上 下
5 / 47
第一章 メイド、主人の秘密を知る。

004

しおりを挟む
「家政婦長、今日掃除にやってくるはずの二人がまだみたいなんですが……」
「ああ、言い忘れていた。リゼルとロジーの二人なら今日はこないよ。なんでも父親が怪我を負ったそうで、リゼルは家のこと、ロジーは父親を病院に運ぶってんで、明後日まで休みを取っているんだ」

 公爵家では住み込みの使用人のほかに、城下や近くの町から通いで雇っている人間も多くいる。リゼルとロジーの姉弟はまさにそれで、病弱な母親とまだ幼い弟妹たちを見つつ、昼間は公爵家で掃除などの下働きを負っていた。

「困ったわ。今日は作業部屋が結構荒れているから、一人じゃとても片付かなくて。その上……」
「なんだい。困りごとかい?」

 言いよどむメイドの顔をのぞき込んで、家政婦長が問いかける。メイドは少し迷ったようだが、意を決して口を開いた。

「実は、二歳になる娘が熱を出したと連絡が入って。できれば一度帰宅したいと思っていたんです」
「なんだい、怪我人の次は病人か。身内になにかある人間が出てくると、なぜだかそれに続く人間が出てくるもんだねぇ」

 辛辣しんらつなことを言いながらも、家政婦長の眉は心配そうにひそめられている。

「ほかのメイドは三日後に行われるパーティーの仕込みで忙しいし、旦那様の作業場に人出を回すとなるとねぇ……」

 困り顔の家政婦長に、ジゼルはそっと声をかけた。

「あの、わたしでよければ作業部屋の清掃に入ります。完全には無理でも、足の踏み場を確保するくらいなら一人でもなんとかできると思いますし」
「そうかい? あんた、このあとはなんの予定だったっけ?」
「旦那様が帰ってくるまで洗濯を手伝う予定でしたが、掃除のほうがたぶん急務かと」

 家政婦長はしばらく目を伏せて考えてから、わかった、と頷いた。

「じゃあ、子供が熱出したあんたは、引き継ぎが終わり次第すぐに帰りな。熱出している子供置いて働くのも気が気じゃないだろ」
「ありがとうございます、家政婦長……!」
「じゃあ、さっそく作業場のほうに向かいます」

 ジゼルの言葉に、家政婦長は「頼んだよ」と声をかけて、また厨房へ戻っていった。

「ありがとう、ジゼル! 助かったわ」
「いいのよ。それよりお子さん大丈夫だといいけれど……」
「身体が弱いから、季節の変わり目にはいつも熱を出してしまうの。医者と薬代を稼ぐために住み込みで働いているけれど……こうも家からの呼び出しが多いと、通いにするべきか悩みどころだわ」

 しゅんと肩を落とす同僚を見やり、家族を持つというのも大変なんだなとしみじみ思う。
 今のところジゼルにはお付き合いをする相手どころか、気になるひともいない。
 使用人同士が結婚することはよくあることだが、たいていは給金を貯めて家を持てるようになったところで実行するものだ。今のところまったく貯金がない自分には縁がない話だろう。

(そりゃあ、誰かが告白したり求婚してくれたら素敵だなぁとは思うけれど。今はまだまだお仕事を頑張らないとね)

 貴族のご令嬢だと二十歳を過ぎる前に結婚するのが普通だというが、庶民にとっては、早い者はもちろん早いが、二十五歳くらいになってから結婚する者も大勢いる。
 ジゼルは現在十八歳。もう数年頑張って、この屋敷で使用人としての地位をしっかり固めてから相手探しをしても決して遅くはないだろう。たぶん。

(そのためにも、できるだけ頑張ってお片付けしないと)

 とにかく目の前のことに集中するのが一番。その思いで歩いて行くあいだも、多くのメイドとすれ違う。彼女たちはたいてい掃除道具を持っており、玄関ホールから客室に至るまで、丁寧ながらも素早く磨き上げていた。
 それもそのはず。無駄口叩かずすぐに掃除をしていかないと、とてもではないが一日では終わらないのだ。広い場所に出たジゼルは、思わず頭上を仰いだ。

 二人はちょうど玄関ホールへ出てきていた。窓を拭く者、階段の手すりを拭く者、床をモップでみがく者と、ざっと見ただけで五人ものメイドが忙しなく手を動かしている。
 五人がかりで挑んでも一時間はかかるこの玄関ホールは、壁や天井に壁画が描かれた、たいそう贅沢な作りになっており、天井からは大きなシャンデリアが三つも下がっている。
 両開きの大きな玄関の正面に位置する階段にはふかふかの絨毯じゅうたんが敷き詰められ、途中から左右に割れていて、奥の廊下へと続いていた。
 そこここは大きな花瓶が置かれており、季節の花がこれでもかと生けられている。まさに絢爛豪華けんらんごうかと言わんばかりの様相だ。

 王様やお姫様が住んでいるお城ってどんなところかしら、と小さい頃はよく夢想していたジゼルだが、王族であるロイドの住まいは、つたない孤児の想像力を軽く凌駕りょうがするほど、見目麗みめうるわしい城だった。
 ――そう、ここは城なのだ。ロイドのおじいさまである初代公爵が建てた、王都から少し外れたところにある四階建ての居城――その名も、リティア城。

 一階から三階までは居住スペースで、四階は使用人たちが寝泊まりする個室が連なっている。
 一階の奥にはお城らしく、舞踏会を開けるほどに広い大広間や、楽器が置かれたサロン、貴婦人たちの休憩室、紳士たちが煙草たばこと酒を楽しむビリヤード室、そしてロイドの作業室が連なっていた。
 ロイドが趣味にいそしむために、家にいるとき大抵もっている作業部屋は東側にある。
 重厚な扉を開ける前、メイドがぼそっと呟いた。

「見ても驚かないでね。本当に今日はすごいから……」

 そうして扉が開け放たれた途端、心構えをしていたはずのジゼルは、思わず「うわぁ」と低いうめき声を発してしまった。

「これは、確かにひどいわね……」

 奥に最新式のミシンを備え、布やレースやボタンの一覧が壁を埋め尽くし、等間隔とうかんかくに並べられたトルソーに最新の衣装が着せかけられているのはいつものこと。
 今回はそれに加えて、いくつも置かれている長テーブルのほぼすべてに、布やらレースやらが放り出されている。はさみや針、様々な糸まで乱雑に放置されていた。
 挙げ句、床にまでこれらが散らばっているのだ。足の踏み場がないとはこのことか、とジゼルは驚きを通り越し感心してしまった。

「旦那様も今朝は寝不足気味だったから、きっと遅くまで布やらレースやらとにらめっこして、ああでもないこうでもない、って荒れていたんでしょうね」
「まぁ、そうだったの? それにしてもここまで散らかっていることはそうないから……。リゼルとロジーがきたら一気に片付けようと思っていたけど、あの二人がいないと思ったら一気にやる気が削げちゃって」
「ただでさえ娘さんが熱出している状態だしね。うん、わかった。わたしに任せて。机は無理でも、床と、はさみとかの道具は全部片付けておく。旦那様がお帰りなのは夕方だから、それまでにはなんとかなるでしょ」
「本当にごめんなさいねジゼル。こんなときに……」
「いいの、いいの。それより早く帰って、娘さんについていてあげて。どんな薬より、ママがそばにいてくれるほうが子供には効くものよ」

 かつて孤児院で大勢の子供たちと一緒に過ごしたジゼルは、そのことをよくわかっている。ジゼルも幼少の頃は、修道女や年長の姉たちが一緒にいてくれるだけで、ずいぶん心が安いらいだものだ。
 何度も礼を言う同僚を見送って、ジゼルは壁際にかかっている時計を見やる。時刻は午前十時前。とにかく昼を目安に、足の踏み場をまず確保しよう。

「ふふふ、腕の見せ所ね。子供だらけの孤児院育ちのジゼルさんは、実はお片付けが大の得意なのだ」

 そんな言葉で自分を鼓舞こぶしながら、ジゼルはさっそく床を覆い尽くす布をむんずと掴んで運ぶ作業に没頭ぼっとうするのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫と妹に裏切られて全てを失った私は、辺境地に住む優しい彼に出逢い、沢山の愛を貰いながら居場所を取り戻す

夏目萌
恋愛
レノアール地方にある海を隔てた二つの大国、ルビナとセネルは昔から敵対国家として存在していたけれど、この度、セネルの方から各国の繁栄の為に和平条約を結びたいと申し出があった。 それというのも、セネルの世継ぎであるシューベルトがルビナの第二王女、リリナに一目惚れした事がきっかけだった。 しかしリリナは母親に溺愛されている事、シューベルトは女好きのクズ王子と噂されている事から嫁がせたくない王妃は義理の娘で第一王女のエリスに嫁ぐよう命令する。 リリナには好きな時に会えるという条件付きで結婚に応じたシューベルトは当然エリスに見向きもせず、エリスは味方の居ない敵国で孤独な結婚生活を送る事になってしまう。 そして、結婚生活から半年程経ったある日、シューベルトとリリナが話をしている場に偶然居合わせ、実はこの結婚が自分を陥れるものだったと知ってしまい、殺されかける。 何とか逃げる事に成功したエリスはひたすら逃げ続け、力尽きて森の中で生き倒れているところを一人の男に助けられた。 その男――ギルバートとの出逢いがエリスの運命を大きく変え、全てを奪われたエリスの幸せを取り戻す為に全面協力を誓うのだけど、そんなギルバートには誰にも言えない秘密があった。 果たして、その秘密とは? そして、エリスとの出逢いは偶然だったのか、それとも……。 これは全てを奪われた姫が辺境地に住む謎の男に溺愛されながら自分を陥れた者たちに復讐をして居場所を取り戻す、成り上がりラブストーリー。 ※ ファンタジーは苦手分野なので練習で書いてます。設定等受け入れられない場合はすみません。 ※他サイト様にも掲載中。

公爵家の長男だけど優秀な弟がいるので僕は騎士となりのし上ります

りまり
BL
公爵家の長男に生まれました。 長男に生まれましたが弟二人から比べられたら二回りも小さな俺だけど剣と魔法はすぐれていた。 家督は弟が継ぐこととなり俺は家名を名乗らず騎士団に入団した。 騎士としてのし上るために奮闘します。

条件付きチート『吸収』でのんびり冒険者ライフ!

ヒビキ タクト
ファンタジー
旧題:異世界転生 ~条件付きスキル・スキル吸収を駆使し、冒険者から成り上がれ~ 平凡な人生にガンと宣告された男が異世界に転生する。異世界神により特典(条件付きスキルと便利なスキル)をもらい異世界アダムスに転生し、子爵家の三男が冒険者となり成り上がるお話。   スキルや魔法を駆使し、奴隷や従魔と一緒に楽しく過ごしていく。そこには困難も…。   従魔ハクのモフモフは見所。週に4~5話は更新していきたいと思いますので、是非楽しく読んでいただければ幸いです♪   異世界小説を沢山読んできた中で自分だったらこうしたいと言う作品にしております。

今日、大好きな婚約者の心を奪われます 【完結済み】

皇 翼
恋愛
昔から、自分や自分の周りについての未来を視てしまう公爵令嬢である少女・ヴィオレッタ。 彼女はある日、ウィステリア王国の第一王子にして大好きな婚約者であるアシュレイが隣国の王女に恋に落ちるという未来を視てしまう。 その日から少女は変わることを決意した。将来、大好きな彼の邪魔をしてしまう位なら、潔く身を引ける女性になろうと。 なろうで投稿している方に話が追いついたら、投稿頻度は下がります。 プロローグはヴィオレッタ視点、act.1は三人称、act.2はアシュレイ視点、act.3はヴィオレッタ視点となります。 繋がりのある作品:「先読みの姫巫女ですが、力を失ったので職を辞したいと思います」 URL:https://www.alphapolis.co.jp/novel/496593841/690369074

いつわり王子は花嫁に酔う

佐倉 紫
恋愛
政略結婚で隣国に嫁ぐことになったアンリエッタだが、相手は以前から恋い焦がれていた第一王子オーランド。再び出会えることを楽しみに嫁いできたが、三年前優しくしてくてた彼は、なぜか別人のように冷たい人物に変貌していた……。夫婦として仲良く暮らしたいのに、寄り添おうとするアンリエッタに彼はひどい仕打ちばかり。そのうち王家の秘密や陰謀まで絡んできて……!?   ■規約変更により近日ページ後と削除予定。削除後、掲載されていた番外編は自サイトにて公開します。   ■書籍化のため本編のみ11/11に削除いたしました。番外編はそのまま残してあります。また書籍化に伴いタイトルが変更され、書籍タイトルは『疑われたロイヤルウエディング』となっております。   ■2012/12/30 本編・番外編ともに完結いたしました。応援ありがとうございました。   ■続編としてスピンオフ作品『つよがり王女は花婿に請う』があります。   ■R-18描写が入る場合、少々ハードで痛みを伴う描写があるときは★を、ほのぼのとした描写のときは☆をつけておきますので、あらかじめご了承の上、お楽しみください。

そんなに私の婚約者が欲しいならあげるわ。その代わり貴女の婚約者を貰うから

みちこ
恋愛
小さい頃から親は双子の妹を優先して、跡取りだからと厳しく育てられた主人公。 婚約者は自分で選んで良いと言われてたのに、多額の借金を返済するために勝手に婚約を決められてしまう。 相手は伯爵家の次男で巷では女性関係がだらし無いと有名の相手だった。 恋人がいる主人公は婚約が嫌で、何でも欲しがる妹を利用する計画を立てることに

愛されない花嫁は初夜を一人で過ごす

リオール
恋愛
「俺はお前を妻と思わないし愛する事もない」  夫となったバジルはそう言って部屋を出て行った。妻となったアルビナは、初夜を一人で過ごすこととなる。  後に夫から聞かされた衝撃の事実。  アルビナは夫への復讐に、静かに心を燃やすのだった。 ※シリアスです。 ※ざまあが行き過ぎ・過剰だといったご意見を頂戴しております。年齢制限は設定しておりませんが、お読みになる場合は自己責任でお願い致します。

婚約破棄令嬢の華麗なる転身

佐倉 紫
恋愛
王子との挙式を間近に控えたある日――突然、国王から婚約破棄を告げられた侯爵令嬢アイリス。王子の浮気という理不尽な理由のせいで、厳しいお妃教育はすべて無に帰し、今後の縁談も絶望的に……。挙げ句の果てには、修道院に行けと勘当されてしまい!? 失意の中、アイリスはこれまでの人生をリセットし、誰にも縛られず自由に生きようと決意する。とはいえ、お妃教育しか受けてこなかった淑女の自立は当然ながら前途多難……。そんな折、謎めいた美貌の男性との出逢いが、アイリスに新たな恋と人生の扉を開いて――? 人生は山あり谷あり恋もあり!? 婚約破棄令嬢の華麗なる逆転ラブストーリー!

処理中です...