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第一章

1-2 必要な存在

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 キャンパス内で最も席数が多く人気の食堂というだけあって、少し離れた場所から振り返ってももう蒼空の姿は見えなかった。そのことに安堵と寂しさを覚えながら前に向き直ると、本来俺が探していた人物がそこに立っていた。

智暁ちあき君、おはよ。あっちに席とっといたよ」

 男の割には少し高い声で俺を智暁君と呼ぶのは、同じクラスの砂原壱星すなはら いっせいだ。こいつとは1年の頃から一緒に授業を受けたり昼飯を食ったりしている。

「おー、おはよ、壱星。やっぱ南館の食堂はすげぇ混んでるな」

 南館とは共通科目のための校舎で、普段俺たちが専門科目を受けている農学部の校舎からは少し離れた場所にある。水曜日だけは専門科目の必修が入っていないため、俺と壱星はこの日の3、4限に共通科目を取ることにしている。

「うん。智暁君の言う通り2限入れない方がよさそうだね」
「だろ?あ、席、サンキューな」

 ソールの厚い靴を履いていても俺より15cmくらい背の低い壱星は、少し俯けていた顔をパッと輝かせてこちらを見た。人形みたいに大きな瞳が俺を捉え、白い肌に映える薄ピンク色の唇が緩やかに弧を描く。

 壱星と仲良くなったきっかけは、1年前期のドイツ語の授業でたまたま隣に座っていて、課題のためにペアを組んだことだった。

 人付き合いが苦手だという壱星はクラス内の他の奴らとはあまりつるまず、気が付けばいつも俺にくっついている。オシャレが好きで少し女みたいなところのある壱星は、むさ苦しい男ばかりのうちの学科になじまないんだと思う。なぜ俺だけ気に入られているのかはわからないけど。

 スマホゲームにハマってる俺と、ファッション関連のSNSばかり追っている壱星は全く趣味が合わないが、何だかんだ大学内で最も長い時間を共に過ごしている相手だ。こいつといると居心地がいいし、それに……。

「壱星、お前、今日大学の後何もないよな?」

 確保してもらっていた席にトレーを置きながら話し掛ける。

「うん。特に何も」
「そっか。……それならさ、家行っていい?」

 壱星は目を見開いて俺を見て、それからすぐに視線を逸らせ、唇を指で撫でるような仕草を見せた。

「うん。もちろんいいよ、智暁君」

 こいつは何か嬉しいことがあると口元に触れる癖がある。

「今日はバイトもないし、明日1限あるし泊まってこうかな」
「ほんと?嬉しい。教科書うちに置いてるもんね」

 俺と壱星は、数か月前からだった。はっきり付き合おうと言われたことも言ったこともないけど、こうして大学近くの壱星の家に泊まることも多く、恋人同士みたいなもんだった。少なくとも壱星は明らかに俺に好意を寄せている。

「あぁ、そうそう。ありがとな」
「ふふ。こちらこそ来てくれてありがとう、智暁君」

 これまで誰かと関係を持ったことはなかったけど、自分が同性愛者であることは前から認識していたし、頬を赤らめて喜ぶ壱星は子犬みたいに可愛くて、俺も悪い気はしていなかった。

 それに、俺はどうしても今日、壱星とヤリたかった。蒼空の姿を見て思い出した過去の自分に腹が立っていて、その気持ちを慰めてほしかった。

 今の俺にはこいつしかいない。こんな風に俺を見て、こんな風に俺を求めてくれるのは壱星だけだ。壱星は絶対に俺を拒絶しないし、その安心感は惨めだった俺の気持ちを明るいものへと変えてくれる。だから、今の俺には、どうしても壱星が必要だった。


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