隠された蜜月の花嫁

日野

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 しきりに姉の心配をするドゥルザと、しきりに書籍の心配をするドリスティア侯爵とが旅の道連れだ。
 こぼれそうになるため息を、アムラスは何度も飲み下す。
 デュカの森を発ち、見こみとしては一週間ほどで神殿にたどり着く予定の行路である。
 大きな荷や貴重な荷があるわけでもなく、旅に慣れないエルミアがいるわけでもない。
 連れの男ふたりが、ぶつぶつと返事を期待しない大きな独白をつもらせるなか、アムラスは黙って馬を走らせていた。
 馬の速度を上げた状態だ、四日目の夜に到着予定だった宿場に、三日目の昼には着いてしまった。
 何本もの街道が収束し、一本の大きな道になる場所だ。
 道の遙か先にはトーティス神の大神殿がある。一帯は神殿に向かう信徒の姿が急激に増える場所である。
 速度を上げた馬を走らせるには、ひとがあまりに多い。夜半でなければ急ぐのは不可能になる。
 一晩宿場で身体を休め、翌朝にはまた街道をいくことにした。
 信徒に囲まれた街道を、馬を引きながら進む。
 この先は不用意な独りごともつぶやけないし、気の抜けた顔をすることもできない。どこでアムラスとドゥルザが、イトゥルサク家とウアリル家縁のものだと悟られるかわからないのだ。
 宿場にも、神殿の管轄である祈祷所がある。
 アムラスたち一行はそこに顔を出し、祈祷所を任されている神官に宿の便宜を頼んだ。宿場に部屋の確保ができなければ、祈祷所の片隅に宿泊させてもらう算段だ。
 神殿への道とあって、つねに宿は巡礼の信徒たちで満室なのがならいだ。信徒のなかには、野営を常態とするものもいる。
 しかし貴人用の部屋はたいてい確保されているもので、アムラス一行はそれを当てにしていた。
 神官長と第二位神官の息子がそれぞれ、そしてもうひとりの連れがドリスティア侯爵とあって、即座に客室が手配された。神官長の息子が揉めごとを起こしている、というのは伝わっていないのか、対応してくれた祈祷所の神官の態度は柔和なまま崩れなかった。
 宿場のある街は古く、石畳は削れ道全体がかしいでいる。由緒があるともいえたが、どこもかしこも古びていた。
 こういった立地の宿としてはそれなりだが、通された客室は清潔で好感の持てるものだ。
 申し分ない、とアムラスは満足していた。
 三人分のベッドが入った広い部屋に、背の低いテーブルと周囲に長椅子が配置されている。菓子の入った鉢が置いてあり、急に部屋を乞うた立場としては優遇されていると見ていい。
 壁際のベッドに荷を下ろすなり、ドゥルザが口を開いた。
「アムラス殿からも、姉さんに神殿に帰るよういってください」
 何度も何度も聞かされた言葉だ。
「エルミアはデュカで暮らすといっているんだし、ちょっとは好きにさせてやればいい。あそこはもうエルミアのものなんだから」
 何度も何度もアムラスがいった言葉だ。
 いやな顔をしてお互いをにらむアムラスたちをよそに、ドリスティア侯爵は宿場の地図を確認しはじめた。
 浮ついた態度で地図の一角を指さし、
「後で私は飾り窓を見物してきますね」
「飾り窓?」
 きょとんとしたドゥルザはさておき、アムラスは追い払うように手を動かした。
「後といわず、いまから行ったらどうです?」
「こんな明るいうちからっていうのは、さすがに気が引けますね」
 しかし侯爵は見るからにうきうきしている。入室して脱いだ上着の袖に、ふたたび腕を通していた。
「なかに入れば、もう明るいか暗いか関係ないでしょう」
「それもそうですねぇ。どんなところかだけ、ちょっと偵察してきます」
「ごゆっくり。こちらのことは、気になさらないでください」
 長椅子に腰を下ろしたまま無愛想に返すアムラスなど意に介さず、侯爵は笑顔で部屋を出ようとした。
「え? 着いたばかりなのに、どこに」
 アムラスと侯爵とを交互に見比べ、ドゥルザは腰を浮かしかけていた。
「ドゥルザ、侯爵につき合うなら、神殿のものだってことは――ウアリルのものだってことは、絶対にばれないようにしろよ」
「どうして? 侯爵、どこに行くんですか?」
「娼婦の品定めだよ、ドゥルザ。娼館だ」
 扉に手をかけていた侯爵に替わり、アムラスはぶっきらぼうな声を出す。
「飾り窓は娼館のことだ」
 ドゥルザはぎょっと目を剥いて侯爵の顔を見た。信徒が集まる場所だが、ひとが集まれば様々なものも集まりはじめる。信徒以外を当てこんだものもあり、この場所でも娼館も酒場もあるのだった。
「私は独りものですのでね、ひとときの恋人を探しにいってまいります」
 侯爵に悪びれた部分は微塵もない。
「ドゥルザ殿も、一緒にどうです? お若いんですし、いくらでも楽しめるんじゃありませんか?」
 からかっているのか真剣なのか、真意をはかりかねる口調の侯爵に、ドゥルザは激しく首を振る。
「そ、そんなとこ行きません! 侯爵もゆっくり休んだらどうですか?」
「私は神官ではありませんし、将来の神官でもないです。独り身の男が女日照りに耐えられたら、それこそ恐ろしい」
 自分の身体に腕をまわし、侯爵は大袈裟に身震いして見せた。
「適当に食事はすませます。侯爵も適当にやってください」
 素っ気ないアムラスに、侯爵は指笛を吹いた。
「決まった方のいるひとはいいですねぇ、うらやましい。媚薬なんてなくても、楽しいでしょうに」
「はあ?」
 アムラスの意識が自分に向いた瞬間に、侯爵はさっと開いた扉の先に出て行く。
「媚薬がなにかも知らないひとに、話だけでもしたらいけませんよ」
「いったいなにを聞いたんですか」
 立ち上がったアムラスに両手のひらを見せ、
「これといってとくには。媚薬ってなんですか、と。可愛らしいではないですか。可愛いあまりに、きついことをしてはいけませんよ」
「……そんなことはしてません」
「なるほど、なるほど、それはよかった。では私は出かけてまいります」
 ばたんと閉まる扉をにらむアムラスの正面、低いテーブルをはさんだ長椅子にドゥルザが腰を下ろした。
「侯爵、娼館なんて行って大丈夫でしょうか」
「それなりに値の張るところなら、病気持ちもすくないって話だし、あの侯爵ならそんな下手は踏まないだろう」
「なんか……ほんとに娼館に行く、って知ると、ちょっと変な気がするもんですね」
 口を尖らせたドゥルザの態度に、アムラスは苦笑いをする。
「女を知らないわけじゃないだろ? そういってやるなよ」
「……まあ、はあ」
 ドゥルザは気まずそうにしていた。


(続)
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