8 / 95
やけ酒の果ての過ち
2
しおりを挟む
「僕は一人で帰れますよー……」
「あ、タクシー来ました」
酔っ払いの戯言なんかに耳も貸さないとでも言うかのように、矢野さんは僕の言葉を無視してタクシーに向かって手を挙げた。
矢野さんはタクシーの後部座席に僕を無理やり押し込んで、運転手に行き先を細かく説明した。
「それじゃあ杏さん、すみませんけど鴫野の事お願いします」
「ああ、任せとけ。ご苦労さん」
タクシーの中で僕は、酔って自分の思い通りにならない体の重みを杏さんの肩に預けた。
なんだかやけに杏さんの体温が心地いい。
重みに耐えられなくなったまぶたを閉じると、さっき見た美玖とあの男が腕を組んで歩いていく後ろ姿が浮かんできた。
……好きだったんだけどな。
情けなくて、悔しくて、胸が痛い。
不意に肌触りの良い柔らかい布のような物が頬に当たる感触がした。
いつの間にか無意識のうちに涙が溢れていたようで、杏さんが高そうなハンカチで僕の涙を拭いてくれていた。
フラれて泣いているところを女性の上司に慰められるなんて、本当にカッコ悪い。
「すみません……みっともない部下で」
「部下だからいいんだ。気にするな」
なんだ、優しいとこもあるんだな。
見た目も頭も良くて仕事ができて、若くして出世した超エリートで、仕事にはストイックだけど自分の事には無関心っていうギャップがあって、無愛想だけど部下思いの上司。
そんな杏さんがもし男なら、きっと女の子にめちゃくちゃモテるんだろう。
その証拠に杏さんは、女性なのに男の僕なんかよりずっと男前だ。
タクシーを降りて、杏さんの肩を借りながら部屋に帰った。
杏さんは僕をベッドまで連れて行ってから、冷蔵庫を勝手に開けた。
僕はベッドに体を投げ出して、杏さんって女の人なのに力があるんだなぁ、なんて事を思いながらネクタイをゆるめる。
「ほら、水でも飲め」
冷たいミネラルウォーターの並々と注がれたグラスを差し出しされたけれど、僕は自力で起き上がる事もできない。
「仕方ないな」
杏さんはひとつため息をついてグラスをテーブルの上に置き、両手を僕の首の後ろに回してゆっくりと起こしてくれた。
「ほら。これで飲めるだろう」
差し出されたグラスを受け取って一気に水を飲み干すと、杏さんは少し腰を屈めて僕の様子を窺った。
「もっと飲むか?」
「杏さんって案外優しいんですね」
「ん……?案外は余計だな」
「美人でスタイルが良くて頭も良くて仕事ができて……おまけに優しいのに、なんで彼氏がいないんですか」
本音なのか酔っているからなのか僕の口は勝手に動いて、かなり失礼なことを言っている。
たとえ思っていたとしても普段の僕ならこんなこと絶対に言わないのに、酒の力って恐ろしい。
杏さんは呆れた様子で、僕の手からグラスを取り上げた。
「何バカな事を言ってるんだ。とりあえずもう一杯だな」
空いたグラスに水を注ぎに行く杏さんの後ろ姿が、やけに色っぽく見える。
後ろからいきなり抱きしめたら、杏さんはどんな顔をするだろう?
やっぱり驚いたりするのかな?
思いきり抱きしめて僕の唇であの形の良い唇を塞いで、自由を奪ってやりたい。
……って……僕はなにバカな事を考えているんだろう。
あー、杏さんが色っぽく見えるなんて、相当酔ってるな。
「ほら、もう一杯水飲んでさっさと寝ろ」
僕は差し出されたグラスを受け取り、また一気に水を飲み干した。
杏さんは髪をかき上げながら、心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
やっぱり色っぽい。
なぜだか無性に杏さんを抱きしめたくて、僕はさっきの僕からは考えられないような強い力で杏さんの腕を掴んだ。
「大丈夫……じゃ、ないです……」
杏さんは訝しげに眉を寄せた。
「もう少しだけ、ここにいてください」
「……どうした?」
「杏さんにはわかりませんよね……僕の気持ちなんて……」
僕は何を言ってるんだ?
こんな事、上司の杏さんに言ってどうするつもりなんだ?!
「あ、タクシー来ました」
酔っ払いの戯言なんかに耳も貸さないとでも言うかのように、矢野さんは僕の言葉を無視してタクシーに向かって手を挙げた。
矢野さんはタクシーの後部座席に僕を無理やり押し込んで、運転手に行き先を細かく説明した。
「それじゃあ杏さん、すみませんけど鴫野の事お願いします」
「ああ、任せとけ。ご苦労さん」
タクシーの中で僕は、酔って自分の思い通りにならない体の重みを杏さんの肩に預けた。
なんだかやけに杏さんの体温が心地いい。
重みに耐えられなくなったまぶたを閉じると、さっき見た美玖とあの男が腕を組んで歩いていく後ろ姿が浮かんできた。
……好きだったんだけどな。
情けなくて、悔しくて、胸が痛い。
不意に肌触りの良い柔らかい布のような物が頬に当たる感触がした。
いつの間にか無意識のうちに涙が溢れていたようで、杏さんが高そうなハンカチで僕の涙を拭いてくれていた。
フラれて泣いているところを女性の上司に慰められるなんて、本当にカッコ悪い。
「すみません……みっともない部下で」
「部下だからいいんだ。気にするな」
なんだ、優しいとこもあるんだな。
見た目も頭も良くて仕事ができて、若くして出世した超エリートで、仕事にはストイックだけど自分の事には無関心っていうギャップがあって、無愛想だけど部下思いの上司。
そんな杏さんがもし男なら、きっと女の子にめちゃくちゃモテるんだろう。
その証拠に杏さんは、女性なのに男の僕なんかよりずっと男前だ。
タクシーを降りて、杏さんの肩を借りながら部屋に帰った。
杏さんは僕をベッドまで連れて行ってから、冷蔵庫を勝手に開けた。
僕はベッドに体を投げ出して、杏さんって女の人なのに力があるんだなぁ、なんて事を思いながらネクタイをゆるめる。
「ほら、水でも飲め」
冷たいミネラルウォーターの並々と注がれたグラスを差し出しされたけれど、僕は自力で起き上がる事もできない。
「仕方ないな」
杏さんはひとつため息をついてグラスをテーブルの上に置き、両手を僕の首の後ろに回してゆっくりと起こしてくれた。
「ほら。これで飲めるだろう」
差し出されたグラスを受け取って一気に水を飲み干すと、杏さんは少し腰を屈めて僕の様子を窺った。
「もっと飲むか?」
「杏さんって案外優しいんですね」
「ん……?案外は余計だな」
「美人でスタイルが良くて頭も良くて仕事ができて……おまけに優しいのに、なんで彼氏がいないんですか」
本音なのか酔っているからなのか僕の口は勝手に動いて、かなり失礼なことを言っている。
たとえ思っていたとしても普段の僕ならこんなこと絶対に言わないのに、酒の力って恐ろしい。
杏さんは呆れた様子で、僕の手からグラスを取り上げた。
「何バカな事を言ってるんだ。とりあえずもう一杯だな」
空いたグラスに水を注ぎに行く杏さんの後ろ姿が、やけに色っぽく見える。
後ろからいきなり抱きしめたら、杏さんはどんな顔をするだろう?
やっぱり驚いたりするのかな?
思いきり抱きしめて僕の唇であの形の良い唇を塞いで、自由を奪ってやりたい。
……って……僕はなにバカな事を考えているんだろう。
あー、杏さんが色っぽく見えるなんて、相当酔ってるな。
「ほら、もう一杯水飲んでさっさと寝ろ」
僕は差し出されたグラスを受け取り、また一気に水を飲み干した。
杏さんは髪をかき上げながら、心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
やっぱり色っぽい。
なぜだか無性に杏さんを抱きしめたくて、僕はさっきの僕からは考えられないような強い力で杏さんの腕を掴んだ。
「大丈夫……じゃ、ないです……」
杏さんは訝しげに眉を寄せた。
「もう少しだけ、ここにいてください」
「……どうした?」
「杏さんにはわかりませんよね……僕の気持ちなんて……」
僕は何を言ってるんだ?
こんな事、上司の杏さんに言ってどうするつもりなんだ?!
0
お気に入りに追加
111
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
想い出は珈琲の薫りとともに
玻璃美月
恋愛
第7回ほっこり・じんわり大賞 奨励賞をいただきました。応援くださり、ありがとうございました。
――珈琲が織りなす、家族の物語
バリスタとして働く桝田亜夜[ますだあや・25歳]は、短期留学していたローマのバルで、途方に暮れている二人の日本人男性に出会った。
ほんの少し手助けするつもりが、彼らから思いがけない頼み事をされる。それは、上司の婚約者になること。
亜夜は断りきれず、その上司だという穂積薫[ほづみかおる・33歳]に引き合わされると、数日間だけ薫の婚約者のふりをすることになった。それが終わりを迎えたとき、二人の間には情熱の火が灯っていた。
旅先の思い出として終わるはずだった関係は、二人を思いも寄らぬ運命の渦に巻き込んでいた。
私の婚活事情〜副社長の策に嵌まるまで〜
みかん桜(蜜柑桜)
恋愛
身長172センチ。
高身長であること以外はいたって平凡なアラサーOLの佐伯花音。
婚活アプリに登録し、積極的に動いているのに中々上手く行かない。
名前からしてもっと可愛らしい人かと…ってどういうこと? そんな人こっちから願い下げ。
−−−でもだからってこんなハイスペ男子も求めてないっ!!
イケメン副社長に振り回される毎日…気が付いたときには既に副社長の手の内にいた。
ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?
同居離婚はじめました
仲村來夢
恋愛
大好きだった夫の優斗と離婚した。それなのに、世間体を保つためにあたし達はまだ一緒にいる。このことは、親にさえ内緒。
なりゆきで一夜を過ごした職場の後輩の佐伯悠登に「離婚して俺と再婚してくれ」と猛アタックされて…!?
二人の「ゆうと」に悩まされ、更に職場のイケメン上司にも迫られてしまった未央の恋の行方は…
性描写はありますが、R指定を付けるほど多くはありません。性描写があるところは※を付けています。
一夜限りのお相手は
栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月
【R18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません!〜
湊未来
恋愛
「ねぇ、本当に陰キャの童貞だって信じてたの?経験豊富なお姉さん………」
30歳の誕生日当日、彼氏に呼び出された先は高級ホテルのレストラン。胸を高鳴らせ向かった先で見たものは、可愛らしいワンピースを着た女と腕を組み、こちらを見据える彼の姿だった。
一方的に別れを告げられ、ヤケ酒目的で向かったBAR。
「ねぇ。酔っちゃったの………
………ふふふ…貴方に酔っちゃったみたい」
一夜のアバンチュールの筈だった。
運命とは時に残酷で甘い………
羊の皮を被った年下オオカミ君×三十路崖っぷち女の恋愛攻防戦。
覗いて行きませんか?
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
・R18の話には※をつけます。
・女性が男性を襲うシーンが初回にあります。苦手な方はご注意を。
・裏テーマは『クズ男愛に目覚める』です。年上の女性に振り回されながら、愛を自覚し、更生するクズ男をゆるっく書けたらいいなぁ〜と。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる