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噂と駆け引き

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緒川支部長が支部を出て1時間ほど経った頃、健太郎がまた支部に顔を出した。

「愛美、足大丈夫か?」
「……大丈夫じゃない。ってか、また来たの?」
「ランチも済んだし暇な時間なんだ。店長とバイトに店任せてきた」
「暇だからって遊びに来ないでよ。こっちは仕事中なんだから」

愛美は健太郎の自由さに呆れてため息をつきながら、契約書類のデータ処理を進める。

「弁当、うまかっただろ?」
「おいしかったけど……ちょっと量が多いよ。毎日あんなにたくさん食べてたら太っちゃう」

文句を言いながらも完食したんだなと、健太郎は嬉しそうに笑う。

「ならちょうどいいじゃん。もっと肉つけた方が色気あっていいぞ」
「だから、そういうのセクハラだって……。仕事の邪魔だからもう戻って。ついでにお弁当箱持ってってくれる?……よし、完了っと」

エンターキーを押してデータ入力を終えた愛美は、健太郎にお弁当箱を渡した。

「緒川さんは?」
「新人さんに同行してる。そうだ、健太郎のせいで支部長に拉致されかけたんだからね」
「拉致?」
「病院連れてくって言って、みんなの見てる前で米みたいに肩に担ぎ上げられて……。すごい恥ずかしかったんだから」

健太郎はニヤッと笑って、何を思ったか愛美に弁当箱を持たせた。

「愛美、保険証持ってる?」
「持ってるけど……何?」
「その鞄の中?」
「うん」

保険証が入っている鞄を掴み愛美の膝の上に乗せると、健太郎は愛美を素早く横抱きにした。

「ちょっと!!いきなり何すんの?!」
「病院行こ。俺が怪我させたんだしな」
「仕事終わったら自分で行くってば!!」

オバサマたちは、また健太郎にお姫様だっこされている愛美を見てニヤニヤしている。

「すみませーん、ちょっとお借りしまーす」
「どうぞー。オーナーが怪我させたんだから、責任取ってあげてねー」
「もちろんでーす」
「はーなーせー!!」

   (何が責任取ってあげてねだ!!他人事だと思いやがって!!)

健太郎は愛美を抱きかかえたままエレベーターのボタンを押した。
隣の第一支部の職員たちが、何事かと二人を見ている。

「オーナー、菅谷さん連れてどこ行くの?」

喫煙スペースにいた、噂好きで有名な第一支部の溝口ミゾグチさんが、楽しそうに笑って健太郎に声を掛けた。

「病院です。責任取ろうと思って」
「ちょっと!!おかしな言い方やめてよ!」

   (変な誤解されたらどうすんだ!!)

好奇の眼差しを受けながら、健太郎は愛美を抱いてエレベーターに乗り込んだ。

「結婚式には呼んでね」
「もちろんです!」
「そんなんじゃないんです!!」

愛美の叫びも虚しくドアは閉まる。

   (絶対変な噂される……!!)


エレベーターの扉が閉まるや否や、溝口さんは第一支部のオフィスに飛び込んだ。

「ねぇねぇ、聞いて!やまねこのオーナーが責任取るって言って、菅谷さんを抱いて病院に連れてったわよ!」
「えっ?!もしかしてそれって……」
「オメデタ?!」

愛美の懸念していた通り、その噂は一瞬のうちに第一支部の職員に広まった。



その頃。
第二支部では、オバサマたちがお茶を飲んだり事務作業をしたりしながら、のんびりおしゃべりに興じていた。

「菅谷さんも隅に置けないわねぇ」
「まぁ、実際かわいいしね」
「あんなイケメンな幼馴染みが突然出て来たもんだから、支部長も気が気でないでしょう」
「なんともないふりしてるけど、焦ってるのバレバレ」
「好きなら好きって言えばいいのに、顔合わせると憎まれ口ばかり叩いてさぁ」
「前からわかってたけど、支部長って菅谷さんの事ホントに好きよねぇ」

愛美と緒川支部長が付き合っている事を知らないオバサマたちは、緒川支部長が一方的に愛美を好きだと思っているようだ。

「でもホラ、佐藤さんが……」
「ああ……昔付き合ってたって」
「オーナーは菅谷さん狙ってるみたいだし、あんな仲のいいとこ見せつけられてたら、支部長そのうち佐藤さんに気移りしちゃうかも……」
「それもあるかもね」

鞄の中の資料を整理しながら黙ってオバサマたちの話を聞いていた高瀬FPが、思わず手を止めて顔を上げた。

「初耳ですね。佐藤さんと支部長ってそんな関係なんですか?」
「らしいわよ。佐藤さん本人から聞いたの」
「ふーん……。でもそういう個人的な話は、あまり気軽にしない方がいいですよ。どこで誰が聞いてるかわからないですから。変な噂が広がると噂された当人たちが仕事しづらくなるし、下手すると支部長が異動させられるかも」
「そうね、それは困るわ」
「じゃあ、この話はおしまいという事で」

高瀬FPがたしなめると、オバサマたちは納得した様子でおしゃべりをやめて仕事に戻った。


この時、隣の第一支部で『菅谷さんがやまねこのオーナーの子を妊娠していて、結婚する事になった』というデタラメな噂が広まっている事など、第二支部の職員たちは知るよしもなかった。



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