閉じたまぶたの裏側で

櫻井音衣

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少しだけ、このままで

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わずかな荷物を詰め込んだ紙袋を手に、いつもより少し遅く会社を出た。
──やっと終わった。
そう思うとホッとして、だけど少し寂しくて、街灯の明かりが涙でにじんで、目の前に丸い光の輪がいくつも生まれた。
だけどここで泣いているわけにはいかない。
明日からは新しい生活が始まるんだ。
もう後ろは振り返らず、顔を上げて自分の選んだ道を歩こう。
ハンカチで目元を押さえ背筋を伸ばして歩き出した時、後ろから「芙佳」と声を掛けられ振り返ると、少し気まずそうな顔をした應汰がいた。
應汰は目が合うと軽く右手を上げる。
久しぶりに見る應汰の姿に言葉も出ない。
まさかここで会うとは思ってもみなかったから、焦りと戸惑いで鼓動が急激に速くなる。
私が返事をしなかったからなのか、應汰は所在なさげな右手を照れくさそうにおろした。

「……久しぶり」
「うん……久しぶり」
「今日は終わるの遅かったんだな」
「え?あ、うん……ちょっとね」

私も應汰も視線を泳がせながら、たどたどしく言葉を交わす。
應汰は私が手に持っていた紙袋をチラッと見て指さした。

「何、この荷物?」
「ああ、これね……。私物が増えたから、整理しようと思って」

できるだけ不自然に思われないような言い訳をしながら、どうして應汰がここにいるんだろうとか、今更なぜ私を呼び止めるんだろうとか、混乱する頭の中ではいくつもの疑問符が飛び交う。
私がうつむいて黙り込んでしまうと、應汰はバツの悪そうな顔で首の後ろを押さえた。

「なぁ……久しぶりに飯でも行くか?」
「え……」

また予想外のことを言われ、驚いて顔を上げると、應汰は少し気弱そうな目をして私を見ていた。

「俺とじゃイヤ?」
「……イヤじゃないよ」
「よし、じゃあ今日は俺の奢りだ。いつもの居酒屋でいいか?」

『いつもの』という言葉がなんだか嬉しい。
私が笑ってうなずくと、應汰も嬉しそうに笑った。
前は應汰が笑ってくれるのを当たり前だと思っていたけど、当たり前なんかじゃなかった。
その証拠に、私は今、大声を上げて泣きたくなるほど嬉しい。


居酒屋で料理とビールを注文して、久しぶりに乾杯した。
ついこの間までしょっちゅう二人でこうして食事をしていたはずなのに、今日はどうにも落ち着かなくて、向かいの席に座っている應汰の様子を時々こっそりと窺う。
ずっと避けられていたし、應汰には彼女がいるはずなのに、どうして今日は私を食事に誘ったんだろう?

いつもより言葉少なくではあったけれど、当たり障りのない会話をしながら食事をした。
ある程度お腹が満たされた頃、應汰はジョッキに残っていたビールを勢いよく飲み干して、おかわりを注文した。
ビールのおかわりが運ばれてくると、應汰はそれを受け取ってまたジョッキを煽り、テーブルに置いて私を見た。

「芙佳と二人になるの久しぶりだから、俺すげぇ緊張してる」
「何それ……」

私とは会っていなくても、彼女とは会ってたんでしょ?なんて言ったら意地悪かな。
私相手に柄にもなく緊張しているという事は、きっと『彼女ができたから告白もあの夜の事もなかった事にしてくれ』とか言うつもりなんだろう。

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