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第二十八話

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 結局、透の母親は諦めず、伸也の家にまで押し掛けてきて警察を呼ぶ羽目になった。どうやら父親が亡くなって以降、彼女はギャンブルにハマり、収入の殆どを費やしていたらしい。つくづく、あの家から出てよかったな、と透は思う。

 そして、自己破壊衝動を抑えることができたことは、病院で医師にも褒められた。ただ、就活していいと言ってないのに、焦っちゃったかな、と釘を刺されたけれど。でもそのおかげか、疾患や障害がある人向けの職業訓練や、就職についての相談ができる機関を紹介されて、まずは色々試してみたら、と医師は背中を押してくれる。

「意識が飛んでしまうきっかけは、どこで出るか分からないからね。まずは理解がある所で働いた方が良いと思う」

 そう医師に言われ、透は頷いた。

 病院を出ると、身を刺すような冷たい風が吹く。そっか、もう年末か、と思って家路を急いだ。

 家に帰ると、当たり前だが誰もいない部屋が透を迎える。以前は綺麗に掃除されていた部屋が、少し汚れていることに気付き、透はああ、と目頭が熱くなってしまう。

「しんちゃん、オレのために結構無理してくれてたんだぁ」

 ここへ引っ越して来た時は、塵一つなかったのに、ピカピカで鏡のようだった廊下も、今は曇っていた。今思えば、いつでも透がすごしやすいように、と暇さえあれば掃除をしていたようだった。

 そんなことに、今更気付くなんて。

「……よし」

 透の職業訓練は、まずは家事をやることからにしよう、と動き始める。
 そう言えば、透が来るから頑張ったと伸也は言っていた。彼も彼なりに楽しみにしていたんだと思うと、自然と口角が上がる。

 そうしてしばらく掃除をしていたけれど、透が廊下を拭いている時に彼が帰ってきてしまった。できれば伸也が帰ってくる前に全部終わらせたかったな、と乾いた笑い声を上げる。

「あ、はは……おかえりしんちゃん……」
「透……掃除してくれてたの?」
「あー……、うん、まぁ……」

 照れ隠しに曖昧な返事になってしまうと、伸也は頭を撫でてくれる。そしてよくできました、と微笑むので、透は嬉しいやら恥ずかしいやらで顔が熱くなった。

「しんちゃん、オレ頑張るからね?」
「んん? どうしたの急に」

 透は掃除道具を片付けようと立ち上がると、伸也はさり気なくバケツを持ってくれる。今までもこういうところはあったはずなのに、なぜ気付かなかったのだろう?

「今日、診察で先生に褒められたんだ」
「そっか。だからって急に動くと疲れちゃうよ?」
「それを言うならしんちゃんも。無理してない?」

 すると彼は虚をつかれたような顔になり、それから破顔した。じゃあ、少し疲れたからハグさせて、と言われ、慌てて掃除道具を適当な場所に置く。

「……透を抱きしめると落ち着く」
「そーなの? ふふ、オレも」

 温かい体温に包まれて、透ははあ、と息を吐いた。

「しんちゃんっていい匂いする……」
「そうかな? 何も付けてないけど……」
「うん。ちょっと変な気分になる」

 変な気分って何? と伸也は笑った。透はそれには答えずに、ちゅーしてと伸也の首にぶら下がると、軽く触れるキスをくれる。

「……お腹空いたからご飯にしよう。何食べたい?」
「…………しんちゃん」
「……ん?」

 別段小声だった訳でもないのに、伸也は少し間を置いて聞き返してきた。
 
「……それわざとなの? それとも、本気で言ってる?」

 食べたいのは伸也だと透は言うけれど、彼は呼ばれたと思ったようだ。確かに以前、伸也を童貞だとからかったこともあった。しかし先日のキスのこともある、そこまで鈍感なひとではないはずだけれど。

 すると伸也は、困ったような笑顔を向けた。やることやってからね、と透から離れたので、きちんと意味は理解しているようだ。
 透は伸也の後を追いかけながら言う。

「ねぇしんちゃん。オレはしんちゃんとえっちしたい」

 しんちゃんは? と聞くと、彼の動きが止まった。もしかして、キスはするけどそれ以上は嫌だと思っているのでは、と不安に思っていると、彼の耳が真っ赤に染まっていることに気付く。

「透……こういうことは、もっとちゃんと話し合って……」
「何で? 今はちゃんと話し合ってないの?」

 伸也の顔を覗き込むと顔を逸らされた。透は再び伸也に抱きつくと、彼は小さく息を詰める。

「もう透……無邪気な顔してそういうこと言わないで……」
「どうして? オレ、ずっとハグだけでいいと最初は思ってたけど、いつからか、もっと先に進みたいって思ったよ?」

 これってしんちゃんのことが好きだからじゃないの? と透は伸也を見上げた。けれど、彼とは視線が合わない。ついには彼は片手で顔を覆ってしまった。それでもまだ、伸也の耳は赤いままだ。

「しんちゃん?」
「とりあえず……離れてくれないかな」

 はぁ、と息を吐く伸也。しかし透はいやいやと額を彼の胸に擦り付ける。
 すると伸也は「うっ」と短く呻くのだ。

「かっ、片付けもまだだし……僕もまだスーツだから、着替えてくる」

 伸也は強引に透の身体を離し、自室へと引っ込んでしまう。残された透は呆然とその姿を眺めていた。

 もしかして、今のは拒否された?

 そう思って透は冷や汗をかく。どうして? 伸也も自分のことを好いてくれているものだと思っていたけど、違うのだろうか?

「……しんちゃん」

 透は伸也の自室のドア前で、室内に向かって声を掛ける。

「ごめんね、しんちゃん……。オレはしんちゃんのこと、そういう意味で好きだけど、しんちゃんはそうじゃなかった……のかな……」

 そう呟くと、部屋から何やら派手な音がして、慌てた様子の伸也が顔を出す。その顔は、まだ赤かった。

「違う! 透誤解だ、ただ僕が……!」

 伸也はそこまで言って、何かを思い直したのか、いつもの落ち着いた声で透を部屋に招き入れる。
 ドアを閉めた伸也は、ベッドに透を座らせると、自分もその隣に座った。

「あのな、透……」
「ん?」
「僕も、……その、したいと思ってるよ。けど……」

 伸也は透が完全に一人で生活できるようになるまで、手を出すつもりはなかった、と言う。
 なぜなら、透が今度はセックスに依存する可能性を考えたからだそうだ。三年前、依存先をなくした透は、今度は自傷行為やセックスに依存した。精神的な土台を作ってからじゃないと、また同じことになるのでは、と考えたのだそうだ。

「何で? 違うよ? 他の人としんちゃんじゃ、したいと思う気持ちの根本は、全然違う」
「そっか……、いや、ごめん。僕こそ、腹をくくったと思ったけど……」

 伸也は珍しく歯切れの悪い言い方をし、頭をかく。けれど、何かを決意したように短く息を吐き、透を見た。

 透はその黒い瞳に吸い込まれそうになりながら、彼を見つめる。
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