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「僕が聞いた噂は……その……春輝が誰かに襲われたって……」

冬哉のその言葉を聞いて、春輝は身体が硬直するのが分かった。どうして噂はこうも早いんだろう、と春輝は思う。

「それから……それに対して僕が怒って暴れたって……」

そこまでは春輝が聞いた噂と違いは無い。冬哉は誰も否定しない事を確認して、本題に入る。

「春輝……本当の事を教えて? やましい事はしてないんだよね? せめて同意の上だったとか……じゃないと僕……」

冬哉の声がハッキリと震えた。春輝はまだ冬哉を見られなくて、俯いているだけだ。

「……俺から言おうか?」

「水野先輩は黙っててください」

「冬哉」

冬哉を止めたのは宮下だ。今の春輝に全部自分で説明させるのは酷だ、と言った彼の言葉に、冬哉は噂が本当の事だと悟ったらしい。

「そんな……」

冬哉は泣き出す。絞り出すような声に、春輝も泣きそうになった。しかし次の瞬間、冬哉は椅子に座った貴之の胸ぐらを掴む。

「相手は誰!? どこまでさせた!? アンタがいながら、何で春輝を守れなかったんだ!?」

冬哉は涙でぐしゃぐしゃの顔をしながら、貴之に向かって叫ぶ。貴之は冷静に冬哉を見ていて、黙って彼の怒りが通り過ぎるのを待っているようだった。

「冬哉」

しかし、春輝は貴之が矢面に立たされるのが嫌で、彼に声を掛ける。冬哉は泣くのを我慢した顔で春輝を見た。そしたら、掛けようとした言葉が引っ込んでしまう。

「……心配してくれてありがとうな」

かろうじてそう言うと、冬哉は何故か傷付いた顔をした。そして今度は春輝に矛先が向く。

「いいや春輝、本当の事を教えてって言ったはずだよ?」

まさかこれで終わりじゃないよね、と涙を目一杯溜めながら、冬哉は拳を握った。

「……知ってどうするんだよ」

「決まってるでしょ、社会的に抹殺する」

だったら尚更教えられない、と春輝は言うと、また冬哉はボロボロと泣き出した。

「どうして?」

「どうしてって……オレのために冬哉がそこまでする必要無いだろ?」

春輝はそう言うと、冬哉は今度こそ声を上げて泣いた。

「そこまでって……そりゃ好きな人が酷い目に遭ったら、なりふり構わず怒るでしょ!?」

「……え?」

春輝は思わず聞き返す。いつかと同じように、視界の端で貴之がため息をついた。

「僕は! 春輝が好きなの! 怒るのは当然でしょ!?」

冬哉は溢れてくる涙を乱暴に腕で拭っている。けれどそれはどんどん落ちていて、彼の部屋着を濡らしていった。

「昨日突然コンクールに出られないって聞いてショックだったよ……合奏で僕が厳しくしたせいかと思った。けど……」

もっと酷い目に遭ってたなんて……と絞り出した声には怒りが混ざっていて、春輝はゾクッとする。これは全部話さないと、本当に冬哉は暴れかねないと思った春輝は、小さくため息をついた。

そして、また自分の鈍さが招いたトラブルに、嫌気がさす。

「冬哉……ごめん……」

「謝らなくていいから。もう全部話して」

春輝の言葉にかぶせるように、冬哉は春輝を睨んだ。

春輝はギュッと拳を握る。

「最初は私物を……失くしただけだと思ってた」

震える声で話し出す。今でも鮮明に思い出す間宮の歪んだ愛情は、春輝の身体を震わせた。

思わず両腕を抱きしめるように抱えると、貴之が「無理しなくていい」と後を継いで助けてくれる。

「私物は一之瀬が触れるものばかりだ。別件で俺は食堂の箸が失くなる件を相談されていた」

冬哉はまた、貴之を睨んだ。彼はそれを受け入れるかのように目を伏せる。

「失くした私物が水着や下着になってやっと、一之瀬は俺に相談してきた」

ハッとして冬哉は春輝を見た。春輝は顔を逸らす。認めたくなかったとはいえ、相談するのが遅かったのと、おおごとにしたくないと駄々を捏ねた春輝にも落ち度はある。

「それでも警察に言うのは嫌だ、おおごとにはしたくないと言うから、俺がずっと一緒にいることにしたんだ」

「それで? 結果的に襲われてるんじゃ意味無いよね?」

「冬哉、水野のせいじゃない。……オレが……不用心だっただけ……」

また貴之に矛先が向いて、春輝は慌てて口を挟んだ。しかし冬哉はさらに火がついてしまったようだ。

「春輝が鈍いのは今に始まった事じゃないよね」

それで? と冬哉は先を促す。

「俺が風呂に入っている間に、荷物を届けに来たと装って一之瀬を連れ去った。……丁寧に体育館にいると手紙を残して」

だから見つけるのが遅くなった、と貴之は淡々と話す。

「……氷上先輩と同じ事になってるじゃん」

冬哉のその言葉に、冷静でいた貴之の表情が変わった。そして宮下を睨む。

春輝は、確か前にいた貴之のルームメイトだよな、と思い出す。あの時は貴之がその話は止めろと言って、詳しい事を聞けずにいたけれど、冬哉は知っているはずもないから、宮下が冬哉に話したんだろうと想像した。

「あれは……あの人が自分で……」

貴之らしくない歯切れの悪い態度に、冬哉はそうだったね、と笑う。しかしそれは、貴之のことを蔑む笑い方だった。

「それで? 春輝はどこまでさせられたの? まさか、氷上先輩と一緒じゃないよねぇ!?」

冬哉の声が大きくなった。春輝には氷上という人は分からないけれど、春輝と同じような目に遭ったらしいのは、何となく分かる。

しかし、その後に誰も話そうとしないことで、冬哉は答えを悟ったらしい。打って変わって静かな、小さな声で誰だよ、と呟く。

「誰だよ!?」

冬哉はもう一度聞いた。普段の冬哉からは想像できない程の怒気と声量で、春輝は空気が振動するのを感じる。ここまできて、責められているのは主に貴之だ、どうしてそこまでとは思うけれど、貴之が付いていながら、というのが冬哉の本音なのだろう。

「……間宮だ」

貴之が呟いた。冬哉はその場に泣き崩れ、宮下に背中を撫でられなだめられる。そして貴之を見て、アンタも間宮も許さない! と叫んでいた。

しかし、そんな時でも貴之は冷静で、冬哉の罵倒を正面から静かに受けている。彼なりの罪滅ぼしなのかな、と彼の真摯さに胸が締め付けられた。
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