刃に縋りて弾丸を喰む

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Episode〈9〉唯心 ⑹

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 風馬の布団を抱えて居間へと運ぶと、名月はすでに私の分の布団を敷き終えたあとだった。振り返った名月が、む、と眉間にしわを寄せる。
 「布団、二つもいらないでしょう」
 「でも、一つじゃ狭いよ」
 「狭いくらいでいい。ずっとひっついていればいい」
 不満そうな名月を「とりあえず、ね」となだめて二つ目の布団を敷く。
 「それ、あいつが使ってた布団?」
 「そうだよ」
 「じゃ、星子は絶対そっちに入らないで」
 そう言って、名月は風馬の布団と私の布団を身体で仕切るように寝そべって、ぽんぽんと彼の隣を手で叩いた。
 「おいで、星子」
 電気を消して、名月の隣に滑り込む。温かな両腕が、私の身体をそっと抱きしめた。
 窓の外から様々な虫たちの声がする。それを聞きながら、私は静かに口を開いた。
 「これから、どうするの?」
 「ずっと星子のそばにいる」
 「そうじゃなくって。もっと、真面目な話」
 一瞬の沈黙があった。名月が少しだけ、私の身体に回した腕の力を緩めた。
 夜の闇の中で、名月の黒い瞳と視線が交わる。
 ───「もう、片桐組には戻らない」

 飛鳥を逃したことで、藤埜組を掌握する計画は完全に頓挫した。そもそも、私と偽装結婚したのも、飛鳥を手に入れることが前提だった。飛鳥を見つけ出して正式な婚姻関係を約束させた後、美空の死を公表すれば「姉が急死したため、組の関係性を維持する都合上その妹と再婚した」というストーリーが完成する。その後は“美空”の代わりをさせていた私とことの顛末をすべて知る風馬を処分してしまえば、美空の自殺も代役との偽装結婚も、事実上なかったことになる。
 しかし飛鳥を解放し、風馬の逃亡を許したことで、カタナがひそかに偽装計画を行っていたことが片桐組と藤埜組双方に知られてしまう可能性が高まった。そうなれば、両者の断裂は避けられない。そもそも、片桐組組長がそんなカタナの失態を許さないだろう。

 「……星子」
 ゆらゆらと、名月の瞳が揺れている。懇願するような、縋るような眼差しが私をじっと見つめている。
 「明日にはここを出て、海外に飛ぶ。ツテも、口座も、金もある。生活で不自由はさせないと思う。でも、もうここには───日本には、二度と戻って来られない」
 「うん」
 「星子はもう、家族にも、友だちにも会えない」
 「そんなの、今更でしょう」
 「名前も、身分も偽って暮らすことになる」
 「ふふ、また今更の話だね」
 「……それでも。オレに来てくれる?オレと、一緒にいてくれる?」
 また、“そうするしかない”状況だ、と思った。そもそも、NOという選択肢がない状況。それを、名月も知っているだろう。そして、その上で縋るような声で私に問いかけたのだろう。
 彼の瞳を見つめ返しながら、私は胸の奥で確かに感じていた。
 彼との人生しか選べないから、選ぶんじゃない。彼との人生を選びたいから、選ぶのだ、と。
 「ずっと、一緒にいる。名月がどこに行こうとも、私はずっと付いていく」
 少し痩けた頬に、そっと手を伸ばす。
 「これからも、ずっと、私をあなたの“妻”でいさせて、名月」
 指先に名月の温かな頬が寄り添った。
 「うん。これまでも、この先も。ずっと、星子だけがオレの奥さんだ」
 「“美空”が奥さんだった頃もあったじゃない」
 「そう呼ぶ必要があったから、呼んでただけだよ」
 「本当に?」
 「本当だよ」
 名月はいつかと同じく、私が添えた手に自分の手を重ねた。それから、ゆっくりと私の手のひらに口づけた。
 「多分オレは、初めて会ったときから、星子に惹かれてたんだ」

 あの日、あの夜、マンションの一室で出会った一人の男性。彼から向けられた背筋の凍るような視線と、握らされた鉄の冷たさに感じた恐怖は、今でも忘れられない。
 見せる表情からも、かけられる言葉からも、一切の温度を感じさせなかった彼は今、私を優しい体温で包み込んでいる。

 「……明日はなにか、栄養のつくものでも食べようね」
 「カレーがいい」
 「空港にあるかなあ」
 「星子の作るカレーがいい」
 「それじゃ、新しいお家で作ろう。そうしたら、次の日はカレーうどんも食べられるよ」
 「うん、それがいい。すごく楽しみ」

 彼と出会って、平凡だった私の人生は大きく変わってしまった。友人にも家族にも、もう会えない。思い出の場所を訪れることも、趣味だった居酒屋巡りも、もうできない。人の謂う「普通の幸せ」は今後、何一つ手に入らないだろう。

 それでも、この身体を包むぬくもりがある限り。彼と共に朝を迎える日々が続く限り。
 私は永遠とわに、幸せだ。
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