魅了が解けた世界では

暮田呉子

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番外編ー見習い騎士の誓いー

04

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 キャスナー領地の収穫祭が有名になったのは、祭りの期間中に行われる決闘のおかげだ。
 中央広場では木の柵が円型に設置され、中では二人の青年が剣を交えていた。
 どちらも見習い騎士である。彼らの参加資格は十五歳から十八歳までの、騎士志望者に限られている。
 自分の実力を試すのには打って付けの場所だけに、他の領地からの参加者も少なくない。
 祭り期間中に予選から決勝戦まで行われ、祭りの最終日に優勝者が決まる。
 優勝者は賞金とは別に、この国で最も強い相手と戦う権利を手に入れ、エキシビションマッチが行われるのだ。
 この国で最強の騎士と言えば、現王都騎士団の総長に他ならない。
 ──つまり、ジークレイの父親だ。
 普段は王都から離れられないキャスナー伯爵も、収穫祭の時だけ領地に戻ってくる理由はそれだ。
 年齢で参加資格が与えられなかったジークレイは、いつか自分も見習い騎士として決闘に参加し、父親と勝負することを夢見ていた。

「ジークレイは騎士になるのが夢なんだよね?」
「ああ、キャスナー家に生まれた宿命だな」

 露店を見て回ったジークレイたちは、広場にある噴水前のベンチに腰を下ろした。
 侍女は食べ物を買いにその場を離れ、代わりに護衛騎士の二人がジークレイとラウレッタの傍に立った。

「他になりたいものはなかったの?」
「考えたこともないな。騎士になれたとしても最強を目指さなきゃいけないし、父上までの道のりは遠いだろうな」

 ラウレッタがジークレイにあれこれ訊ねてきたのはこれが初めてだ。ジークレイは驚きを隠しつつ、訊かれたことを正直に答えた。

「わたしは将来のこと、まだ何も思いつかないの」
「コンラル伯爵家はラウレッタの他に子供がいないから、分家から養子を迎える予定なんだろ?」
「……うん。仕方がないことだって分かっているけど、嫁いでしまったら帰る場所がなくなってしまいそうで怖いわ」

 ラウレッタ自身はすでに、ジークレイの婚約者としてキャスナー領に嫁ぐことが決まっている。彼女の領地は目と鼻の先だが、一度離れてしまったら戻れなくなりそうで不安なのだ。
 すると、ジークレイは頭の後ろで手を組み、空を見上げながら言った。

「そんなことないと思うけどな。でも、そうだな……おれと結婚したら、このキャスナー領地がラウレッタにとって自分の家になるようにすればいいってことだよな?」
「──……」
「それならいくらでも協力してやるよ」

 自分の領地と同じぐらい、安心して過ごせる場所になるように。
 ジークレイは自信たっぷりに言って、フード越しにラウレッタの頭を撫でた。しかし、また顔をそらされてしまい、その表情を窺い知ることはできなかった。
 しばらくすると、侍女が茶色の紙袋を持って戻ってきた。
 ラウレッタは安堵して、侍女に駆け寄ろうとした。ところが、ジークレイがラウレッタ手を掴んで引き寄せた。
 歩いてくる侍女の様子がおかしい。彼女の顔色がひどく蒼褪めていた。
 ジークレイは傍にいた護衛に視線を走らせ、ラウレッタを庇うようにして立った。
 刹那、侍女が突然叫んだ。

「……っ、お逃げ下さい、お嬢様っ!」

 声を張り上げた侍女の背後からナイフを持った男が現れた。侍女は男に突き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。
 ナイフを持った男はそのままジークレイたちのところへ突進してくる。
 だが、男のナイフは護衛の騎士によって弾かれた。暴れる男を騎士の一人が取り押さえる。安堵したのもつかの間、捕らえられた男はなぜか口元を歪ませた。

「──きゃっ!」

 ジークレイの後ろにいたラウレッタが短い悲鳴を上げた。反射的に振り向くと、別の男が騒ぎに乗じてラウレッタの手を掴んでいた。
 犯人は一人ではなかったのか。
 ジークレイがラウレッタに手を伸ばそうとした時、また他の男が現れてジークレイの体を持ち上げた。

「……っ、ラウレッタ!」

 目の前でラウレッタの体が軽々と持ち上げられ、攫われようとしていた。ジークレイは体を捻って男の手から逃れ、ラウレッタを連れ去ろうとしている男を追った。
 どこにいても貴族の子供は安全ではない。
 けれど、一緒にいる時だけは、安心していられる場所にしたいと思っていたのに。

「ラウレッタ……っ!」
 
 連れ去られようとしているラウレッタに、ジークレイの体は無意識に動いていた。しかし、その場を離れようとするジークレイの手を、護衛の騎士が掴んだ。

「お待ち下さい! 一人で行くのは危険です!」

 ハッと我に返ると、ジークレイたちがいた噴水の周辺は騒然としていた。
 ナイフを持っていた男は取り押さえられ、ジークレイを拐おうとしていた男は逃げていた。彼らの狙いは最初からラウレッタだったのか。
 騒ぎを聞きつけて、祭りの警備にあたっていた衛兵たちがその場に集まってきた。

「お嬢様、お嬢様が……っ!」

 犯人に突き飛ばされた侍女はラウレッタが攫われたことに気が動転して、駆けつけた衛兵に泣きながら訴えていた。
 ただ、混乱した現場で事情をすぐに把握することは難しいだろう。
 ジークレイは悔しさに拳を握り締め、被っていたフード外して衛兵たちに近づいた。

「おれの友達が男に拐われた! 犯人は複数いるはずだ。このことをすぐに父上へ知らせてくれ!」
「君……、いや貴方は……分かりました! すぐに知らせてきます!」

 ジークレイの真っ赤に燃える髪を目にして、衛兵の目の色が変わった。
 拐われたのが平民の子なら、衛兵が探す程度で済んだかもしれない。
 だが、ジークレイが見せた赤い髪はキャスナー伯爵家の血筋であることを表す。貴族が絡んでいる事件だと知れば、いかに緊急事態か伝わるだろう。
 再びフードを被ったジークレイは、体を翻してラウレッタが連れて行かれた方角に向かって走り出していた。後ろから護衛騎士の二人も追ってくる。
 ラウレッタを抱えた男は、祭りでごった返す人の波に紛れてしまった。
 ジークレイは舌打ちし、人気のない裏路地に入った。日の当たらない路地は薄暗く、目の前は行き止まりになっている。
 もちろん、ラウレッタの姿はない。
 こんなことなら自分用の剣を持ってくるんだった、と嘆息したところで、後ろを振り返った。

「──おい、ラウレッタをどこに連れていった?」

 振り向いた先には、後ろからついてきた護衛の男が二人いる。どちらもキャスナー家に仕える騎士だ。
 しかし、ジークレイの目は片方の男を睨み付けていた。

「な、なにを突然……!」
「お前がおれたちの位置を、犯人に知らせていたことは知っている」

 怒りを押し殺した声は、子供とは思えないほどの威圧感があった。
 本当なら今すぐにでもラウレッタを奪い返しに行きたい。ただ、ここで慎重に動かなければ、唯一の情報も手放してしまうことになる。
 ジークレイは逸る気持ちを堪え、男に近づいた。

「お前はおれたちの居場所を知らせるための目印だった。それからナイフを持った男は陽動役、潜んでいた他の二人は騒ぎに乗じておれとラウレッタを誘拐する手筈だったな」

 ジークレイは失敗したが、ラウレッタだけは成功している。
 首謀者の意図は知らないが、キャスナー領地でコンラル領地の伯爵令嬢が誘拐されれば、深い絆で結ばれた両者の関係に亀裂が入る可能性がある。そこにどんな理由があったとしても、決して許されることではない。
 ジークレイが近づくと男は後ろに下がったが、もう一人の護衛が腰から剣を抜いて男に突き付けた。
 前と後ろから挟まれて逃げ場を失った男は、自らも剣を抜いた。

「──うおぉぉぉ!」
「ジークレイ様!」

 男は、武器を持たないジークレイ目掛けて剣を振り上げた。
 どこまでも卑怯な男だ。
 ジークレイは子供の体を生かし、振り下ろされた剣より早く下を滑り抜け、護衛の傍に立った。裏切り者の男はすぐに振り返ったが、それより早く護衛が男の剣を蹴り上げていた。

「騎士の面汚しが、大人しくしろ!」
「ぐあっ!」

 男の剣が地面に転がり、護衛によって取り押さえられた。一人だけは自分たちの味方で良かった。
 ジークレイは落ちた剣を拾い上げ、地面に這いつくばる男の顔に剣先を向けた。

「道を誤ると剣術の腕も落ちるものだな」
「く……っ」
「──分かったら、さっさとラウレッタの居場所を吐け!」

 こんなところで時間を取られている場合ではない。拐われたラウレッタを思うと、言い様のない怒りが込み上がる。
 ジークレイの瞳が冷たく光ると、薄暗い路地に男の悲鳴が響き渡った。
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