上 下
81 / 240
【悲報】試食不可 ~棚から落ちてきたぼた餅を実際に食べるのは勇気がいる~

しおりを挟む
何これ、ドッキリ?
『棚からぼた餅』とか『渡りに舟』を絵に描いたような話だ。
結婚を考えている八坂さんと付き合うって言うことは、結婚を前提に付き合うってことだよね?
学生の頃のお付き合いはいつだって、その場のノリだけで「付き合っちゃう?」みたいな軽い始まり方だったけど、大人になった今、結婚前提のお付き合いともなるとノリだけでは「付き合おう」なんて言わないだろう。
ここは迷わず『喜んで!』と即答するところなのに、こんなことを言われるのは生まれて初めてだから、脳がうまく処理できなくて返す言葉も見つからない。

「えーっと……その……」

思いきってOKしてしまおうかと思ったとき、またしても尚史の言葉が脳裏を掠めた。

『結婚するなら相手はちゃんと選んだ方がいいと思う。モモには後悔して欲しくない』

今この場で返事をしていいのかな?
逆に、今返事をしなかったら、後悔しないかな?
八坂さんと結婚しても大丈夫なのかとか、後悔しないかなんて、そんなことは実際に結婚してみないとわからない。
だって私は八坂さんのことをよく知らないし、八坂さんがなぜ私と付き合いたいと思ったのかもわからないから、結婚後のシミュレーションのしようもないのだ。
お付き合いをOKしても明日や明後日にいきなり結婚することはないだろうけど、どうしても『お願いします』の一言が出てこなかった。

「モモちゃん、大丈夫?」

私が黙り込んでしまったからか、八坂さんが心配そうに私を見た。
いつになったら返事をするんだと思われているかも知れない。

「あっ……すみません。ちょっとビックリして、頭が真っ白になっちゃって……」
「そうだよね。じゃあ返事は少し待つから、今じゃなくていいよ」


それからレストランを出て、駅までの道のりを八坂さんと一緒に歩いた。
この道をいつも尚史と一緒に歩いていたせいか、隣を歩いている八坂さんとの身長差とか、八坂さんの声や話し方にまで違和感を覚える。
本当に八坂さんと付き合うことになって一緒にいることに慣れたら、この違和感もなくなるんだろうか。

「デートは土曜日かぁ。うーん、でももっと早く会いたいな……。もし金曜日の仕事が早く終わったら、誘ってもいい?」
「たぶん大丈夫だと……」
「じゃあ返事はそのときに聞かせてくれる?」
「はい……」

どうせOKするなら早い方がいいとわかっているけれど、今日はもう私の気力も限界だ。
食事をするだけでこんなに疲労困憊するとは思わなかった。
金曜日に会って返事をするか、トークメッセージを送るのもアリだと思う。
駅に着くと八坂さんは電車の駅の少し向こうにある地下鉄の駅の入り口の方を指さした。

「じゃあ俺は地下鉄だからここで」
「あ……はい」

尚史とは家がすぐ近所だから家まで送ってもらうのが当たり前だったけど、近所でなければ夜の遅い時間でも駅で別れるのが当たり前なんだろうか。
ふとした拍子についつい尚史と比べてしまっている自分に気付き、八坂さんに対して少し申し訳ない気持ちになる。

「今日は誘っていただいてありがとうございました」

私がお辞儀をして頭を上げると、八坂さんは私の肩を軽く抱き寄せて耳元に顔を近付けた。
その瞬間、全身の毛が逆立つようなゾワゾワとした不快な感覚に襲われ、背中には震えそうになるほど冷たいものが走る。

「好きだよ、モモちゃん。次に会えるときは、いい返事期待してる」

生まれて初めて男性から告白されたと言うのに、私の胸はドキドキとかキュンキュンと言った類いの甘い音は立てず、ザラザラと言うかギシギシと言うか、とてつもなく手触りの悪い動物の皮とか、とても目の粗い紙ヤスリみたいなもので撫でられたような不快な音を立てた。
それと同時に耳に響く八坂さんの声までもが、不気味な色をした粘着質の液体のように感じられて、思いきり突き飛ばしたい衝動に駆られる。
私は体を強ばらせ、拳を握りしめてその衝動に耐えた。

しおりを挟む

処理中です...