54 / 60
最後の願い
7
しおりを挟む
おじさんとの約束を守ろうか、それとももう一度会いに行こうかと迷っているうちに数週間が過ぎ、競馬場に行ってもねえさんとは一度も会えず、指輪を渡すことはできなかった。
その日僕は、仕事を終える頃に妙な胸騒ぎを覚えた。
なんだろう、気のせいかなと思いながらジムに足を運びかけたけれど、気が付けば僕の足は駅に向かっていた。
なぜだろうと不思議に思いながら不意に手を入れた鞄のポケットの中で、おじさんから預かった指輪の入った小箱が指先に触れた。
どうしてこんな所にこれがあるのか?
夕べ遅く、寝ぼけていたのか、バッグの中の物を通勤鞄のポケットに移した記憶が微かに蘇る。
僕は仕事を終える頃に覚えた妙な胸騒ぎを思い出し、スマホを出しておじさんのいるホスピスの場所を調べた。
おじさんに会いに行こう。
男同士の約束をやぶるのは忍びないけれど、そんなことを言っている余裕は僕の中にはなかった。
電車を乗り継いで1時間ほどかけてたどり着いたその建物は、人目を忍ぶようにひっそりと佇んでいた。
『木蓮の家』と小さなプレートが掛けられた玄関のドアを開けると、スタッフらしき人たちが慌ただしく動き回っていた。
受付の前で立ち尽くす僕に、スタッフの名札をつけた初老の男性が声を掛けてくれた。
おじさんに会いたいと言おうとしたけれど、困ったことに、僕はおじさんの名前を知らない。
僕が知る限りの、背格好や病状などのおじさんについての情報を話すと、その人はすぐにおじさんのことだと気付いてくれた。
案内されたその部屋で、おじさんは安らかな顔をして眠っていた。
「ついさっきな、息を引き取ったんや」
その人はおじさんの最期の様子を教えてくれた。
苦しむ様子はなく、ただ一言『幸せにしてやれんでごめんな』と呟いて、静かに逝ったそうだ。
ホスピスのスタッフが、おじさんの伸びた髭をカミソリで綺麗に剃って、濡らしたタオルで丁寧に顔を拭き、ボサボサに伸びた髪を櫛で整えた。
「おじさん、ホントはこんなイケメンだったんですね。隠してるなんてずるいよ……」
もう目を開けることはないおじさんの痩せた手を握りしめて、僕は泣いた。
もっと早く会いに来れば良かった。
思い出すことはできなくても、せめてもう一度、ねえさんと会わせてあげたかった。
おじさん、ごめんなさい。
僕はねえさんの心の隙間につけこんで、この手でおじさんの大切なねえさんを抱きました。
ねえさんの心は、本当は僕を求めてなんかいなかったのに。
だけど僕は、どんなつらい過去を聞いても、ねえさんが好きです。
おじさんの代わりに、とは言いません。
僕は、僕自身のこの手で、ねえさんの笑顔をずっと守りたい。
できるなら、おじさんよりもねえさんを幸せにしたいです。
おじさんは、それを許してくれますか?
その日僕は、仕事を終える頃に妙な胸騒ぎを覚えた。
なんだろう、気のせいかなと思いながらジムに足を運びかけたけれど、気が付けば僕の足は駅に向かっていた。
なぜだろうと不思議に思いながら不意に手を入れた鞄のポケットの中で、おじさんから預かった指輪の入った小箱が指先に触れた。
どうしてこんな所にこれがあるのか?
夕べ遅く、寝ぼけていたのか、バッグの中の物を通勤鞄のポケットに移した記憶が微かに蘇る。
僕は仕事を終える頃に覚えた妙な胸騒ぎを思い出し、スマホを出しておじさんのいるホスピスの場所を調べた。
おじさんに会いに行こう。
男同士の約束をやぶるのは忍びないけれど、そんなことを言っている余裕は僕の中にはなかった。
電車を乗り継いで1時間ほどかけてたどり着いたその建物は、人目を忍ぶようにひっそりと佇んでいた。
『木蓮の家』と小さなプレートが掛けられた玄関のドアを開けると、スタッフらしき人たちが慌ただしく動き回っていた。
受付の前で立ち尽くす僕に、スタッフの名札をつけた初老の男性が声を掛けてくれた。
おじさんに会いたいと言おうとしたけれど、困ったことに、僕はおじさんの名前を知らない。
僕が知る限りの、背格好や病状などのおじさんについての情報を話すと、その人はすぐにおじさんのことだと気付いてくれた。
案内されたその部屋で、おじさんは安らかな顔をして眠っていた。
「ついさっきな、息を引き取ったんや」
その人はおじさんの最期の様子を教えてくれた。
苦しむ様子はなく、ただ一言『幸せにしてやれんでごめんな』と呟いて、静かに逝ったそうだ。
ホスピスのスタッフが、おじさんの伸びた髭をカミソリで綺麗に剃って、濡らしたタオルで丁寧に顔を拭き、ボサボサに伸びた髪を櫛で整えた。
「おじさん、ホントはこんなイケメンだったんですね。隠してるなんてずるいよ……」
もう目を開けることはないおじさんの痩せた手を握りしめて、僕は泣いた。
もっと早く会いに来れば良かった。
思い出すことはできなくても、せめてもう一度、ねえさんと会わせてあげたかった。
おじさん、ごめんなさい。
僕はねえさんの心の隙間につけこんで、この手でおじさんの大切なねえさんを抱きました。
ねえさんの心は、本当は僕を求めてなんかいなかったのに。
だけど僕は、どんなつらい過去を聞いても、ねえさんが好きです。
おじさんの代わりに、とは言いません。
僕は、僕自身のこの手で、ねえさんの笑顔をずっと守りたい。
できるなら、おじさんよりもねえさんを幸せにしたいです。
おじさんは、それを許してくれますか?
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
灰かぶり姫の落とした靴は
佐竹りふれ
ライト文芸
中谷茉里は、あまりにも優柔不断すぎて自分では物事を決められず、アプリに頼ってばかりいた。
親友の彩可から新しい恋を見つけるようにと焚きつけられても、過去の恋愛からその気にはなれずにいた。
職場の先輩社員である菊地玄也に惹かれつつも、その先には進めない。
そんな矢先、先輩に頼まれて仕方なく参加した合コンの店先で、末田皓人と運命的な出会いを果たす。
茉里の優柔不断さをすぐに受け入れてくれた彼と、茉里の関係はすぐに縮まっていく。すべてが順調に思えていたが、彼の本心を分かりきれず、茉里はモヤモヤを抱える。悩む茉里を菊地は気にかけてくれていて、だんだんと二人の距離も縮まっていき……。
茉里と末田、そして菊地の関係は、彼女が予想していなかった展開を迎える。
第1回ピッコマノベルズ大賞の落選作品に加筆修正を加えた作品となります。
手紙屋 ─ending letter─【完結】
Shizukuru
ライト文芸
終わりは突然、別れは必然。人が亡くなるとはそう言う事だ。
亡くなった人の想いの欠片が手紙となる。その手紙を届ける仕事こそ、黒須家で代々受け継がれる家業、"手紙屋"である。
手紙屋の見習いである黒須寧々子(JK)が仕事をこなしている時に、大事な手紙を白猫に取られてしまった!
白猫を探して辿り着いた神社で出会ったのは……金髪、カラコン、バチバチピアスのド派手な美形大学生だった。
顔はいいが、性格に難アリ。ヤダこの人と思ったのに……不思議な縁から始まる物語。
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
想妖匣-ソウヨウハコ-
桜桃-サクランボ-
キャラ文芸
深い闇が広がる林の奥には、"ハコ"を持った者しか辿り着けない、古びた小屋がある。
そこには、紳士的な男性、筺鍵明人《きょうがいあきと》が依頼人として来る人を待ち続けていた。
「貴方の匣、開けてみませんか?」
匣とは何か、開けた先に何が待ち受けているのか。
「俺に記憶の為に、お前の"ハコ"を頂くぞ」
※小説家になろう・エブリスタ・カクヨムでも連載しております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる