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第九章「虎松」
第四十一話「徳川の鬼」
しおりを挟む天正三年二月十五日 遠江国
この日、徳川家康公は束の間の休息として浜松城近くの山中にて鷹狩りを致しておりました。拙者を含め供回りの者は数名。皆、戦のことなど忘れ、鷹狩りを楽しんでおりました。
筆頭家老の酒井左衛門尉(さえもんのじょう)殿が家康公に声をかける。
「こうのんびりと鷹狩りというのも、たまには良いものでございまするな」
「まったくじゃ」
家康公は笑みを浮かべながらそう答える。皆が談笑しながら楽しく鷹狩りを行う中、拙者は一人、槍を担いで遠くを眺めておりました。
それを見た左衛門殿が拙者に声をかけてくる。
「なんじゃ半蔵。鷹狩りは嫌いか?」
左衛門殿の問いに拙者は正直に答える。
「ええ・・・なぜ、わざわざ鷹に狩らせるのか理解できませぬ。自分で狩った方が早いでしょうに」
拙者の答えを聞いた家康公が笑い声を上げる。
「ははは、一理あるな。しかし、これは結果だけではなく過程も楽しむものぞ」
家康公が鷹狩りの良さを述べるも、拙者は槍を片手でいじりながら呟く。
「まだ戦をやっておった方がましでござるな」
拙者の発言に左衛門殿が顔をしかめる。
「こら、不謹慎なことを言うではない。お主も父親になったのだから、少しは落ち着きをもたんか」
左衛門殿の言う通り、拙者はこの年の前年に男子をもうけ父親となりました。だからといって何か変わる訳でもなく、拙者は以前と変わらぬまま戦漬けの日々を送っておりました。
「へーい」
拙者が空返事を返し視線を正面に移すと、そこには先ほどまではおらんかったはずの童子が一人立っておりました。
「ん?」
乱れた髪を垂らし俯く童子。歳は十五、六といったところでしょうか。その手には立派な太刀が握られておりました。
首を傾げる拙者に、左衛門殿が声をかける。
「何じゃ、お主の息子か?」
「いや、拙者の息子はまだ赤子故・・・」
拙者は、その童子が放つ異様な空気をどこかで感じたことがありました。
それがどこでなのかを思い出す前に、左衛門殿が童子に声をかける。
「おい、お主。こんなところで何をしておる?」
「・・・」
童子は何も答えない。左衛門殿が仕方なく童子に近づこうとした矢先、童子は手に持っていた太刀を抜き放ち左衛門殿に襲いかかる。
「うおぉー!」
「な!」
童子の一撃を辛うじて避ける左衛門殿。
「お主、何奴?」
左衛門殿の問いに、童子はゆっくりと口を開く。
「徳川家康・・・御命頂戴」
童子の発言を聞くや否や、供回りの者たちはすぐさま家康公を取り囲む。
その行為に、にやりと笑みを浮かべる童子。
「そうか、そこにおるのが徳川家康か・・・」
供回りの者たちの迂闊(うかつ)な行動に拙者は腹を立てる。
まったく、むざむざ標的を知らせてどうするだ・・・。
緊迫した状況の中で、左衛門殿が童子に問いかける。
「貴様、何奴?何故、殿のお命を狙う?」
童子は質問に答えようともせず、太刀を振りかざし左衛門殿に突撃する。
「下郎は邪魔じゃ、どけぇー!」
左衛門殿はすぐさま脇差を抜き、童子の攻撃を受け流すと同時に童子の右腕を斬りつける。
「ぐっ!」
童子は間合いを取って逃れるも、その二の腕からは大量の血が流れ出す。
「質問に答えんか!?」
左衛門殿の問いかけに尚も沈黙を守り通す童子。
その態度に左衛門殿もとうとう痺れを切らす。
「・・・言葉でわからぬのであらば、殿に刃を向けることがどういうことか、その体にしかと刻んでやろう」
そう言うと左衛門殿は童子との間合いを一気に詰め、童子の太腿に一太刀浴びせる。
「ぐうっ!」
反撃する事も出来ず膝をつく童子。
「童一匹が殿に刃向かおうなど笑止千万」
止めを刺すべく童子に刃を向ける左衛門殿。しかし、童子は怯む事なくふらつきながらも左衛門殿を睨みつけ立ち上がる。
「・・・下郎は邪魔だと言っておるだろう」
血だらけにも関わらず平然と立ち上がるその童子に、さすがの左衛門殿も異様な雰囲気を感じたようでございました。
「こやつ、正気の沙汰とは思えんな。鬼か物怪(もののけ)の類(たぐ)いか」
周囲の者たちもその童子にたじろぐ中で突如、家康公が童子の前に進み出る。
「殿!?」
左衛門殿の制止を抑え、家康公は童子に声をかける。
「そうまでして儂の命を狙う執念、何か理由があるのであろう。お主何者じゃ、なぜ儂の命を狙う?」
家康公の問いに、童子はゆっくりと口を開く。
「・・・俺の名は、井伊虎松。そして、父の名は井伊直親(なおちか)。あんたのせいで、あんたのせいで俺の父上は殺されたのだ!」
驚く一同。怪訝(けげん)な表情を浮かべ家康公は童子に尋ねる。
「・・・どういうことじゃ?」
「今川の将であった父は、徳川家康と内通しているという疑いをかけられ・・・そして、殺された」
「・・・父の仇、というわけか」
神妙な面持ちで家康公がそう呟いた直後、左衛門殿が童子に告げる。
「見当違いじゃな・・・仇討ちなら殿ではなく殺した張本人を討つべきじゃ」
その発言に対し、にやりと笑う童子。
「すでに殺したわ。あの、朝比奈泰朝(やすとも)とかいう武将はな」
童子から発せられた言葉に拙者は思わず驚愕する。
「貴様、朝比奈殿を殺した申すか!?」
拙者の問いに童子は冷淡に答える。
「ああ」
朝比奈泰朝。拙者も何度か味方、または敵として戦場で出会った今川の武将でございまする。やや高慢な性格ではありましたが、悪人という訳ではなく、寝返りが相次ぐ中で最後まで今川に忠義を尽くした御仁でございました。
そんな方をきっぱりと殺したと言い切る童子に拙者は問いかける。
「朝比奈殿を殺してもまだ、お主は満足せんというのか?」
童子は一瞬眼を伏せる。
「いや、一度は満足した・・・しかし、俺は知ったのだ。三河・遠江を治め、悠々と暮らしておる徳川家康、お前の存在を!」
童子は眼を見開かせ、己が刃を家康公に突きつける。
「父が死に、井伊家が滅んでからの俺と俺の一族が味わった苦しみを知っているか。我らは全てを失ったのだ。なのに、俺の父を殺すきっかけとなったお前はこうしてのうのうと生きている。それが、それが許せんのだ!」
童子は、そう叫ぶと勢い良く家康公に向かって斬りかかる。
「殿!」
周囲の者たちは声を出すのが精一杯で反応する事が出来ませなんだが、家康公はたった一人で前へと進み童子の刃を片手で受け止める。
「!」
その光景に驚く一同。
手から血がにじみ出ているにも関わらず、家康公は童子に語りかける。
「・・・井伊家の者がそこまで落ちぶれたか」
「何?」
童子は眉を吊り上げ太刀に力を入れるも家康公はびくともしない。ただ刃をぎゅっと握りしめ童子の眼をじっと見詰める。
「井伊虎松と申したか・・・父上に似て、よい眼をしておる」
童子は驚きのあまり目を見張る。
「ち、父上を知っておるのか?」
家康公は、ゆっくりと頷く。
「儂がまだ今川の将であった頃、直親殿とはしばしば仲良う話をしておったものじゃ・・・しかし、それ故かもしれんな。そのような疑いをかけられてしまったのは」
家康公は切ない表情を浮かべるが、すぐに顔を綻(ほころ)ばせ童子を見やる。
「・・・どうじゃお主。これも何かの縁、儂の小性として仕えんか?」
家康公の発言に童子も含めその場におる者全員が驚く。
「殿、お気は確かですか?殿のお命を狙ったこやつをお側においておくなど・・・」
拙者が家康公を諌(いさ)めるべく前に進み出ようとするのを左衛門殿が制止する。
「半蔵、下がれ」
「左衛門殿!?」
左衛門殿は笑いながら拙者に告げる。
「お主も一向一揆の際は、殿のお命を狙っておったではないか」
「それとこれとは訳が違いまする」
拙者が慌てて弁明しようとするも、左衛門殿は耳を傾けない。
「まあ、よいではないか。井伊家と言えば確か、殿のご正室・築山御前とも縁戚関係にある。それに遠州を治めるのであらば、遠州の者を仲間にするが一番」
「しかし・・・」
拙者が尚も納得のいかない表情を浮かべておると、そこへ家康公が割って入る。
「疑いや復讐など、いがみ合い戦い合うだけでは、この戦乱の世は終わりはせぬ。辛くても堪え、憎くても許す。そういった堪忍、寛容の心を持ってしてこそ天下泰平の世は訪れるのじゃ」
家康公の言葉に童子の眉が吊り上がる。
「天下泰平の世?そんなもの来るはずはない!」
きっぱりとそう言い切る童子に対し家康公は静かに答える。
「来る・・・いや、我らがもたらさねばならない。『厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)』それが、儂に与えられた使命であるからな」
家康公の言葉に、童子は切ない表情を浮かべる。
「・・・俺は父が死んだ後、諸国を放浪し色んな世を見てきた。どこにおっても、巷(ちまた)に溢れるは裏切りや略奪、貧困に絶望。俺には、天下泰平の世が訪れるなど到底考えられん」
じっと見詰め合う両者。しばらくして家康公の口がゆっくりと開かれる。
「ならば、己が眼で確かめてみるがよい。そして、もしそのような世が訪れんと確信した時は・・・この刀で儂の首をとるがいい」
そう言って家康公は自身が身に着けていた短刀を童子に差し出す。
拙者は、その光景に一向一揆後の出来事を思い出す。
まるであの時の殿と儂のようじゃな・・・いがみ合い戦い合うだけでは、戦乱の世は終わりはせぬ、か。
拙者が感慨に浸っておると、童子はゆっくりと家康公の短刀を掴む。
「天下泰平の世が訪れるかどうか、この目でしかと確かめさせていただく」
童子の発言に左衛門殿がすかさず口を挟む。
「見るだけではなく、お主もその担い手にならねばならん」
左衛門殿の意見に家康公は頷くと童子の眼をじっと見詰める。
「井伊虎松。お主の今後の働き、多いに期待しておるぞ」
そう言われた童子の瞳には何かを決意したような熱いものが宿っておりました。
これが、『徳川の鬼』が生まれた瞬間でございまする。
この後、童子はその名を虎松から万千代へと改めました。
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