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第四章「三河平定」
第十九話「三備」
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吉田城と田原城を攻略し東三河を平定した家康公は民政、軍制の再編制を行うべく、譜代の家臣たちを岡崎城に集めました。この時、一向一揆に加担した者たちにも召集がかけられたため、拙者も登城することと相成りました。
岡崎城の大広間、譜代の家臣たちが大勢居並ぶ中、家康公の声が響き渡る。
「岡崎の奉行に、高力与左衛門清長」
「はっ」
名前を呼ばれたふくよかな丸顔の侍が頭を下げる。
高力与左衛門清長殿。一向一揆の際、土呂にある寺の仏像・経巻などを保護し散逸を防いだことと、また人柄が穏やかで仏のような慈悲深さから『仏の高力』と呼ばれておりました。
そんな与左衛門殿に続き、家康公はさらに名前を呼ぶ。
「そして、天野三郎兵衛景能(かげよし)」
「はっ」
与左衛門殿とは打って変わって、今度は細身の侍が頭を下げる。
天野三郎兵衛景能(かげよし)殿。家康公の人質時代からお側に仕えており、一向一揆では一向宗から改宗して家康公側について戦いました。慎重で思慮深く、公平無私な方でございまする。
「最後に」
家康公は、さらに言葉を続ける。
「・・・本多作左衛門重次」
殿のお言葉に、どよめく一同。
何を隠そうこの本多作左衛門というお方は・・・。
どよめきの中、一人の侍が立ち上がり大声で叫んだ。
「何じゃ、何か文句あるか!?文句がある奴は今すぐ出てこい!この場で叩き潰してくれるわ!」
その声に静まり返る一同。
立ち上がったこの侍こそ・・・当の本人、本多作左衛門重次殿でございまする。作左殿は、このように剛直で一徹な性格をしておりました故、皆この方に奉行職が勤まるのかと心配致しておりました。
「作左殿、落ち着かれよ」
家康公の言葉に作左殿は不満そうな表情を浮かべながらも再びどすんと座り込む。その光景に家康公は一瞬苦笑いを浮かべるも、すぐに真剣な表情へと戻る。
「この三名には、月代わりでの奉行職を命ずる」
「ははっ」
名前を呼ばれた三名は、再度頭を下げる。
奉行職に選ばれたこの三名は、岡崎三奉行と呼ばれ土着の者たちからは三名の性格を風刺し、『仏高力、鬼作左、とちへんなしの天野三兵』と噂されました。とちへんなしとは、どちらにも偏ることはないという意味でございまする。
不釣り合いとも思われたこの三名の配置は、皆の予想に反して三者三様のやり方でうまく作用し合い、よく訴えを聞き届けました。これは、家康公の見事な人事として賞賛されておりまする。
「次に、陣立てに移る」
家康公の声が再度、大広間に響き渡る。
「家臣団を東三河と西三河、そして旗本衆の三つに分け再編制致す」
家臣たちは、家康公の言葉に耳を傾ける。
この三つに分けた軍制こそが、後に三備(みつぞなえ)の制と呼ばれるものでございまする。
「まず、酒井左衛門尉(さえもんのじょう)忠次に吉田城を与え東三河の旗頭(はたがしら)とする」
「はっ」
名前を呼ばれた左衛門殿は頭を下げる。
「その下に桜井、福釜、深溝(ふこうず)、竹谷、長沢、五井の松平一門と、田原の本多豊後守(ぶんごのかみ)広孝、及び東三河の国衆を配す」
「ははっ」
名前を呼ばれた方々は頭を下げる。
「次に西三河。旗頭に、石川日向守家成」
「はっ」
日向守殿は頭を下げる。
石川日向守家成殿は、石川伯耆守(ほうきのかみ)数正殿の叔父で、後に西三河の旗頭の座を甥の伯耆守殿にお譲りになられました。ちなみに、叔父と言いましても伯耆守殿の方が一つ年上であり、また歳が近い事もあってか、お二方ともよう似た顔をしておりました。
「その下に大給(おぎゅう)、佐々木、藤井、能見、吉良東城の松平一門。そして西尾の酒井雅楽助(うたのすけ)正親、加えて某の直臣たちを配す」
「ははっ」
同じく名前を呼ばれた方々が頭を下げる。
「旗本衆に関しても、先陣や遊軍の備(そなえ)とする先手役(さきてやく)と某の馬廻衆(うままわりしゅう)、この二つに分ける。先手役大将には、鳥居彦右衛門元忠」
「はっ」
彦右衛門殿は頭を下げる。
鳥居彦右衛門元忠殿・・・家康公と歳も近く、人質時代を一緒に過ごしたこともあり、家康公とは大変仲がよろしゅうございました。また、彦右衛門殿のお父上・伊賀守忠吉殿は、家康公が駿府に人質としておられた時代に、岡崎の惣奉行を務めており、主君不在の岡崎で松平家臣団を統一すべく尽力致した御仁でございまする。
家康公は、彦右衛門殿に続いて名前を呼ぶ。
「大久保七郎右衛門忠世」
「はっ」
左目に眼帯をつけた七郎右殿が頭を下げる。
「そして・・・」
最後にもう二人、先手役大将に任ぜられた者たちがおりました。
「本多平八郎忠勝と榊原小平太康政」
再びどよめく一同。しかし先ほどのどよめきとは、また違う趣でございました。感嘆や驚嘆、といった感じでございましょうか。先の一向一揆や三河平定戦などの活躍から考えれば当然と言えば当然でございましょうが・・・本多平八郎忠勝、榊原小平太康政、この時まだ齢(よわい)二十にも満たしておりませんでした。
平八郎と小平太は、家康公の言葉に頭を下げる。
「ははっ」
どよめきが収まるのを確認し家康公は言葉を繋げる。
「次に、馬廻衆」
家康公は数名の名を口にした後、一度息を整えると再度口を開く。
「そして・・・」
次の瞬間、再び大きなどよめきが巻き起こった。
「渡辺半蔵守綱」
これまた先の二つのどよめきとはまた違うものでございました。どよめきの中には危惧や懸念、恐れといったものが含まれておりました。
それまで他人事のように家康公の話を聞いていた拙者もその時ばかりは驚き、自分の耳を疑いもうした。
そんな中、一人の侍が立ち上がり反論の声を上げる・・・大久保治右衛門忠佐。
「殿!正気でございまするか?この者は、一向一揆で殿のお命を狙った者でございまするぞ!それを、殿をお守りする馬廻衆にするなど・・・」
「落ち着け、治右衛門」
七郎右殿が治右衛門をなだめる。
「しかし兄上!」
それでも治右衛門の気はなかなか収まらない。治右衛門は、拙者の方を睨みつけ今にも飛びかかって来そうな面持ちでございました。
皆の視線がこちらに集まる中、凛とした声が大広間に響き渡る。
「仇をば恩をもって報ずる」
皆の視線が声の主の方に移る・・・家康公。
「老子、の言葉じゃったかな?一揆の後、大久保常源殿に教わった言葉じゃ。いい言葉なので常に心に留め置こうと思っておる」
家康公は家臣たちを見渡す。
「渡辺半蔵に限らず、ここには他にも一揆側についた者たちが数多くいる。その者たちも様々な理由があって一揆側についたのであろう。仏のため、家族のため、友のため・・・しかし今は皆、同じ想いを胸にこの場におると儂は信じておる。儂は、その者たちに仇ではなく恩をもって返したいのじゃ」
さすがの治右衛門も家康公の言葉に尻込みする。
「それに半蔵」
家康公は拙者の方に目を向ける。
「お主を馬廻衆として儂の側に置く理由はもう一つある。お主が言った言葉、『民のために儂を倒す』。もし、儂の行いが道理に合わず民を困窮させるようなことがあるならば、その時は・・・いつでも儂を殺すがよい。それが、天下の、万民のためになるならば」
家康公は拙者をじっと見詰め、拙者も家康公をじっと見詰め返す。
そして、拙者は深々と頭を下げる。
「渡辺半蔵守綱、家康公の馬廻衆、謹んでお受け致しまする」
岡崎城の大広間、譜代の家臣たちが大勢居並ぶ中、家康公の声が響き渡る。
「岡崎の奉行に、高力与左衛門清長」
「はっ」
名前を呼ばれたふくよかな丸顔の侍が頭を下げる。
高力与左衛門清長殿。一向一揆の際、土呂にある寺の仏像・経巻などを保護し散逸を防いだことと、また人柄が穏やかで仏のような慈悲深さから『仏の高力』と呼ばれておりました。
そんな与左衛門殿に続き、家康公はさらに名前を呼ぶ。
「そして、天野三郎兵衛景能(かげよし)」
「はっ」
与左衛門殿とは打って変わって、今度は細身の侍が頭を下げる。
天野三郎兵衛景能(かげよし)殿。家康公の人質時代からお側に仕えており、一向一揆では一向宗から改宗して家康公側について戦いました。慎重で思慮深く、公平無私な方でございまする。
「最後に」
家康公は、さらに言葉を続ける。
「・・・本多作左衛門重次」
殿のお言葉に、どよめく一同。
何を隠そうこの本多作左衛門というお方は・・・。
どよめきの中、一人の侍が立ち上がり大声で叫んだ。
「何じゃ、何か文句あるか!?文句がある奴は今すぐ出てこい!この場で叩き潰してくれるわ!」
その声に静まり返る一同。
立ち上がったこの侍こそ・・・当の本人、本多作左衛門重次殿でございまする。作左殿は、このように剛直で一徹な性格をしておりました故、皆この方に奉行職が勤まるのかと心配致しておりました。
「作左殿、落ち着かれよ」
家康公の言葉に作左殿は不満そうな表情を浮かべながらも再びどすんと座り込む。その光景に家康公は一瞬苦笑いを浮かべるも、すぐに真剣な表情へと戻る。
「この三名には、月代わりでの奉行職を命ずる」
「ははっ」
名前を呼ばれた三名は、再度頭を下げる。
奉行職に選ばれたこの三名は、岡崎三奉行と呼ばれ土着の者たちからは三名の性格を風刺し、『仏高力、鬼作左、とちへんなしの天野三兵』と噂されました。とちへんなしとは、どちらにも偏ることはないという意味でございまする。
不釣り合いとも思われたこの三名の配置は、皆の予想に反して三者三様のやり方でうまく作用し合い、よく訴えを聞き届けました。これは、家康公の見事な人事として賞賛されておりまする。
「次に、陣立てに移る」
家康公の声が再度、大広間に響き渡る。
「家臣団を東三河と西三河、そして旗本衆の三つに分け再編制致す」
家臣たちは、家康公の言葉に耳を傾ける。
この三つに分けた軍制こそが、後に三備(みつぞなえ)の制と呼ばれるものでございまする。
「まず、酒井左衛門尉(さえもんのじょう)忠次に吉田城を与え東三河の旗頭(はたがしら)とする」
「はっ」
名前を呼ばれた左衛門殿は頭を下げる。
「その下に桜井、福釜、深溝(ふこうず)、竹谷、長沢、五井の松平一門と、田原の本多豊後守(ぶんごのかみ)広孝、及び東三河の国衆を配す」
「ははっ」
名前を呼ばれた方々は頭を下げる。
「次に西三河。旗頭に、石川日向守家成」
「はっ」
日向守殿は頭を下げる。
石川日向守家成殿は、石川伯耆守(ほうきのかみ)数正殿の叔父で、後に西三河の旗頭の座を甥の伯耆守殿にお譲りになられました。ちなみに、叔父と言いましても伯耆守殿の方が一つ年上であり、また歳が近い事もあってか、お二方ともよう似た顔をしておりました。
「その下に大給(おぎゅう)、佐々木、藤井、能見、吉良東城の松平一門。そして西尾の酒井雅楽助(うたのすけ)正親、加えて某の直臣たちを配す」
「ははっ」
同じく名前を呼ばれた方々が頭を下げる。
「旗本衆に関しても、先陣や遊軍の備(そなえ)とする先手役(さきてやく)と某の馬廻衆(うままわりしゅう)、この二つに分ける。先手役大将には、鳥居彦右衛門元忠」
「はっ」
彦右衛門殿は頭を下げる。
鳥居彦右衛門元忠殿・・・家康公と歳も近く、人質時代を一緒に過ごしたこともあり、家康公とは大変仲がよろしゅうございました。また、彦右衛門殿のお父上・伊賀守忠吉殿は、家康公が駿府に人質としておられた時代に、岡崎の惣奉行を務めており、主君不在の岡崎で松平家臣団を統一すべく尽力致した御仁でございまする。
家康公は、彦右衛門殿に続いて名前を呼ぶ。
「大久保七郎右衛門忠世」
「はっ」
左目に眼帯をつけた七郎右殿が頭を下げる。
「そして・・・」
最後にもう二人、先手役大将に任ぜられた者たちがおりました。
「本多平八郎忠勝と榊原小平太康政」
再びどよめく一同。しかし先ほどのどよめきとは、また違う趣でございました。感嘆や驚嘆、といった感じでございましょうか。先の一向一揆や三河平定戦などの活躍から考えれば当然と言えば当然でございましょうが・・・本多平八郎忠勝、榊原小平太康政、この時まだ齢(よわい)二十にも満たしておりませんでした。
平八郎と小平太は、家康公の言葉に頭を下げる。
「ははっ」
どよめきが収まるのを確認し家康公は言葉を繋げる。
「次に、馬廻衆」
家康公は数名の名を口にした後、一度息を整えると再度口を開く。
「そして・・・」
次の瞬間、再び大きなどよめきが巻き起こった。
「渡辺半蔵守綱」
これまた先の二つのどよめきとはまた違うものでございました。どよめきの中には危惧や懸念、恐れといったものが含まれておりました。
それまで他人事のように家康公の話を聞いていた拙者もその時ばかりは驚き、自分の耳を疑いもうした。
そんな中、一人の侍が立ち上がり反論の声を上げる・・・大久保治右衛門忠佐。
「殿!正気でございまするか?この者は、一向一揆で殿のお命を狙った者でございまするぞ!それを、殿をお守りする馬廻衆にするなど・・・」
「落ち着け、治右衛門」
七郎右殿が治右衛門をなだめる。
「しかし兄上!」
それでも治右衛門の気はなかなか収まらない。治右衛門は、拙者の方を睨みつけ今にも飛びかかって来そうな面持ちでございました。
皆の視線がこちらに集まる中、凛とした声が大広間に響き渡る。
「仇をば恩をもって報ずる」
皆の視線が声の主の方に移る・・・家康公。
「老子、の言葉じゃったかな?一揆の後、大久保常源殿に教わった言葉じゃ。いい言葉なので常に心に留め置こうと思っておる」
家康公は家臣たちを見渡す。
「渡辺半蔵に限らず、ここには他にも一揆側についた者たちが数多くいる。その者たちも様々な理由があって一揆側についたのであろう。仏のため、家族のため、友のため・・・しかし今は皆、同じ想いを胸にこの場におると儂は信じておる。儂は、その者たちに仇ではなく恩をもって返したいのじゃ」
さすがの治右衛門も家康公の言葉に尻込みする。
「それに半蔵」
家康公は拙者の方に目を向ける。
「お主を馬廻衆として儂の側に置く理由はもう一つある。お主が言った言葉、『民のために儂を倒す』。もし、儂の行いが道理に合わず民を困窮させるようなことがあるならば、その時は・・・いつでも儂を殺すがよい。それが、天下の、万民のためになるならば」
家康公は拙者をじっと見詰め、拙者も家康公をじっと見詰め返す。
そして、拙者は深々と頭を下げる。
「渡辺半蔵守綱、家康公の馬廻衆、謹んでお受け致しまする」
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