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第一部
第十一話 叶わぬ願いを胸に
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✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
場所は時都家の地下に移る。
母さまは私たちのいる檻の鍵を開け、中に入った。そして私たち近づいて、茜にこう言った。
「あらあら、二人とも仲良くしちゃって。契約したにも関わらず、その契約用紙を見ちゃったんだものね。仕方のないことだわ。だけと、ねぇ?」
「っ!」
母さまの目は笑っていなかった。
「駄目じゃない、勝手に人の部屋を荒らしちゃあねぇ。そんな子に育てた覚えはないはずよ? それに自分を救ってもらうために美琴の女の子に助けを求めたのかしら? 哀れね。あなたは何でもできる完璧な優等生でいてくれればそれでよかったのに。踏み込みすぎたのよ、あなたは。だからこうやって私からお仕置きを受けるの。これ以上、私を失望させないでくれるかしら? 今は気分がいいから見逃してあげるけど、次はないわよ茜」
「……はい、母様」
この会話だけで、茜と母さまの関係はよくわかる。苦しくて悲しい、家族だけど家族でない関係だと言うことが。
茜は本当の自分を他者に対して表すことが苦手だ。もちろんそれは私にも同じことが言える。
だが茜の場合は少し違う。
茜は茜の理想である優等生になりたいが故に、自分に偽りの仮面をつけて演じているのだ。だから今回の行動はそんな理想に反してでもしたかったことだと言える。
茜のそんな思いを知って、私は嬉しさと申し訳なさで胸がいっぱいになった。だがそんな思いを母さまはすぐに壊した。
「さて、問題はあなたよねぇ厄女。ちゃんといい子にしていてくれてよかったわ。脱走なんて企てたら、瀕死にさせるところだったもの」
つまりはこの檻から逃げられたとしても途中に罠が仕掛けられているので結果的に逃げられないということだろうか。
私はここから逃げることを諦め、その代わりに母さまに一つ尋ねることに決めた。
「……教えてくれませんか?」
「なにを?」
「母さまが仮に私の魔力を得て笹潟家一族を殺したと仮定しましょう。私が聞きたいのはその後です。その後は何をなさるのですか? 他の五大名家を殺すのですか?」
「何故?」
「だって母さま、一人になっちゃ…………っ!」
すると私は母さまに叩かれた。体温が低いので、叩かれた箇所は痛みつつも温かく感じた。
私がこんなことを聞いたのは、何故か母さまが悲しそうな顔をしていたように思えたからだ。
誰だって最初は清々した思いでも、いつかは一人が嫌になる、悲しくなる。
夕夜さまにはまだ偽善者だと言われるかもしれないが、私は母さまにそんな思いをしてほしくないのだ。
「ふざけないでっ! 私が哀れにでも見えた? 思えた? そんなことあるわけないでしょっ! ……ううん、あっていいはずがないわ! このっ、恩知らずめっ!」
母さまは怖いのだ。自分が惨めになることを。慰められることを。可哀想な人だと、哀れな人だと思われることを。
でもそのこと自身を母さまは分かっていても認めたくないのだ。だから周りにも強要させるのだ。母さまは逆らってはいけない人なのだと。
怒り狂った母さまは、また私に向けて手を振り上げた。また叩かれると思った私は思わず目を瞑った。
だが音が聞こえただけで、私にはいつまで経っても痛みを感じたかった。疑問に思った私は、恐る恐る目を開けた。
すると視界には思いもよらなかった景色が広がっていた。
茜が私の前に立ち、叩かれたのだった。
茜は母さまに言った。
「もう、おやめください母様! 何もかもを藍のせいにして逃げるだなんて、やめてください! いくら母様でも、許されることなどではありません!」
「茜……!」
どれだけの勇気を振り絞ったのだろうか。茜の手は震えていた。
きっと怖くて今すぐにでも逃げたい思いに違いないのに、茜は私のために庇ってくれたのだ。
もしかしたら、と私は考える。
もしかしたら、ちゃんと仲直りできるかもしれない。もしかしたら、昔みたいに茜とまた仲良く暮らせるかもしれない。もしかしたら、本当の家族になれるかもしれない。
でも、幸せは絶対じゃない。いつかは壊れる時が来る。保証なんてものもない。それを私は、忘れていたーー。
「そう、もういいわ」
母さまの声は、冷めていた。
何が起こったのか私には理解できなかった。
そこからは何故か時が異常なぐらいにゆっくりと流れた。
母さまが懐から何かを取り出したかと思えば、それを茜の腹部に強く刺し、そして激しく抜いたのだ。私はその光景をただ見ることしかできなかった。
赤い彼岸花が咲いた。大きくて綺麗な赤色をしていた。床、鉄格子、服、ほぼ全ての場所にその彼岸花と同じ赤色に染まった。
その景色は私の目にはっきりと焼きついた。
私が息をしていないと気付いた時、その彼岸花は消え、茜が前から倒れた。
現実に引き戻されたのもこの時だった。
「あっ……あっ……」
これは勘だ。確信ではない。だがわかるのだ。茜はもう、助からないのだと。
私の手に茜の鮮血がベッタリとついた。血の量は尋常ではなかった。傷口を塞ごうにも手遅れだった。
そして何より、茜の瞳に生気が籠っていなかった。死を警告するかのように、私の全身の震えは止まらなかった。
「あ、あ、あか、あかね、茜……!」
上手く喋れなかった。
「いや、やだよ、ひとりはもうやだよ!」
しゃくり上げそうになるのを、涙が出そうになるのを必死に抑える。泣いたらまるで、茜が本当に死んでしまうかもしれないと思ったからだ。
「やだよ、やだよ! 返事してよ茜っ!」
すると茜の口がかすかに開いて、何か言ってすぐに閉じた。その言葉に、私の抑えていた涙が一気に溢れ出した。
「いやああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
死なないでほしい。
そんな叶わぬ願いを胸に、茜を強く強く抱きしめた。願えば叶うと誰かは言うかもしれない。でも、どんなに願っても叶わないものがある。
それが、死だ。
私の中にあった微かな希望は潰えていた。一緒に生まれ、育ち、過ごした大切な姉は、私を守って死ぬのだろうか。
全部、私のせいなのだろうか。
「ピーピーギャーギャーとうるさいわねぇ」
いや違う。悪いのは、母さまだ。
怒りが、悲しみが、母さまに向かった。
「なん、で」
「?」
「なんで茜を、茜を……!」
「自分の娘なのに殺したのかって?娘と言えど、所詮は他人よ。もう茜に利用価値なんてない。だから殺した。それだけのことよ」
「茜はあなたの所有物じゃない! 人は物じゃないと、何度も言ったはずです! 何故わからないのですか!?」
「人は物じゃないと言うあなたの考えの方がわからないわよ。産んだのも私、育てたのも私。私がいなければあなたたちはとうに死んでいた。むしろ感謝すべきでしょう?」
狂ってる。
母さまに言えるのはそれだけだ。
「それはあなたにも言えることです! あなただって最初は何もできない赤子です! 同じことではないですか!」
「黙りなさい! そしてーーあなたも死になさい!」
母さまはナイフを私に向けて投げた。
私は死を覚悟すると同時に、今までのことを思い返した。
虐げられた日々、死を望んだ自分、大切な人たちと思い出、傷つけ傷つけられた夜、知った秘密、茜の鮮血ーー。
『藍』の体も心も最初から限界だったのだ。毎日のように増えていた傷と、今回の出来事により増えた傷と奪われた体温によって、体はボロボロだった。
心は前夜の架瑚とのやりとりと紅葉からの暴言により、弱っていた。まだここまでは良かった。
問題はそれに加えて双子の姉である茜が藍を庇って瀕死状態に陥ったことや、最後の一言が「ごめんね」という謝罪の言葉だったことだ。
藍は自分が傷つくことよりも、他の誰かが傷つくことの方を嫌う。今回の件はそんな藍の優しすぎる性格によって、より重く受け止める形となってしまったのだ。
それにより、藍の精神は崩壊した。
そして同時に、藍の胸部近くにナイフが刺さったのだったーー。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
その頃架瑚たちは時都家の玄関付近に到着していた。
時都家にやって来たのは架瑚、綟、夕夜、夕莉の四人である。
何故四人だけなのかというと、他の笹潟家の使用人たちは万が一のことを備えて、架瑚が屋敷にて待機するよう命じたからである。
「うっわぁ、これは面倒だね架瑚兄」
「面倒だがそれだけだ」
「まぁ想定はしていましたが、これだけの人数を雇えるほど、時都家ってお金ありましたっけ?」
「いや、疑問に思うところが違うだろ」
架瑚たちの目の前には数え切れないほど沢山の武器を持った人がいた。
見た目からして敵に間違いはなく、黒いスーツの者もいればヤクザのような者もいた。いくつかの輩を雇っているのだろう。
そしておそらく、並大抵の者ではない。かなりの腕利き、熟練者と見て間違いはないだろう。
だがこんな他愛もない会話をすることができるのは、架瑚たち全員がすぐに戦える状態であり、且つ強いからである。
敵側は架瑚たちの恐ろしさを知らない。
すると一人の男が前に出てきた。
「なんだなんだぁ? 四人しか敵いないのかよ。しかもそのうち二人が女ぁ? 舐めてんのか?」
いかにも悪役、と言うかのような格好や話し方の男は、架瑚たちにそう言った。おそらくこの男が最もこの輩の中で強いのだろう。
「貴様が主導者か」
「あぁそうだ。恐れろ、そして敬え。俺らは異国でも有名なマフィアだ。金さえ払えば誰だって殺す、最強無敵の集団で……って人の話を聞けっ!」
この男が怒った理由は簡単だ。人に質問していながらその答えを聞かず、架瑚は夕夜たちと話しているからだ。
男が叫ぶと、架瑚は初めてその男の存在に気づいたかのようにこう言った。
「ん? もしかして今のは俺たちに向けて言っていたのか? 貴様の話は嘘の自慢話しかないから、聞く価値など微塵もないと思ったのだが」
「あぁん!? ふざけてるのかテメェ」
「それはこちらの台詞だ。てことで夕莉、お前が最年少で一番弱いから、こいつら頼むわ」
「おいっ!」
誰がどう見ても数百人はいる相手に16歳の少女一人に任せるのはおかしい。
だが架瑚には人を見る目が、采配の才がある。そこは信頼できるが、本当に大丈夫なのだろうか。
しかし夕莉は夕莉で別のことに不満があるそうだ。
「えぇ~、私つまらないの嫌いなんだけど」
つまらない。そんな夕莉の不満を架瑚は予測していたのか、こんなことを提案した。
「こいつら全員捕まえて縛った後は、情報を吐いてもらうために拷問していいって言ったら?」
すると夕莉の目に何かが灯った。
「……殺さなければ何してもいいんだよね?」
「あぁ、好きにしろ」
「やったぁ~!」
拷問、殺さなければ何してもいい……。
敵は嫌な予感がした。見た目は華奢でか弱そうな高校生だ。だが戦い慣れているような発言が目立った。
こいつは侮ってはならないならもしれない、と敵は思った。しかしもう遅い。
一方夕莉は架瑚の許可に喜んでいた。
「架瑚兄ありがと! すぐ終わらせるね!」
夕莉の言うすぐとはどのぐらいの時間なのだろうか。夕莉の言葉に架瑚は頷くと、夕夜と綟と共に時都家の屋敷へ行くことにした。
「じゃ、俺らは行くか」
「そうだな」
「そうですね」
「いや待て!」
だがもちろん敵はそれを許すはずがない。しかしすぐに架瑚たちを追いかけようとしたその時だった。
「行かせないよ~。おじさん達の相手は私なんだから」
声のする方を振り返る。が、敵は何故か天地が逆転したかと思えば、頭を打った。夕莉が投げ飛ばしたのである。
夕莉はすかさず次の目標に狙いを定めて走り、投げ、走り、投げ……。架瑚たちがふと振り返った時には最初にいた四分の一ほどの敵は倒されていた。
「ほら、早く来なよ」
これが『人山の麗』の力だった。
「相変わらずえげつないな」
「そうか?」
「そうですね」
架瑚と綟は肯定しているのに対し、夕夜は疑問形になっている。
シスコンが原因の発言なのか、はたまたあの夕莉の強さが普通なのかはわからないが、架瑚は時間も惜しいため何も言わないことにした。
「まぁいい。俺は最短最速で藍のところに行く。夕夜と綟は周りの雑魚を頼む」
「「了解」」
すると夕夜と綟は左腰に下がった鞘から刀を取り出し、一瞬にしてその場から消えた。架瑚の周りに隠れていた敵を倒しに行ったからだ。
架瑚は二人を信用して、感覚を研ぎ澄まして藍の魔力を探った。
「……見つけた」
だがその時だった。
「っ!」
ドクンッ、と架瑚の心臓が強く跳ねた。強い力の気配を藍のいる場所から感じたからだ。
夕夜と綟も感じたようで、架瑚が瞬きをしたわずかな間に、構えの姿勢を保ったまま戻って来た。
「感じたか?」
「あぁ」
「えぇ」
嫌な予感がする、と架瑚は思った。
これは早急に行かなければ藍の命が危ない危険度なのだろう。
なぜなら架瑚たちの感じたその力は魔力ではなく、異能だったのだから。
架瑚は再び背中を夕夜と綟に任せると、深く息を吐いて足に力を入れ、思いっきり地面を蹴った。
服は和装、靴は下駄であるにも関わらず、その速さは常人の二倍ほどだった。木々を駆け抜け、藍のいると思われる部屋へと急ぐ。
「無事でいてくれ」
だがこの時の架瑚はまだ知らない。
藍は『実質死んでしまっている』ことに。
叶わぬ願いを胸に架瑚は風と化した。
場所は時都家の地下に移る。
母さまは私たちのいる檻の鍵を開け、中に入った。そして私たち近づいて、茜にこう言った。
「あらあら、二人とも仲良くしちゃって。契約したにも関わらず、その契約用紙を見ちゃったんだものね。仕方のないことだわ。だけと、ねぇ?」
「っ!」
母さまの目は笑っていなかった。
「駄目じゃない、勝手に人の部屋を荒らしちゃあねぇ。そんな子に育てた覚えはないはずよ? それに自分を救ってもらうために美琴の女の子に助けを求めたのかしら? 哀れね。あなたは何でもできる完璧な優等生でいてくれればそれでよかったのに。踏み込みすぎたのよ、あなたは。だからこうやって私からお仕置きを受けるの。これ以上、私を失望させないでくれるかしら? 今は気分がいいから見逃してあげるけど、次はないわよ茜」
「……はい、母様」
この会話だけで、茜と母さまの関係はよくわかる。苦しくて悲しい、家族だけど家族でない関係だと言うことが。
茜は本当の自分を他者に対して表すことが苦手だ。もちろんそれは私にも同じことが言える。
だが茜の場合は少し違う。
茜は茜の理想である優等生になりたいが故に、自分に偽りの仮面をつけて演じているのだ。だから今回の行動はそんな理想に反してでもしたかったことだと言える。
茜のそんな思いを知って、私は嬉しさと申し訳なさで胸がいっぱいになった。だがそんな思いを母さまはすぐに壊した。
「さて、問題はあなたよねぇ厄女。ちゃんといい子にしていてくれてよかったわ。脱走なんて企てたら、瀕死にさせるところだったもの」
つまりはこの檻から逃げられたとしても途中に罠が仕掛けられているので結果的に逃げられないということだろうか。
私はここから逃げることを諦め、その代わりに母さまに一つ尋ねることに決めた。
「……教えてくれませんか?」
「なにを?」
「母さまが仮に私の魔力を得て笹潟家一族を殺したと仮定しましょう。私が聞きたいのはその後です。その後は何をなさるのですか? 他の五大名家を殺すのですか?」
「何故?」
「だって母さま、一人になっちゃ…………っ!」
すると私は母さまに叩かれた。体温が低いので、叩かれた箇所は痛みつつも温かく感じた。
私がこんなことを聞いたのは、何故か母さまが悲しそうな顔をしていたように思えたからだ。
誰だって最初は清々した思いでも、いつかは一人が嫌になる、悲しくなる。
夕夜さまにはまだ偽善者だと言われるかもしれないが、私は母さまにそんな思いをしてほしくないのだ。
「ふざけないでっ! 私が哀れにでも見えた? 思えた? そんなことあるわけないでしょっ! ……ううん、あっていいはずがないわ! このっ、恩知らずめっ!」
母さまは怖いのだ。自分が惨めになることを。慰められることを。可哀想な人だと、哀れな人だと思われることを。
でもそのこと自身を母さまは分かっていても認めたくないのだ。だから周りにも強要させるのだ。母さまは逆らってはいけない人なのだと。
怒り狂った母さまは、また私に向けて手を振り上げた。また叩かれると思った私は思わず目を瞑った。
だが音が聞こえただけで、私にはいつまで経っても痛みを感じたかった。疑問に思った私は、恐る恐る目を開けた。
すると視界には思いもよらなかった景色が広がっていた。
茜が私の前に立ち、叩かれたのだった。
茜は母さまに言った。
「もう、おやめください母様! 何もかもを藍のせいにして逃げるだなんて、やめてください! いくら母様でも、許されることなどではありません!」
「茜……!」
どれだけの勇気を振り絞ったのだろうか。茜の手は震えていた。
きっと怖くて今すぐにでも逃げたい思いに違いないのに、茜は私のために庇ってくれたのだ。
もしかしたら、と私は考える。
もしかしたら、ちゃんと仲直りできるかもしれない。もしかしたら、昔みたいに茜とまた仲良く暮らせるかもしれない。もしかしたら、本当の家族になれるかもしれない。
でも、幸せは絶対じゃない。いつかは壊れる時が来る。保証なんてものもない。それを私は、忘れていたーー。
「そう、もういいわ」
母さまの声は、冷めていた。
何が起こったのか私には理解できなかった。
そこからは何故か時が異常なぐらいにゆっくりと流れた。
母さまが懐から何かを取り出したかと思えば、それを茜の腹部に強く刺し、そして激しく抜いたのだ。私はその光景をただ見ることしかできなかった。
赤い彼岸花が咲いた。大きくて綺麗な赤色をしていた。床、鉄格子、服、ほぼ全ての場所にその彼岸花と同じ赤色に染まった。
その景色は私の目にはっきりと焼きついた。
私が息をしていないと気付いた時、その彼岸花は消え、茜が前から倒れた。
現実に引き戻されたのもこの時だった。
「あっ……あっ……」
これは勘だ。確信ではない。だがわかるのだ。茜はもう、助からないのだと。
私の手に茜の鮮血がベッタリとついた。血の量は尋常ではなかった。傷口を塞ごうにも手遅れだった。
そして何より、茜の瞳に生気が籠っていなかった。死を警告するかのように、私の全身の震えは止まらなかった。
「あ、あ、あか、あかね、茜……!」
上手く喋れなかった。
「いや、やだよ、ひとりはもうやだよ!」
しゃくり上げそうになるのを、涙が出そうになるのを必死に抑える。泣いたらまるで、茜が本当に死んでしまうかもしれないと思ったからだ。
「やだよ、やだよ! 返事してよ茜っ!」
すると茜の口がかすかに開いて、何か言ってすぐに閉じた。その言葉に、私の抑えていた涙が一気に溢れ出した。
「いやああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
死なないでほしい。
そんな叶わぬ願いを胸に、茜を強く強く抱きしめた。願えば叶うと誰かは言うかもしれない。でも、どんなに願っても叶わないものがある。
それが、死だ。
私の中にあった微かな希望は潰えていた。一緒に生まれ、育ち、過ごした大切な姉は、私を守って死ぬのだろうか。
全部、私のせいなのだろうか。
「ピーピーギャーギャーとうるさいわねぇ」
いや違う。悪いのは、母さまだ。
怒りが、悲しみが、母さまに向かった。
「なん、で」
「?」
「なんで茜を、茜を……!」
「自分の娘なのに殺したのかって?娘と言えど、所詮は他人よ。もう茜に利用価値なんてない。だから殺した。それだけのことよ」
「茜はあなたの所有物じゃない! 人は物じゃないと、何度も言ったはずです! 何故わからないのですか!?」
「人は物じゃないと言うあなたの考えの方がわからないわよ。産んだのも私、育てたのも私。私がいなければあなたたちはとうに死んでいた。むしろ感謝すべきでしょう?」
狂ってる。
母さまに言えるのはそれだけだ。
「それはあなたにも言えることです! あなただって最初は何もできない赤子です! 同じことではないですか!」
「黙りなさい! そしてーーあなたも死になさい!」
母さまはナイフを私に向けて投げた。
私は死を覚悟すると同時に、今までのことを思い返した。
虐げられた日々、死を望んだ自分、大切な人たちと思い出、傷つけ傷つけられた夜、知った秘密、茜の鮮血ーー。
『藍』の体も心も最初から限界だったのだ。毎日のように増えていた傷と、今回の出来事により増えた傷と奪われた体温によって、体はボロボロだった。
心は前夜の架瑚とのやりとりと紅葉からの暴言により、弱っていた。まだここまでは良かった。
問題はそれに加えて双子の姉である茜が藍を庇って瀕死状態に陥ったことや、最後の一言が「ごめんね」という謝罪の言葉だったことだ。
藍は自分が傷つくことよりも、他の誰かが傷つくことの方を嫌う。今回の件はそんな藍の優しすぎる性格によって、より重く受け止める形となってしまったのだ。
それにより、藍の精神は崩壊した。
そして同時に、藍の胸部近くにナイフが刺さったのだったーー。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
その頃架瑚たちは時都家の玄関付近に到着していた。
時都家にやって来たのは架瑚、綟、夕夜、夕莉の四人である。
何故四人だけなのかというと、他の笹潟家の使用人たちは万が一のことを備えて、架瑚が屋敷にて待機するよう命じたからである。
「うっわぁ、これは面倒だね架瑚兄」
「面倒だがそれだけだ」
「まぁ想定はしていましたが、これだけの人数を雇えるほど、時都家ってお金ありましたっけ?」
「いや、疑問に思うところが違うだろ」
架瑚たちの目の前には数え切れないほど沢山の武器を持った人がいた。
見た目からして敵に間違いはなく、黒いスーツの者もいればヤクザのような者もいた。いくつかの輩を雇っているのだろう。
そしておそらく、並大抵の者ではない。かなりの腕利き、熟練者と見て間違いはないだろう。
だがこんな他愛もない会話をすることができるのは、架瑚たち全員がすぐに戦える状態であり、且つ強いからである。
敵側は架瑚たちの恐ろしさを知らない。
すると一人の男が前に出てきた。
「なんだなんだぁ? 四人しか敵いないのかよ。しかもそのうち二人が女ぁ? 舐めてんのか?」
いかにも悪役、と言うかのような格好や話し方の男は、架瑚たちにそう言った。おそらくこの男が最もこの輩の中で強いのだろう。
「貴様が主導者か」
「あぁそうだ。恐れろ、そして敬え。俺らは異国でも有名なマフィアだ。金さえ払えば誰だって殺す、最強無敵の集団で……って人の話を聞けっ!」
この男が怒った理由は簡単だ。人に質問していながらその答えを聞かず、架瑚は夕夜たちと話しているからだ。
男が叫ぶと、架瑚は初めてその男の存在に気づいたかのようにこう言った。
「ん? もしかして今のは俺たちに向けて言っていたのか? 貴様の話は嘘の自慢話しかないから、聞く価値など微塵もないと思ったのだが」
「あぁん!? ふざけてるのかテメェ」
「それはこちらの台詞だ。てことで夕莉、お前が最年少で一番弱いから、こいつら頼むわ」
「おいっ!」
誰がどう見ても数百人はいる相手に16歳の少女一人に任せるのはおかしい。
だが架瑚には人を見る目が、采配の才がある。そこは信頼できるが、本当に大丈夫なのだろうか。
しかし夕莉は夕莉で別のことに不満があるそうだ。
「えぇ~、私つまらないの嫌いなんだけど」
つまらない。そんな夕莉の不満を架瑚は予測していたのか、こんなことを提案した。
「こいつら全員捕まえて縛った後は、情報を吐いてもらうために拷問していいって言ったら?」
すると夕莉の目に何かが灯った。
「……殺さなければ何してもいいんだよね?」
「あぁ、好きにしろ」
「やったぁ~!」
拷問、殺さなければ何してもいい……。
敵は嫌な予感がした。見た目は華奢でか弱そうな高校生だ。だが戦い慣れているような発言が目立った。
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一方夕莉は架瑚の許可に喜んでいた。
「架瑚兄ありがと! すぐ終わらせるね!」
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「じゃ、俺らは行くか」
「そうだな」
「そうですね」
「いや待て!」
だがもちろん敵はそれを許すはずがない。しかしすぐに架瑚たちを追いかけようとしたその時だった。
「行かせないよ~。おじさん達の相手は私なんだから」
声のする方を振り返る。が、敵は何故か天地が逆転したかと思えば、頭を打った。夕莉が投げ飛ばしたのである。
夕莉はすかさず次の目標に狙いを定めて走り、投げ、走り、投げ……。架瑚たちがふと振り返った時には最初にいた四分の一ほどの敵は倒されていた。
「ほら、早く来なよ」
これが『人山の麗』の力だった。
「相変わらずえげつないな」
「そうか?」
「そうですね」
架瑚と綟は肯定しているのに対し、夕夜は疑問形になっている。
シスコンが原因の発言なのか、はたまたあの夕莉の強さが普通なのかはわからないが、架瑚は時間も惜しいため何も言わないことにした。
「まぁいい。俺は最短最速で藍のところに行く。夕夜と綟は周りの雑魚を頼む」
「「了解」」
すると夕夜と綟は左腰に下がった鞘から刀を取り出し、一瞬にしてその場から消えた。架瑚の周りに隠れていた敵を倒しに行ったからだ。
架瑚は二人を信用して、感覚を研ぎ澄まして藍の魔力を探った。
「……見つけた」
だがその時だった。
「っ!」
ドクンッ、と架瑚の心臓が強く跳ねた。強い力の気配を藍のいる場所から感じたからだ。
夕夜と綟も感じたようで、架瑚が瞬きをしたわずかな間に、構えの姿勢を保ったまま戻って来た。
「感じたか?」
「あぁ」
「えぇ」
嫌な予感がする、と架瑚は思った。
これは早急に行かなければ藍の命が危ない危険度なのだろう。
なぜなら架瑚たちの感じたその力は魔力ではなく、異能だったのだから。
架瑚は再び背中を夕夜と綟に任せると、深く息を吐いて足に力を入れ、思いっきり地面を蹴った。
服は和装、靴は下駄であるにも関わらず、その速さは常人の二倍ほどだった。木々を駆け抜け、藍のいると思われる部屋へと急ぐ。
「無事でいてくれ」
だがこの時の架瑚はまだ知らない。
藍は『実質死んでしまっている』ことに。
叶わぬ願いを胸に架瑚は風と化した。
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