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弱い男の嫉妬と自己嫌悪

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翌日、土曜日。
愛美は自宅で一人、のんびりと家事をして過ごしていた。
『政弘さん』は今日も支部に出勤している。
増産月が終わり落ち着いたとは言え、休日の今日も出勤している職員がいるからだ。
昨日の晩も仕事の後に営業部長に飲みに行こうと誘われたとかで、『政弘さん』とは会えなかった。
多く作りすぎた夕べのおかずで昼食を済ませた愛美は、昼過ぎから買い物に出掛けた。
今晩のおかずは何にしようか。
『政弘さん』は仕事の後に来るだろうか。
そんな事を考えながらカートを押した。

   (今日は牛肉が安い……。久しぶりにハッシュドビーフにしようかな……)

牛肉のパックを手に取り、手頃な量の物を選んでかごに入れた。
『政弘さん』と付き合い始めてから、仕事で疲れていても『政弘さん』が美味しそうに食べる顔を思い浮かべると、一人の時は面倒だった食事の支度が億劫ではなくなった。

   (宮本さんたちは料理のできる人がいいって言ってたけど……私は政弘さんに自分の作った料理を食べてもらいたいから、政弘さんが料理できなくても別に気にならないな……)

今はそう思っているけれど、結婚したら自分も変わるのだろうか?
独身の愛美にとって、結婚は未知の世界だ。
ましてや子供のいる生活なんて、想像もつかない。
『政弘さん』と結婚の話をした事はまだないけれど、いずれはそうなればいいなと思う。
だけどそれは、まだまだ先の話だとも思う。

   (今は政弘さんと一緒にいられるだけで、じゅうぶん幸せ……。会いたいな、政弘さん……。今日は会えるかな……)



時計の針が4時を指した。
支部長席でパソコンとにらめっこをしていた緒川支部長が息をついて立ち上がり、大きく伸びをしてブラインドの隙間から窓の外を眺めた。
隣のビルの、まだ新しい『居酒屋 やまねこ』の看板をじっと見て眉をひそめる。

   (隣のビルにあいつがいると思うと、気が休まらないな……)

幼馴染みだと思うからなのかも知れないが、愛美は健太郎には随分気を許しているようで、自分といる時よりくだけた様子で話す。
付き合いだした頃は『支部長』と呼ばれ、いきなり4文字の名前を呼ぶのはハードルが高いと言って、名前も呼んでくれなかった。

   (『健太郎』なら5文字でも呼べるのに?俺は『政弘』なんて呼ばれた事ない……)

 ほんの些細な事に嫉妬している自分が子供みたいで情けないと思いながらも、どうしても気になってしまう。
昨日は愛美に会いたい気持ちを必死で抑えた。
その分、今日は早く仕事を終えて会いに行きたい。
会ったら思いきり抱きしめて、愛美が自分だけを愛してくれている事、自分だけの愛美である事を確かめたい。
愛美を疑うわけではないけれど、そうしないと不安でおかしくなってしまいそうだ。

   (本気で好きになると、こんなつまらない事でも不安になるんだな……。今まで誰と付き合ってもこんな事なかったのに……)


緒川支部長は自販機で缶コーヒーを買ってから再び椅子に座り、デスクの上の書類を手に取った。
再来週の慰安旅行の詳細が書かれたその書類を眺めながら、缶コーヒーのタブを開けた。

   (どうしても愛美と二人で行きたい所があるんだよな……)



5時を過ぎ、窓の外がすっかり暗くなった頃。
愛美が夕飯の支度をしようとした時、テーブルの上に置いたスマホの着信音が鳴った。

   (電話……?政弘さんから?)

愛美は『政弘さん』からの着信を確認して電話に出た。

「もしもし……?」
『あ……愛美……。急なんだけど、これからお客さんの所に行く事になってね……帰るの遅くなりそうなんだ』
「そうなんですね……」

帰るのが遅くなるという事は、今日もきっと会えないのだろう。

   (今日はハッシュドビーフを作るのはやめておこう)

愛美は冷蔵庫から牛肉を取り出し、冷凍庫にしまいこんだ。

『……ごめんね』

申し訳なさそうな『政弘さん』の声が愛美の耳に響いた。

「仕方ないです、仕事ですもんね」

わざと明るい声で答える愛美に、『政弘さん』はため息をついた。

『愛美はきっと何日会えなくても、仕事なら仕方ないって言うんだろうな』
「えっ?」

思いがけない『政弘さん』の言葉に驚いて、愛美はスマホをギュッと握りしめた。
電話の向こうで『政弘さん』が大きなため息をつくのがわかった。

『……仕事だからもう行くよ』

寂しげな声でじゃあねと告げて、『政弘さん』は電話を切ってしまった。

   (今の……どういう意味……?)

いつもとどこか違う『政弘さん』の様子が気になって、愛美は首をかしげた。
手に持っていたスマホがまた着信音をあげ、愛美は驚いてスマホを落としそうになる。
スマホの画面には、健太郎の名前と電話番号が表示されていた。

   (健太郎?なんの用だろう?)


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