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噂と駆け引き

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4時を少し過ぎた頃、緒川支部長と佐藤さんが支部に戻ってきた。
内勤席に愛美の姿がない事に、緒川支部長は首をかしげる。

「支部長、おかえりなさい。お疲れ様です」

入り口の近くの席の金井さんが声を掛けた。

「ただいま……。金井さん、菅谷は?」
「ああ……菅谷さんなら……」

金井さんが答えようとした時、愛美が健太郎の肩を借りて、ヒョコヒョコと右足をかばいながら支部に戻ってきた。

「あ、ちょうど帰ってきた。菅谷さん、おかえりなさい」
「すみません……勤務時間中に……」

緒川支部長は愛美と健太郎の姿を見て、眉間にシワを寄せた。

「出掛けてたのか?」
「あ、支部長……。すみません、病院に……」
「……そうか」

ぶっきらぼうにそう言って、緒川支部長は支部長席へ戻って行く。
健太郎はその背中をチラリと見ながら、愛美を内勤席の椅子に座らせた。

「じゃあ、帰り迎えに来るから」
「もういいって……。自分で帰れる」
「絶対来るからな。待ってろよ」

愛美の頭をポンポンと軽く叩いて、健太郎は去って行った。

「ちょっと……!」

   (もう勘弁してよ……。これ以上変な目で見られたくないのに……)

愛美がため息をつきながらパソコンに向かった時、緒川支部長が内勤席のそばに来て封筒を差し出した。

「菅谷、これ頼む」
「あ……ハイ」

愛美がそれを受け取ろうと手を出すと、緒川支部長は小さな声でボソリと呟いた。
その言葉に、愛美は目を見開いて顔を上げた。

「え……?」

緒川支部長は愛美に背を向けて支部長席へ戻って行く。

『あいつの言う事なら素直に聞けるんだ』

苛立たしげな緒川支部長の言葉が、何度もくりかえし愛美の耳の奥で響いた。




緒川支部長は支部長席で険しい顔をしてパソコン画面に向かっている。
いつもはおしゃべりなオバサマたちが、緒川支部長のピリピリした空気を感じ取って、いつになく大人しい。
愛美は内勤席で契約のデータ処理をしながら、さっきの緒川支部長の言葉を思い出していた。

   (支部長が病院に行こうって言った時は思いっきり拒否したのに、結局健太郎に無理やり連れて行かれちゃったからな……)

もしかすると、健太郎に病院へ連れて行かれたのが、緒川支部長の留守中だった事も気に障ったのかも知れない。

   (支部長が気を悪くしても仕方ない……。後で謝ろう……)



定時になり短い夕礼が済んだ後、愛美はゆっくりと椅子から立ち上がった。
痛む足をかばいながら支部長席に向かって歩いていると、突然後ろから両肩を掴まれる。
振り返ると、それは案の定、健太郎だった。

「愛美、帰るぞー」
「来なくていいって言ったのに……」
「家まで送ってくから」
「自分で帰れるからいい!」
「無理すんな。その足じゃまともに歩けないだろ」
「もういいってば!」

愛美が健太郎を振りきろうとしていると、緒川支部長がパソコンの画面に視線を向けたまま、突然拳で机を叩いた。
支部全体がシーンと静まり返る。

「うるさい。痴話喧嘩はよそでやれ」

冷ややかなその声に、オバサマたちは口を閉ざして縮み上がった。

「……すみません……」

愛美は深々と頭を下げた。
峰岸主管が、眉間にシワを寄せてパソコンの画面をにらみつけている緒川支部長と、シュンと肩を落とす愛美を交互に見て小さくため息をついた。

「菅谷さん、帰りは送るから残業できる?手伝って欲しい事があるの」
「……ハイ」
「そういう事だから……中島さん、菅谷さんは私が送るから安心して」




愛美はもう随分長い時間、内勤席で黙々と保険商品のチラシに社判を押し続けている。
どう考えても、内勤職員の愛美が残業をしてまでするような作業ではない。
営業職員のオバサマたちは支部に居づらかったのか、いつもなら夕礼後もおしゃべりをしながらのんびりしているのに、今日はさっさと雑務を片付けて、あっという間に帰って行った。
もしかすると峰岸主管はこちらの気持ちを察して、角を立てないように健太郎を返してくれたのかも知れないと思いながら、愛美はひたすら社判を押し続ける。
6時半を過ぎた頃、峰岸主管がそばに来て愛美の肩をポンと叩いた。

「菅谷さん、もうそれくらいでいいわ」
「あ……ハイ」
「チラシに社判が押してあると、手間が省けて助かるのよねぇ。急いでる時なんか特に」

峰岸主管はそんな事を言いながら、社判を押したチラシを商品別に棚に並べる。
愛美は社判を引き出しにしまいながら、そっと緒川支部長の様子を窺った。

  (仏頂面で、一言もしゃべらない……)

緒川支部長は元々口数が少ないし、仏頂面なんていつもの事なのに、今は全力で愛美を遠ざけているように感じた。

『あいつの言う事なら素直に聞けるんだ』

緒川支部長の言葉がまた頭をよぎる。
あの時は緒川支部長じゃなくて『政弘さん』にそう言われたような気がした。


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