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第十四章「関ヶ原の戦い」
第七十八話「小山評定」
しおりを挟む慶長五年七月二十五日 下野国 小山
上杉軍の居城・会津を目指し進軍する徳川家康公。その途中、下野国小山にて伏見城の鳥居元忠殿より知らせが入りました。
葵紋の陣幕の中、錚々たる将たちが床几の上に腰掛ける。その中央、家康公の側に控えていた本多弥八郎正信が立ち上がり、鳥居元忠殿から送られて来た書状を読み上げる。
「石田治部少輔三成、佐和山城を出て大坂に赴き、諸将を集め候。おそらく当家を滅ぼす目論見。近々、この伏見城に攻め寄せるは必定。城中の御家人たちは皆、志を一つにし堅固に守ります故、ご安心召されよ・・・」
弥八郎が書状をゆっくりとたたむと、家康公が一同に向かい口を開く。
「三成は謀反を企て、大坂で諸将と軍議を行っておる模様。会津の上杉景勝もおそらくその企てに乗るであろう。この事は三成の心中から出た事は言うまでもないが、秀頼殿の為とある上は各々方もその命に背く事は難しい。まして皆、大坂に人質がおるので、それを見捨てて儂に味方できないのは我ながら辛く思う。今日の味方が明日の敵になる事は、この戦国の世では珍しくはない。故に今、各々が大坂に帰ろうとも、この家康が恨みに思う事は無い。速やかに引き返して大坂に向かうとよい。その道すがらの心配は無用じゃ」
家康公の言葉に静まる一同。そんな中、福島左衛門大夫正則が一人立ち上がり声を発する。
「内府殿の仰る事はもっともな事でござるが、今回の事は三成の謀(はかりごと)から起きた事。奴が天下を乱そうとするは間違いありませぬ。他の者はどうであれ、この儂は内府殿に御味方し三成を誅殺しましょう!」
左衛門大夫の力強い言葉に、その側にいた黒田甲斐守長政も賛同する。
「左衛門大夫が申し上げたように、我々も今さら三成に味方しようという考えなどついぞございませぬ。このまま内府殿に御味方致す所存」
この二人の発言により周囲の者たちも声を上げる。
「おう、そうじゃ。そうじゃ!」
「三成め、叩き潰してやる!」
その場におる誰一人として三成に味方しようとする者はおりませんでした。
すると、そこへ一人の将が前へと進み出る。
「しからば大坂までの道中、拙者の掛川の城を御自由にお使い下さいませ」
そう言葉を発したのは、山内対馬守一豊。
そこへ、さらにもう一人の将が立ち上がる。
「対馬殿、抜け駆けは許さんぞ」
浜松城城主、堀尾信濃守忠氏。信濃守は家康公に頭を下げる。
「内府殿。我が浜松城、元々は内府殿の城でございまする。もちろんこちらも御自由にお使い下さいませ」
対馬守、信濃守の提案に他の将たちも追随する。
「では、儂の吉田城も倣うとしよう」
そう言葉を発したのは、池田三左衛門輝政。
その隣に控える鼻から口にかけて大きな傷がある男―田中兵部大輔吉政も続く。
「岡崎城も同じく。そして、願わくば先鋒をつとめたい」
諸将の申し出に家康公は頭を下げる。
「皆の衆、かたじけない」
その直後、陣中に大きな笑い声が響き渡る。
「はっはっはははは!内府殿、頭をお上げ下さりませ」
笑い声の主は、福島左衛門大夫正則。左衛門大夫は満面の笑みを浮かべながら言葉を繋げる。
「儂の清須城も他の城同様、ご自由にお使い下さりませ」
そこで家康公がようやく頭を上げ笑みを浮かべると、側に控えていた本多弥八郎もにやりと笑う。
「殿、これで清洲まではすんなりと進めそうでございますな」
「うむ」
主従の傍らで山内対馬守が家康公に声をかける。
「それと内府殿・・・」
「ん?」
「こちらを内府殿に」
対馬守がそう言うと、従者が封をされたままの文箱(ふばこ)を携えて前に進み出る。
「それは?」
家康公の問いに対馬守が答える。
「大坂方から我が妻に届いたものでございまする。まだ開けてはいませんが、おそらくは大坂方に味方せよとの文でございましょう」
「ふむ」
家康公は弥八郎に手で指図をすると、弥八郎は封を開けて中にあった文を読む。
「おお、これは」
文を読みながら弥八郎は笑みを浮かべる。
「なんじゃ?」
「大坂方の内状が記されておりまする」
「なんと」
家康公は驚いたのも束の間、すぐに喜びの表情に変わる。
「でかしたぞ、対馬殿。お主の忠義、この家康しかと受け取った。この戦に勝利した暁には、お主には大幅な加増を致そう」
「ははっ。ありがたき幸せ」
頭を下げる対馬守。家康公は再び周囲に顔を向ける。
「それでは御一同、覚悟はよろしいか?此度の戦は大戦になりそうじゃ。勝つ為には、お主達の力が必須。皆で力を合わせ、勝利をつかみ取ろうぞ!」
家康公の言葉に皆声を合わせ答える。
「おお!」
続けて弥八郎が言葉を発する。
「我々徳川勢は山道を通り大坂へ向かいまする。皆々様は、海道の諸城を通り大坂へ進んで下さいませ。先ほどの話通りであるならば、清洲城まではすんなりと進む事ができるはず」
「ふん。清洲どころか一気に大坂まで行ってやろう!」
そう答えたのは福島左衛門大夫。続けて黒田甲斐守も声を上げる。
「そして、すぐに三成の首を晒してやるわ!」
意気が揚がる両者に家康公も笑みを浮かべる。
「うむ、心強い限りじゃ」
そんな家康公を横目に、弥八郎が一同に向け再び声を上げる。
「それでは、軍議は以上と致す。各々方、出陣の支度を始めて下され。徳川の旗本衆のみ細かい陣立てを伝える故、その場に残られよ」
立ち上がり続々と退出していく外様衆。
残された徳川の旗本衆に弥八郎は陣立てを告げる。
「では此度の陣組であるが、山道を通る我ら徳川勢の指揮を秀忠様にお願い致します」
弥八郎の言葉に家康公の隣に控える若武者が威勢良く答える。
「相分かった!」
その若武者こそ、後の二代将軍・徳川秀忠様でございます。家康公の三男でこの時、齢二十弱。此度の戦が初陣でございました。
秀忠様の返答の後、弥八郎は話を続ける。
「海道を通る外様衆には本多平八郎、井伊万千代、渡辺半蔵をつける」
海道の外様衆の方か・・・。
怪訝な表情を浮かべたつもりはないが、弥八郎がこちらの方を見つめる。
「・・・お主達の役目、心得ておりましょうな?」
その問いに、平八郎が不機嫌そうに答える。
「ふん、言われるまでもない」
万千代も冷静に言葉を返す。
「外様衆の目付役、という事ですな?」
「いかにも。いくら我らにつくとはいえ、豊臣恩顧の将である事に変わりはない。いつ進路をこちらに向けてもおかしくはない。そうならないよう、お主達に舵取りをしていただく」
「御意」
頭を下げて答える万千代に対し、平八郎はそっぽを向いたまま何も答えない。
まったく平八郎の弥八郎嫌いもここまでくると面白いな。
三河の一向一揆の際に家康公に歯向かい、しかもその後二十年近くも出奔していた弥八郎。そんな弥八郎が帰って来るなり、このように家康公の側近として側に控えているのが平八郎には気に入らないようでした。平八郎は「あやつは腰抜けだ」「同じ本多家でもあやつとは無関係だ」などとよく口走っておりました。その一方で弥八郎はと言いますと、そんな平八郎など気にも止めてはおりませんでした。
此度も弥八郎は、平八郎には目もくれず話を続ける。
「そして、関東の守備を結城秀康様にお願い致します」
結城秀康様―家康公の次男に当たる方でありますが、家康公の御手付きで生まれた方で、豊臣秀吉に人質として差し出され、その後は結城家へと養子に出された不遇な方でありまする。
屈強な体躯の秀康様も家康公のお側に控えておりましたが、名前を呼ばれるや否や急に立ち上がる。
「父上!父上は、そんなにも儂が嫌いか?」
「ん?」
首を傾げる家康公に秀康様は問いかける。
「徳川家の威信を賭けたこの戦に、なぜ拙者も連れて行ってはいただけないのか!?たとえ父上の仰せであっても従いかねまする!」
激昂する秀康様を家康公はなだめる。
「そうではない秀康。お主を疎んじての事ではない」
「では何故です?」
「上杉は侮れん。もし我らが引き返したと知るや、上杉勢は我らを追撃してくるやもしれん。そうなれば、我らは大坂勢と挟み撃ちにされてしまう。そうならん為にも、上杉の抑えとなる強い将がいる。それがお主なのだ」
「しかし・・・」
「わかってくれ、秀康」
家康公は秀康様の肩に手を添える。
「信頼しておるからこそ、この役目はお主にまかせるのじゃ」
納得のいかない秀康様は顔を背けるが、その後渋々頷く。
「くっ、分かり申した」
「頼んだぞ、秀康。奥州での戦はお主にまかせる」
家康公は、秀康様の肩から手を降ろし一同に向き直る。
「儂は両軍が出立した後、頃合いを見て江戸を出る。皆の者、此度の戦は我ら徳川にとって・・・否、この国の天下に関わる大戦。各々の働きぶりが重要となる。天下泰平の世はもうすぐそこぞ。皆の者、心してかかるのだ!」
家康公の下知に一同は大きく頷く。
「はっ」
こうして、天下分け目の関ヶ原の戦いが始まろうとしていました。
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