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想定外の展開

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ハンカチを取り出した瞬間、ポケットからこぼれ落ちた何かがコロコロと転がって、少し先にある椅子の下で動きを止めた。
僕はそれを拾い上げて、その存在をすっかり忘れていた事に気付いた。
部屋に落ちていたあのボタンだ。
後で矢野さんに返しておこう。
僕はそれをもう一度ポケットにしまい込んだ。


ようやく弁当を食べ終わると、杏さんは手を合わせて、ご馳走さまと静かに言った。
……長かった。
杏さんのために量をかなり少なめにしたつもりだったのに、なにしろ杏さんは食べるのがとても遅い。
無言で向かい合っている時間は、いつもの何倍も長く感じられた。
僕がやっと緊張から解放されると思いながら弁当箱をバッグにしまっていると、杏さんは椅子から立ち上がって僕を見た。

「鴫野」
「ハイ……」

一体何を言われるんだろう。
変な汗が背中を伝っていくのがわかる。

「ありがとう、今日も美味しかった」
「ありがとうございます……」

美味しかったという言葉に、ほんの少し安堵した。
だけどそれもほんの一瞬だった。

「ずいぶん節操がないんだな」
「えっ……」

杏さんの一言で、僕の心は一瞬にして凍りつく。
まるで僕の周りにだけブリザードが吹き荒れているかのようだ。

「結局、相手は誰でもいいんだろう?」

杏さんの言葉が冷たいナイフみたいに容赦なく僕を斬りつける。
いや、ナイフなんて可愛いもんじゃない。
この鋭い切れ味は、氷のやいばでできたつるぎのようだ。

「そういうわけでは……」
「なくはないだろう?つい何日か前に彼女にフラれたと言って大騒ぎしておいて、さっきのあの子はなんだ?新しい恋人か?」
「いえ……違います」
「さっきも言ったが、おまえが誰と何をしようと、それは自由だ。けどな、ここは会社だ。やるなら就業時間外によそでやれ」
「ハイ……申し訳ありませんでした……」

僕は立ち上がって深々と頭を下げた。
そんな僕を一瞥して杏さんはドアへと向かう。
杏さんは試作室を出る直前、ドアノブに手をかけて一瞬立ち止まった。

「酔っていなくても……おまえは誰にでもあんな事をするんだな」

背を向けたままボソッとそう呟いて、杏さんは試作室を出ていった。
え……?酔っていなくても……?
それに『誰にでも』って、どういう意味だ?
またイヤな汗が、僕の背中を伝って流れ落ちた。


午後は部署のデスクでパソコンに向かい、新商品の候補に上がったメニューの栄養価を計算していた。
キーボードを叩きながら、ふとした時にさっきの事が頭をよぎる。
なりゆきとは言え、渡部さんにあんな事をしてしまった。
キスされた時に彼女を自分からひき離せば良かったのに、僕はそれをしなかった。
僕は一体どうしたかったのか?
好きだと言われて戸惑いこそすれ、渡部さんの事を好きだと思った事は一度もない。
なのにどうしてあの時僕は、あんな事をしたんだろう?
自分のした事もそうだけど、考えていた事も理解できない。
泣き顔がかわいいとか、ちょっとビックリさせてやろうとか。
それからやっぱり、試作室を出る間際に杏さんの言った言葉の意味がわからない。
かと言って、杏さんに直接聞くのもためらわれる。
もしかしたら杏さんはただ僕に呆れていただけで、深い意味はないのかも知れない。
……と、思いたい。

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