上 下
33 / 57
独り歩きする噂

しおりを挟む
オバサマたちは彩り鮮やかな押し寿司に目を輝かせている。
愛美が押し寿司を眺めていると、健太郎が愛美の耳元に顔を寄せた。

「愛美、誕生日おめでとう」
「覚えてたの?」

もう何年も一緒にお祝いなどしていないのに、健太郎が誕生日を覚えていてくれた事に愛美は驚いた。

「忘れるわけないだろう。昔、愛美の誕生日パーティーでさ、おばさんがいつもケーキみたいな押し寿司作ってくれたじゃん。愛美は子どもの頃から甘い物が苦手だったもんな」
「そうだね。すごく懐かしい」

子どもの頃は毎年、誕生日を幼馴染みと一緒にお祝いした。
愛美の母親はケーキが苦手な愛美のために、子どもたちが喜ぶようにと、ケーキに見立てた綺麗な押し寿司を作ってくれた。
大人になるとそんな誕生日パーティーもしなくなったので、誕生日にはいつも母の作ってくれたケーキのような押し寿司があった事を、愛美は忘れかけていた。
この歳になってまた同じように、幼馴染みの健太郎が祝ってくれた事は、驚くと同時に照れくさくもあるけれど、素直に嬉しかった。

「彼女だったらもっといろいろしてやるんだけどな。幼馴染みだからこれくらいでいいか?」
「じゅうぶんだよ。ありがとね」

健太郎は愛美の頭をポンポンと軽く叩き、笑って座敷を後にした。

   (いくつになっても、こういう所は変わらないんだな……)

愛美はそんな事を思いながら、健太郎の作ってくれた押し寿司を口に運んだ。
それはどこか懐かしく、優しい味がした。


みんなが美味しそうに押し寿司を食べていると緒川支部長が戻ってきた。

「ん?こんなのあったっけ?」

緒川支部長が押し寿司を指差して佐藤さんに尋ねた。

「オーナーからのサービスですって。支部長もどうぞ」

佐藤さんは小皿に押し寿司を取り分けて緒川支部長に手渡す。
その様子を視界の端にとらえながら、愛美は黙々と押し寿司を食べた。

   (みんなの前で誕生日とか言うと、また特別扱いみたいでみんなに冷やかされるって思ったから、サービスって言ったのかな?)

取り分けられた押し寿司は、もうケーキのような形をしていない。
緒川支部長は何も気付くそぶりを見せず、ただ普通に佐藤さんから受け取った押し寿司を食べている。

   (せめて誕生日くらいは一緒にいてくれたらなって思ってたけど……今日が私の誕生日だって事も、忘れちゃったのかな……)



歓迎会がお開きになり、何人かがカラオケに行って二次会をしようと言い出した。
緒川支部長と高瀬FPは、二次会に行こうとオバサマたちに囲まれている。
佐藤さんも二次会に参加するようだ。
愛美も誘われたけれど、断って帰る事にした。
これ以上佐藤さんと一緒にいる緒川支部長を見ていても、きっと虚しくなるだけだ。
愛美は店の前でみんなと別れ、電車に乗り、暗い夜道を歩いて一人家路に就いた。



自宅に帰った愛美は、一人でお酒でも飲もうかと冷蔵庫を開けたけれど、とてもそんな気分にはなれずミネラルウォーターで喉の渇きを癒した。
住み慣れたはずの一人暮らしの部屋は、やけに広く静かに感じられた。
祝ってもらいたい人のいない誕生日は、いつもと変わりなく時間が過ぎていく。
今頃きっと『政弘さん』は恋人の誕生日も忘れて、緒川支部長の顔で職員たちに囲まれ、佐藤さんと一緒に二次会に参加しているはずだ。

   (もう子どもじゃないんだし、誕生日祝ってもらうような歳でもないか……。お風呂入ってさっさと寝ちゃおう……)


バスタブにお湯を張って、いつもは使わないバスソルトを入れた。
花の香りのする淡いピンク色のお湯に体を浸して目を閉じる。

(ひとりぼっちの誕生日か……)

贅沢なんてしなくてもいい。
プレゼントも何もいらない。
ただ『政弘さん』がここにいて、大好きだよと笑ってくれたら、それだけで良かったのに。

   (誕生日を忘れちゃうくらい、私の事なんかどうでも良くなっちゃったのかな……)

じわりと浮かんで溢れた涙が頬を伝い、ピンク色のお湯の中にポトリと落ちた。

『愛美にとって……俺ってなんなの?』

不意に『政弘さん』の言葉が脳裏を掠めた。

   (なんなの?って……なんでわかんないの?……っていうか、逆に聞きたいくらいだよ……。今の私、政弘さんのなんなの?)

仕事中の彼は嫌いだと思っていたはずなのに、緒川支部長が佐藤さんと一緒にいるところを見て、不安になったり嫉妬したりした。
上司と部下なのだから、どんなに無茶な仕事を押し付けられて腹が立っても、仕事だから仕方ないと割り切れる。
だけど仕事中であっても、避けられたり嫌われたりするのは、つらい。
どんなを格好していても、彼が『政弘さん』である事はたしかなのだから。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

時間を止めて ~忘れられない元カレは完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な人でした 【完結】

remo
恋愛
どんなに好きになっても、彼は絶対に私を愛さない。 佐倉ここ。 玩具メーカーで働く24歳のOL。 鬼上司・高野雅(がく)に叱責されながら仕事に奔走する中、忘れられない元カレ・常盤千晃(ちあき)に再会。 完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な彼には、悲しい秘密があった。 【完結】ありがとうございました‼

極道に大切に飼われた、お姫様

真木
恋愛
珈涼は父の組のため、生粋の極道、月岡に大切に飼われるようにして暮らすことになる。憧れていた月岡に甲斐甲斐しく世話を焼かれるのも、教え込まれるように夜ごと結ばれるのも、珈涼はただ恐ろしくて殻にこもっていく。繊細で怖がりな少女と、愛情の伝え方が下手な極道の、すれ違いラブストーリー。

元カノと復縁する方法

なとみ
恋愛
「別れよっか」 同棲して1年ちょっとの榛名旭(はるな あさひ)に、ある日別れを告げられた無自覚男の瀬戸口颯(せとぐち そう)。 会社の同僚でもある二人の付き合いは、突然終わりを迎える。 自分の気持ちを振り返りながら、復縁に向けて頑張るお話。 表紙はまるぶち銀河様からの頂き物です。素敵です!

恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~

神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。 一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!? 美味しいご飯と家族と仕事と夢。 能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。 ※注意※ 2020年執筆作品 ◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。 ◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。 ◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。 ◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。 ◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。

ロマンティックの欠片もない

水野七緒
恋愛
27歳にして処女の三辺菜穂(みなべ・なほ)は、派遣先で元カレ・緒形雪野(おがた・ゆきの)と再会する。 元カレといっても、彼の気まぐれで高校時代にほんの3ヶ月ほど付き合っただけ──菜穂はそう思っていたが、緒形はそうでもないようで……

溺愛なんてされるものではありません

彩里 咲華
恋愛
社長御曹司と噂されている超絶イケメン 平国 蓮 × 干物系女子と化している蓮の話相手 赤崎 美織 部署は違うが同じ会社で働いている二人。会社では接点がなく会うことはほとんどない。しかし偶然だけど美織と蓮は同じマンションの隣同士に住んでいた。蓮に誘われて二人は一緒にご飯を食べながら話をするようになり、蓮からある意外な悩み相談をされる。 顔良し、性格良し、誰からも慕われるそんな完璧男子の蓮の悩みとは……!?

【完結】maybe 恋の予感~イジワル上司の甘いご褒美~

蓮美ちま
恋愛
会社のなんでも屋さん。それが私の仕事。 なのに突然、企画部エースの補佐につくことになって……?! アイドル顔負けのルックス 庶務課 蜂谷あすか(24) × 社内人気NO.1のイケメンエリート 企画部エース 天野翔(31) 「会社のなんでも屋さんから、天野さん専属のなんでも屋さんってこと…?」 女子社員から妬まれるのは面倒。 イケメンには関わりたくないのに。 「お前は俺専属のなんでも屋だろ?」 イジワルで横柄な天野さんだけど、仕事は抜群に出来て人望もあって 人を思いやれる優しい人。 そんな彼に認められたいと思う反面、なかなか素直になれなくて…。 「私、…役に立ちました?」 それなら…もっと……。 「褒めて下さい」 もっともっと、彼に認められたい。 「もっと、褒めて下さ…っん!」 首の後ろを掬いあげられるように掴まれて 重ねた唇は煙草の匂いがした。 「なぁ。褒めて欲しい?」 それは甘いキスの誘惑…。

隣人はクールな同期でした。

氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。 30歳を前にして 未婚で恋人もいないけれど。 マンションの隣に住む同期の男と 酒を酌み交わす日々。 心許すアイツとは ”同期以上、恋人未満―――” 1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され 恋敵の幼馴染には刃を向けられる。 広報部所属 ●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳) 編集部所属 副編集長 ●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳) 本当に好きな人は…誰? 己の気持ちに向き合う最後の恋。 “ただの恋愛物語”ってだけじゃない 命と、人との 向き合うという事。 現実に、なさそうな だけどちょっとあり得るかもしれない 複雑に絡み合う人間模様を描いた 等身大のラブストーリー。

処理中です...