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不良令嬢、実は苦労人

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様々な内陸国家に特産品の岩塩を売りさばき、得た外貨で数多な輸入品を取り扱うバルディア共和国と隣接しているゆえ、伝統的な交易路の一端として繫栄するエルゼリス領に生を受けたミルダ・シャウムは転生者である。

されども、元々がしたる才覚を持たない不良ヤンキー少女に過ぎず、死者7名及び重軽傷者10名を出した繫華街での通り魔殺傷事件で短い人生に終止符を打ち、最終学歴が高校中退(本人死亡)であるため前世の知識でチートとかには無理があった。

かつて身の回りに存在した文明の利器は積み重ねられた科学の集大成であり、一般人の小娘にその原理を紐解くことなど不可能に近い。

(つまり、あたしは本当に馬鹿だったんだなぁ……)

という身も蓋もない話が転生幼女の抱いた感慨だ。

所謂いわゆる碩学せきがくに名を連ねる賢人ソクラテスがうそぶいた “無知の知” を自覚して以後、領主貴族の家柄に生まれた事を利用して書籍を取り寄せ、幼くして領内の有識者達に教えを乞う末娘の姿にエルゼリス侯爵と妻は喜んだが…… 次第に独創的すぎる発想や、突飛な理論に基づいた奇行が目立つようになって二人の頭を悩ませる。

例え、主義主張に一理あったところで年端もいかない娘の言動とは思えず、下手をすれば白夜教の司祭に異端視されて魔女の烙印を押されかねない。

その家族からの心配と愛情はミルダにも伝わり、迷惑を掛ける訳にもいかないので自重した末、彼女が自領にもたらしたものは薬師達と多様な香草をブレンドして、綿製フィルタごと紙巻にした健康に良いハーブの “煙草タバコ” や “爪切り” くらいである。

後者に関しては出入りの鍛冶師に形状と構造を伝え、彼の職人としての矜恃きょうじと試行錯誤の果てに完成したもので、小刀やノミで爪を削るしかなかった領民達の間で広く認知され始めていた。

実際のところ遥か彼方かなたの某島国でも、“夜に爪を切ると親の死に目に会えない” と言われているだけあって、薄暗い蠟燭ろうそくの明かりの下で手元を見誤り、負傷した指先から細菌感染して早死にする事例が無くもない。

そんな状況に対して近代的な “爪切り” は画期的かつ手軽な道具であれども、金属の製品自体が割高なので購入するのは商人や官吏かんりなどの上級国民ばかり、お世辞にも普及率が高いとは言えなかったりする。

“ははっ、前世の知識ってあんまり役に立たねぇわ” などと思いつつも、生来の前向きな性格で父親のロイスに働きかけ、領民らの生活改善に努めていたミルダは……

現在、正体を明かした相手の御業みわざにより、主観時間で十六年振りとなる魂の故郷へ帰っていた。
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