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バキュラビビーの葛藤
サイレントナイト
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バー「ナイトラウンジ」。
それがわたしの店の名前だ。
わたしがこのビルに開業して早くも10年になる。
脱サラしてバーを始めたのは、前職がブラックすぎたための現実逃避からだった。
酒にも詳しくないし、話しも上手くない。
バーを開店するなんて正気ではできなかっただろう。
わたしはチェスを差すのが大好きで、一日中のんびりもくもくとチェスをするのが子どもの頃からの夢だった。
その夢を店にしてしまおう。
そう思い立ち、100%遊び心でこの店を始めた。
道楽で始めた店だ。
客なんてどうせ多くない。
数少ないチェス仲間を連れてきては、酒をのみながらチェスを差して過ごしていた。
貯金は減る一方だったが、危機感はなかった。
どうにもならなくなったら死ねばいい。
ネジの外れた頭でそう思っていた。
そんな暮らしを続けているうちに、仲間が仲間を連れてやってくるようになった。
客が増えると噂を聞きつけて新規の客がやってくる。
そして新規の客が新規の客を連れて来てくれる。
客は確実に増えていき、いつの間にか、店として収支が整うようになっていた。
もちろん客は増えるばかりじゃない。
最初はもの珍しさから通っていても、そのうち飽きてしまい来なくなる客も多い。
だが、本当にチェスが好きな客だけは残ってくれた。
駒を動かす音が好きな客だけは、最後まで残ってくれた。
うるさい客はいらない。
さわぐだけの客もいらない。
この静かな空間こそ、わたしが長年夢見てきたものだった。
わたしは、今、幸せだった。
「いらっしゃい」
扉が開き、郡山君が入ってきた。
彼もまた、この店の噂を聞きつけて訪れるようになった客だ。
そして今では立派な常連だ。
いつもは1人でやってきて、たまに行きずりで対局していくなだけなのだが……。
「おや、お連れさんとは珍しい」
郡山君が女性を連れていた。
しかも結構な美人を。
「注文はどうします?」
「私はいつものを。彼女には何が甘いものを」
気遣いを見せる郡山君を見てほほえましくなった。
彼にもこんな面があったのだ。
「対局は?」
「やります。駒を貸してください」
わたしは駒のセットを差し出す。
2人は奥の席に座る。
郡山君が熱心にルールを説明し、彼女は一生懸命それを聴いている。
駒の動かし方を1つ1つ確認する様子が、いかにも初心者と言った感じで可愛らしい。
わたしは彼女のためにドリンクをシェイクする。
大きめの音が響くが、それを気にする客はいない。
「お待たせしました。ストロベリーミルクザーネです」
彼女の席にグラスを置く。
「チェスは初めてですか。郡山さん、お手柔らかにお願いしますよ」
笑いかけようとして驚く。
郡山君が微笑んでいた。
そして彼女もまた笑っていた。
「心配ご無用です」
「ルールは把握した。問題ない」
その微笑みはとても不敵な笑いだった。
長年探し求めた好敵手に出会った格闘家のように、2人のあいだに火花が散るのが見える。
これ以上、わたしの入る余地はなさそうだ。
「ごゆっくり」
それだけ告げると、わたしはカウンターの中にもどり、駒を磨く作業に戻った。
ちらりと彼らの方を見ると、すでに対局が始まっていた。
会話することもなく、もくもくと。
駒を動かす音だけが響く。
(いい音だ)
そう、言葉などいらないのだ。
この一手一手が会話であり、コミュニケーションなのだ。
心地よいリズムで、カタンカタンと音が響く。
彼らが最高のコミュニケーションを交わしていることが、淀みない音から窺い知れた。
(郡山くん、良いパートナーにめぐまれましたね)
2人の若者の、熱く静かな時間が流れていく。
その場を共有できるわたしは、今、とても幸せだった。
それがわたしの店の名前だ。
わたしがこのビルに開業して早くも10年になる。
脱サラしてバーを始めたのは、前職がブラックすぎたための現実逃避からだった。
酒にも詳しくないし、話しも上手くない。
バーを開店するなんて正気ではできなかっただろう。
わたしはチェスを差すのが大好きで、一日中のんびりもくもくとチェスをするのが子どもの頃からの夢だった。
その夢を店にしてしまおう。
そう思い立ち、100%遊び心でこの店を始めた。
道楽で始めた店だ。
客なんてどうせ多くない。
数少ないチェス仲間を連れてきては、酒をのみながらチェスを差して過ごしていた。
貯金は減る一方だったが、危機感はなかった。
どうにもならなくなったら死ねばいい。
ネジの外れた頭でそう思っていた。
そんな暮らしを続けているうちに、仲間が仲間を連れてやってくるようになった。
客が増えると噂を聞きつけて新規の客がやってくる。
そして新規の客が新規の客を連れて来てくれる。
客は確実に増えていき、いつの間にか、店として収支が整うようになっていた。
もちろん客は増えるばかりじゃない。
最初はもの珍しさから通っていても、そのうち飽きてしまい来なくなる客も多い。
だが、本当にチェスが好きな客だけは残ってくれた。
駒を動かす音が好きな客だけは、最後まで残ってくれた。
うるさい客はいらない。
さわぐだけの客もいらない。
この静かな空間こそ、わたしが長年夢見てきたものだった。
わたしは、今、幸せだった。
「いらっしゃい」
扉が開き、郡山君が入ってきた。
彼もまた、この店の噂を聞きつけて訪れるようになった客だ。
そして今では立派な常連だ。
いつもは1人でやってきて、たまに行きずりで対局していくなだけなのだが……。
「おや、お連れさんとは珍しい」
郡山君が女性を連れていた。
しかも結構な美人を。
「注文はどうします?」
「私はいつものを。彼女には何が甘いものを」
気遣いを見せる郡山君を見てほほえましくなった。
彼にもこんな面があったのだ。
「対局は?」
「やります。駒を貸してください」
わたしは駒のセットを差し出す。
2人は奥の席に座る。
郡山君が熱心にルールを説明し、彼女は一生懸命それを聴いている。
駒の動かし方を1つ1つ確認する様子が、いかにも初心者と言った感じで可愛らしい。
わたしは彼女のためにドリンクをシェイクする。
大きめの音が響くが、それを気にする客はいない。
「お待たせしました。ストロベリーミルクザーネです」
彼女の席にグラスを置く。
「チェスは初めてですか。郡山さん、お手柔らかにお願いしますよ」
笑いかけようとして驚く。
郡山君が微笑んでいた。
そして彼女もまた笑っていた。
「心配ご無用です」
「ルールは把握した。問題ない」
その微笑みはとても不敵な笑いだった。
長年探し求めた好敵手に出会った格闘家のように、2人のあいだに火花が散るのが見える。
これ以上、わたしの入る余地はなさそうだ。
「ごゆっくり」
それだけ告げると、わたしはカウンターの中にもどり、駒を磨く作業に戻った。
ちらりと彼らの方を見ると、すでに対局が始まっていた。
会話することもなく、もくもくと。
駒を動かす音だけが響く。
(いい音だ)
そう、言葉などいらないのだ。
この一手一手が会話であり、コミュニケーションなのだ。
心地よいリズムで、カタンカタンと音が響く。
彼らが最高のコミュニケーションを交わしていることが、淀みない音から窺い知れた。
(郡山くん、良いパートナーにめぐまれましたね)
2人の若者の、熱く静かな時間が流れていく。
その場を共有できるわたしは、今、とても幸せだった。
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