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第十六話

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 謹慎処分を受けて屋敷にいたレイモンドの元に、王室から使者がやって来た。渡された書類には今回の処遇が書かれていた。
 罪状は聖女候補に対し、夫であったレイモンドの冷遇だ。処罰は領地の一部返還や罰金。加えて聖騎士の除隊と一般兵士への降格、社会活動などが書かれていた。
 ―-それだけではない。
 伯爵夫人が屋敷を出ていくほどの事態だ。王室の調査は使用人や関係者全体に入り、屋敷内で起きた非道徳的な行為が白日の下に晒された。
 非道を繰り返した使用人は次々に捕らえられ、死刑に近い拷問や強制労働が言い渡された。
 見てみぬふりをした者達は処罰は免れたものの、早々に屋敷から出て行った。彼らはこの国で、最も尊いとされる存在を見捨てていたのだ。それが明るみになれば、家族にすら危険が及ぶ。それを恐れた。
 さっさと逃げ出した一部の使用人達に呆れたが、この先も聖女の名が出てくるたびに怯えて暮らす事になるだろう。後ろめたさは一生消えない。
 レイモンドは一ヶ月の謹慎中も剣を振るっていた。何かをしていないと後悔に苛まれ、自我を保っていられなくなったのだ。自問自答の毎日が続いた。
 時々、彼女のいた部屋に赴いては、しばらく椅子に座って時間を過ごす。しかし、いくら考えても彼女の心境がどんなものだったか、レイモンドには想像もつかなかった。


 屋敷にいる間、父親の訃報が届いた。死期が近かったからこそ、息子の跡継ぎを心配したのだと分かる。三年に及ぶ療養生活も虚しく、父親は還らぬ人となった。
 子供を身籠った女はあれからもレイモンドにすり寄ってきたが、受け入れる事は到底出来なかった。 
 父親と約束していた金銭の倍を用意すると、女は文句を言いながら出て行った。念のため子供の父親を調べて情報を渡したが、どうするかは女次第だ。


 あと数日で謹慎が明ける日。
 レイモンドは屋敷を抜けて王都の神殿に足を運んでいた。フードを深く被り、平民に近い格好をしてきた。

「……ここにマリアーナという、治癒魔法を使う女性が通っている筈だ。彼女に会わせてほしい」

 レイモンドは、以前聖女の元に平民の女性を連れてきた若い神官を見つけて話し掛けた。
 あの治癒魔法に優れた平民の女性こそ、自分の妻だったのだと気づけば己の無能さに嫌気が差した。
 なぜ、あの時に気づけなかったのか。聖女がわざわざ討伐前に招いたのは、自分に最後通告する為だったのだ。
 気づいていれば、何かしら変わっていたかもしれない。やり直すことはできなくても、彼女と向き合って謝罪する事はできただろう。
 しかし、いくら説明しても取り合ってはくれなかった。神殿はレイモンドの愚行を知っているのだ。
 半ば追い出される形で神殿を後にしたレイモンドは、屋敷には戻らず、市井の方に足を向けた。
 彼女は今、平民として暮らしている。この町のどこかで。あの屋敷にいるより安全なのだろう。
 人通りの多い町の中心を歩いていくと、薬屋から一人の女性が出てきた。明るい茶色の髪に、清楚な水色のワンピースを着た女性だ。

「あの、失礼ですが…」

 どうして彼女に声を掛けてしまったのか、レイモンド自身驚いた。ただ、女性の姿が神殿で見た女性と元妻の面影に似ていた。

「はい、なんでしょう?」

 突然声を掛けられた女性は、警戒しながらも振り返ってくれた。

「貴方が、その…探している人に似ていたもので」
「はぁ…私が似ていて…」

 首を傾げる彼女に、レイモンドは被っていたフードを取り払った。
 一瞬、彼女は目を見開いたが、レイモンドを初めて見る女性は大抵同じ反応をする。だが、彼女は頬を染めることなく落ち着いた声で訊ねてきた。

「私ではないと思いますが、どのような方を探しているんですか?」

 柔らかな笑みを浮かべた女性は、人違いだと首を振った。確かに記憶している彼女とは、見た目や性格の明るさが違うように思えた。

「どう、とは…」

 訊かれたまま答えようとしたが、そこである事に気づいた。
 探している相手は元妻で、名前はマリアーナと言う。髪型や髪色は女性と似ているが、そこからいくら思い出そうとしても、肝心の彼女の顔や瞳の色が浮かんでこなかった。

「すみません、あまり知らなくて…」

 首の後ろに手を置いて正直に話すと、女性は困惑した表情で自身の頬を撫でた。

「探している人の特徴が分からなかったら見つけようがないかと…」

 女性の言う通りだ。特徴も知らず、ただ闇雲に探したところで見つかる筈がない。

 気まずくなった二人の間に沈黙が流れると、そこへ一人の男が近づいてきた。

「兄ちゃん、うちの奥さんに何か用か?」

 がっちりした肉体に日焼けした小麦色の肌、茶色の短髪に黒い瞳。異国の血が混じった冒険者風の男だった。

「…ちょっと、私たち結婚してないわ」
「これからそうなる」
「勝手に決めないでよ」

 やって来た男は、自分の恋人が他の男に絡まれていると勘違いしたようだ。女性の腕を掴んで自分の元へ引き寄せた。

「いえ、人違いをしてしまったようで」
「そうやって声かけてくる野郎は沢山いるんだよ」
「ちょっと誤解しないで。さあ、もう行きましょう」

 女性はレイモンドに軽く頭を下げ、男を押しながら離れていった。
 平民にしては丁寧な言葉遣いの女性だった。その仕草一つひとつが流れるように美しく、貴族の令嬢であってもおかしくはない。
 しかし、レイモンドは遠ざかっていく女性の後ろ姿を見送る他なかった。

 彼女とは教会で誓い合い、婚姻まで交わした仲なのに。一度も名前を呼んだことがなかった。
 それ以前に、妻の顔すら録に覚えていなかった。
 なぜもっと傍についててやらなかったんだろう。時間はいくらでもあったのに。
 ーー最低の夫だ。
 考えてみれば夫から相手にされない妻など、屋敷では立場が弱いに決まっている。まだ十六歳の少女に、伯爵夫人として何がやれたと言うんだ。
 先日、彼女の父親が裁判にかけられ、爵位の剥奪と伯爵家の取り壊しが決まった。裁判では、嫁ぐまでの彼さ女の暮らしが読み上げられた。
 ……愚かだった。
 本当に恥じるべきなのは己の方だ。


 町の活気溢れる商店街を抜けて噴水の前で止まると、子供の笑い声が聞こえてきた。
 見れば子供連れの家族が歩いてきた。両親は子供の手を両方から握り締め、レイモンドの横を通り過ぎていった。
 結婚してからずっと彼女に寄り添っていれば、自分達にもあったかもしれない光景だ。それを、己の身勝手な気持ちと行動で消し去ったのだ。

「……マリアーナ」

 いくら呼んでも、例え叫んでも、もう彼女には届かない。
 ぽつり、ぽつり、と頬に水滴が当たってレイモンドは空を仰いだ。
 見上げた空はぐしゃぐしゃになった顔とは裏腹に、遠くまで良く晴れ渡っていた。


 それから謹慎を終えたレイモンドは爵位を返上し、社会活動の代わりに北の国境にある治安部隊の配属を希望した。
 聖女と遠征に行った場所だ。
 そこは危険が伴う分、人手不足が深刻だった。当然、いつ自分の身に危機が迫るか分からない場所に行きたがる者はいない。死にに行くようなものだ。
 配属を希望した時、団長は厳しい顔で「そうか、お前が決めた事なら…」と許可してくれた。
 常に死と隣り合わせ。今の自分にはお似合いの場所だ。
 王都に戻ってくることは二度とないだろう。
 心残りはあるが、レイモンドはまだ薄暗い早朝、誰もいなくなった屋敷を出て静かに旅立った。
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