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完全降伏宣言

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お風呂から上がった愛美は、洗面所の鏡の前で髪を乾かしていた。

「あっ……!」

不意に、通販で買った化粧品の代金を今日中にコンビニで支払わなければいけなかった事を思い出して声を上げる。
歓迎会の帰りにコンビニに寄って支払おうと思っていたのに、駅から自宅までの道のりをぼんやりしながら歩いていて、すっかり忘れていた。

   (どうしようかな……。明日にするか……。でも下手に気付いちゃったから、済ませておかないと気になって眠れなくなりそう……)

壁時計を見上げると、まだ10時を過ぎたところだった。
自宅から近所のコンビニまでは歩いて3分程度だし、金曜のこの時間ならば、まだ人通りもある。
お風呂に入ったので化粧は落としてしまったけれど、すぐそこのコンビニまでなら問題ないだろう。

  (よし、急いで行って来よう)

愛美はマフラーを巻き、丈の長い上着を着て、バッグを持って自宅を出た。
エレベーターのボタンを押そうとすると、タッチの差で下に降りてしまった後だった。
エレベーターが一度1階まで行って戻ってくるには時間が掛かる。

   (上がってくるのを待ってるより、階段で降りた方が早そう……)

愛美はエレベーターをあきらめ、階段で1階まで降りる事にした。
愛美が階段で1階にたどり着く頃、エレベーターは一人の男を乗せて、愛美の部屋のある階に戻ってきた。
背の高いその男は、エレベーターを降りると急ぎ足でマンションの廊下を歩いた。
そして愛美の部屋の前に立ち止まり、沈痛な面持ちでインターホンのボタンを押した。



緒川支部長は、愛美の部屋の前に立っていた。
インターホンのボタンを押しても、なんの応答もない。
まだ帰っていないのかと思い、スーツのポケットからスマホを取り出して電話を掛けてみても、呼び出し音が何度も鳴り続けた後で留守番電話になってしまう。
今夜は帰って来ないつもりなのだろうか。
電話に出るのもイヤになるほど嫌われてしまったのだろうか。
愛美はどこにいるのだろう?



高瀬FPから話を聞いた後、緒川支部長は居ても立ってもいられず、二次会の途中でカラオケボックスを飛び出した。
お酒を飲んでいるので、車は運転できない。
タクシーで愛美の部屋に向かおうとすると、タクシー乗り場には長蛇の列ができていた。
ここでじっと待っているより、電車で行った方が早いと考えて駅に駆け込み、電車に飛び乗った。
電車の中で窓の外を流れる景色を見つめながら、みっともなく嫉妬などして、つまらない意地を張っていた自分を責めた。
高瀬FPが言っていた噂は、本当かどうかわからない。
事実を確かめなければと思う気持ちと、もし本当だったらという恐怖心が入り交じって、イヤな汗が流れた。
もし高瀬FPの言っていた事が本当の事だったらと思うと胸が痛くて、苦しくて、うまく呼吸もできない。
だけど、今このまま愛美を離してしまったら、一生後悔すると思った。
愛美を幸せにすると言ったのは自分なのに、その手を取って愛美を幸せな未来へ導く役目を、他の男に譲るなんて考えられない。
この先一生愛美を離したくないし、何があっても、絶対に離さない。
緒川支部長は握りしめた拳を額にあてて、噂はただの噂であって欲しいと強く願った。


何度インターホンのボタンを押しても、電話を掛けても、愛美は出てくれない。
緒川支部長はドアの前にうずくまり、両手で抱えた膝の上に額を乗せた。

   (もしかして……もう、手遅れ……?)

長い片想いの末に、やっとこの手で抱きしめた愛美を失いたくない。
愛美が隣で笑っていてくれたらそれだけで良かったはずなのに、いつの間にかどんどん欲張りになって、もっと甘えて欲しいとか、どうして頼ってくれないんだとか、自分勝手に愛美を責めた。

   (ごめん……。なかなか会えなくても、愛美はいつも文句のひとつも言わないで、笑って俺を待っててくれたのに……)

愛美がどんなに甘えたくても、甘えられないようにしていたのは自分なのかも知れない。
仕事が終わるのが遅くなった日は、『仕事だから仕方がない』と自分に言い訳をして、会いに来なかった。
愛美は過去の恋愛のトラウマから、ハッキリとした時間を約束せずに待つことが苦手なはずなのに、仕事が早く終わった日に急に会いに来ても、いつも夕飯を用意して待っていてくれた。
おそらく毎日、二人分の夕飯を用意して、来るか来ないかもわからない自分を待っていてくれたのだと初めて気付く。
愛美はそんな事は一言も言わなかったし、料理を無駄にしたと責められた事もなかった。

   (甘えてたのは俺の方だ……。こんな頼りなくて情けない俺じゃ、愛美が安心して甘えられないのは当然だよ……)

知らず知らずのうちに、涙が溢れた。
いくら手の甲で拭っても、涙は情けなく頬を濡らす。

   (でも俺は愛美がいないと、うまく笑うこともできないよ……。どこを目指して歩けばいいのかも、どうやって息をすればいいのかもわからない……)



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