈は、荷物を持ってその後を追いかけて行った。

 バイクのそばに着いた南は、三隈のバイクを店の入口に向かって押し始めた。

 それを見た三隈は、

 「南さん、私がバイクを出しますから、無理しないで下さい」

 と、言った。だが、南は、

 「いや、お客様に引き渡すバイクを駐輪スペースに移動させるのは、店のオーナーとして当然だよ、三隈ちゃんは駐輪スペースで待っていて」

 と言って、バイクを押し続けた。
 そして、南は店の駐輪スペースまで三隈のバイクを押し出し、サイドスタンドを立てて止めた。その後三隈の立っている方に向いた。

 「三隈ちゃん、今からレバーの調整をするけど、その前に持っている荷物を荷台にくくりつけようか」

 南は、三隈がツーリングバッグを抱えているのに気づいて、先に付けるように言ったのだ。

 三隈は、ツーリングバッグをバイクのリアに付けてある荷台に載せて、バンドで固定した。
 普通なら手間取るはずだが、父親とのツーリングで何度もバッグの固定をした事があるので、意外に簡単に固定できた。

 バッグの固定が終わったので、三隈はバイクから少し離れたところにいる南のそばに寄よろうとした。南はそれを制して彼女がバイクに跨がってバイクを起こすように促した。

 三隈は、言われたとおりバイクに跨がってバイクを正立させた。南はその姿をちょっと離れたところから見ていた。

 三隈の足はかかとがやや浮き上がっているが、両足がしっかりと付いていた。これなら立ちゴケの心配はあまりしなくて良いようだ。

 南は三隈に左右のレバーを握ってみるようにいった。彼女はレバーに指を伸ばしたがグリップからの位置がやや遠く、指を前に伸ばすようにしてレバーを握った。

 それを見た南は、レバーの位置を少しグリップに近づけるように調整した。その後三隈はもう一度レバーを握ってみた。今度は簡単に指が届いてしっかりレバーが握れた。

 南はレバーの握り具合を見て三隈に尋ねた。

 「三隈ちゃん、しっかり握れるかい」

 「はい、最初よりずっと握りやすいです」

 三隈は、嬉しそうな顔をして返事をした。それを見た南は笑顔を見せて言った。

 「じゃあ、エンジンをかけてみようか」

 そう言って、三隈にエンジンキーを渡した。

 三隈は、キーをキーシリンダーに差し込みひねってオンにしてから、スロットルを握って少し開け、スターターボタンを押した。

 キュルキュルと音を立てセルが回り、ボンッと音を立てエンジンがかかった。

 ボボボボッ、という四気筒特有の低く連続したエンジン音が響き、振動が微かに三隈の体に伝わってきた。

 -  いい音が出ている。振動も少なくて音にムラがないから、エンジンのバランスや燃調も合っているみたい  -

 三隈が、エンジンの音を聞いていると、南が声をかけた。

 「三隈ちゃん、エンジンを止めて一旦降りてよ。ETCカードを車載器に入れないと」

 三隈は、はいと返事をして、エンジンを止めてバイクを降りた。
 その後、シートを外してリアのツールボックスそばに取り付けられたETC車載器に、ボーチから出したETCカードを差し込んだ。

 そして、エンジンキーを回してオンにすると、ピンポーンと音を立てて、ETCが起動した。

 それを見た南は、

 「ちゃんと起動してよかったー。ウチの会社のETCカードで動作確認をしたけど、お客のカードを入れて起動するのを見ないと、安心できないよ」

 と言った。三隈はその言葉を聞いて、

 「南さんって、豪快な人というイメージでしたけど、わりと心配性なんですね」

 と言って笑った。
 南は、照れ笑いをしながら、

 「趣味の機械いじりなら適当で済むけど、お金を貰う商品は気を遣うよ。でもそこは繊細と言って欲しかったなー」

 とぼやいた。そして、腕時計を見てから三隈に言った。

 「結構時間が経ったようだね。そろそろ出発しないといけないね」

 言われた三隈も腕時計を見て、思わず、

 「うわっ、もうこんな時間、このままだと家に着く頃は夕方になりそう、急がないと」

 と言って、慌てて出発の準備を始めた。
 スマホを取り出し、ハンドルステーに付けてあるスマホホルダーに取り付けた。そしてリュックからスマホケーブルを取り出し、スマホとハンドル下に付けてあるジャックにつないだ。

 そして、ヘルメットを被ってバイクに跨がってエンジンをかけようとした時、南が三隈の手を押さえて止めた。

 「三隈ちゃん、慌てるとミスをするよ、スマホの地図アプリを開いていないでしょ」

 「あっ、いけない」

 三隈は、スマホの地図アプリを開いて、家までの経路を検索してナビモードにした。
 南は、それ等の操作が終わるのを見て、

 「三隈ちゃん、君にとって初めての長距離走行だから、身体の負担を減らすためにリュックはツーリングバッグに入れた方がいいよ」

 言われて三隈も気づいた。通学の時は肩や背中に負担をかけないため、いつもリュックをリアボックスに入れいてた。
 やっぱり、ゼファーχを運転するので、気分が高ぶっていたようだ。

 三隈は、一旦バイクを降りて、リュックの余分なところをたたんで、ツーリングバッグに詰め込んだ。これで三隈の身体に付けているバッグ類は、ウェストポーチだけの身軽な姿になった。
 南はその姿を見て頷いた。

 三隈は再びバイクに跨がって、スマホの地図アプリが開いている事を確認して、それからタンクの上に置いていたグローブをはめてエンジンをかけた。

 三隈がエンジンが暖まるのを待っている間に、南が声をかけた。

 「三隈ちゃん、ネイキッドのゼファーは高速に乗ると意外に体力を消耗するから、必ずパーキングエリアに寄って休憩をしてから本線を走るんだよ。いいね、絶対に休憩をたくさん取るんだよ」

 「分かりました、言われたとおりにします。今日は本当にありがとうございました、失礼します」

 そう言った三隈は前を向き、ギアをローに入れ、スロットルを開いてクラッチをつないで、発進した。

 発進時ちょっとよろよろしたが、路地に出て加速して、南の前から去って行った。

 その姿が見えなくなるまで、南はずっと見送っていた。
 彼は、三隈が【親ガチャ】を引き当てたことが、幸せかどうか分からなかった。彼女を引き取った親族が、優しくてしっかりとした人物であることを祈るしか無かった。


 ついに三隈は、ゼファーχオーナー(?)になった。
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