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9 過去(カナの話)

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 カナ・トバタ、がこの世界にやってきたのは五年ほど前だった。
 王宮の中庭にあるガゼボが光り、光がおさまるとそこに少女が倒れていた。
 マレビトがやってきたと王宮の人間はすぐに分かった。
 光と共に現れた黒髪黒目の少女。マレビト以外に考えられなかった。
 すぐに王宮の客室に運び医師を呼び診察をする。
 意識が戻ったカナ医師や王宮の人間は状況を丁寧に説明した。
 最初こそ混乱していたが少しずつカナは事態を把握し順応していく。
 カナが現れて一週間ほど経った頃領地からキキョウ・シジョウ伯爵夫人が王宮に来た。
 マレビトの世話役である彼女に現れた時の状況と現在のカナの健康状態などを伝えて後は彼女に任せた。
 シジョウ伯爵夫人はカナを庭に連れ出した。そこでカナが意外なことを言ったのだ。
 カナが国名を『フランセス王国ではないか?』と当てた時には驚いたしそれと同時にシジョウ伯爵夫人はカナから不思議な質問を受けた。
 『ヴィオラ』という名前の伯爵令嬢はいるか、『ラウル』と言う名の侯爵令息はいるか、学園は平民も入れるのか。
 意図がよくわからなかったが伯爵夫人は出来る限り答えた。
 『ヴィオラ』という名前の令嬢はいないが『ヴィオレット』という名前が近い伯爵令嬢ならいること。
 『ラウル』という名前はありふれているが侯爵令息にはいないこと。伯爵令息と子爵令息と男爵令息にいて他にも騎士や文官にいること。学園には平民も入れること。
 そこまで聞いてカナは首を傾げた。「君僕っぽいけどちょっと違うのね……時代がずれてるとかかな……」そんなことを呟いた。
 シジョウ伯爵夫人は深く追求はしなかった。ただマレビトが心穏やかに過ごせるように誠心誠意仕えた。


        *****


 カナがここが異世界だと受け入れられるまで一週間ばかりかかった。
 最後の記憶は高校の卒業式へと向かったとき。道の向こうで友人に呼ばれ車道に駆けだした。
 黒い車のアップで意識が途切れて気づいたらこの世界にいた。
 目が覚めた時にはレースの天蓋付きのベッドで寝ていた。すごい映画で見たようなヤツだ、と思っているうちにクラシカルなメイドの恰好をした人が入って来てびっくりした顔をしながらバタバタと部屋を出て行った。出て行ったな、と思っているうちに足音が増えて入って来たのは金髪だったり銀髪だったり目が緑だったりのファンタジーな見た目の人たちだった。服装も中世ヨーロッパみたいなドレスとかだ。映画のCMとかで観た程度だからそれが具体的に何という服なのかわからないけれど。
 意味わからんと思ってると話しかけられた。その言語が日本語でも英語でもない聞いたことないものだと思ったのに意味が分かった。
 豪華な部屋の豪華なベッドに寝かされて服も絹のような手触りの服に替わっている。
 見知らぬ場所見知らぬ人たちだったけれど気遣われているのはわかるし丁重に扱われていると感じた。
 食事も豪華すぎるものだったが米が食べたいとため息をつくとまた医師を呼ばれた。
 害意がないのもわかるし何やら要人のような扱いだったけれど正直心細かった。
 なによりここの人たちがなんの違和感もなく自分を受け入れているのが気味悪かった。
 誘拐して人質にだとかどこかに売られるとか現実的なことを考えようとしたけれど中世ヨーロッパのような雰囲気が人々がそれを否定していく。
 どうしたってここは日本ではない。というか自分が生きていた世界ではない。
 豪華な部屋の豪華なベッドで寝起きし、見た目も綺麗で豪華な食事をし、お付きの人たちや騎士の人と散歩し、読み書きを習い日本のことを語る。
 そんな毎日を過ごす。自分が現われたという庭を見た時だけはふとなにか思い出しそうな気がした。
 そうしてこのよくわからないところに来て一週間ほど経った頃。
 母親ぐらいの年齢の今まで見かけなかった女性が古い本を片手に訊ねてきた。
 「私は四条桔梗といいます。あなたのお名前は?」
 それは完全に日本語だった。髪はこげ茶だけれど瞳は黒い。それに四条桔梗って日本人なの?
 地獄に仏!と思ったがそれは間違いだった。やはりこの世界の人で私はマレビトとかいうのらしかった。
 要するに異世界召喚だな、と納得してしまった。
 四条さんは以前のマレビトの子孫でマレビトの苗字を名乗っている一族なんだそう。
 四条さんに「戸畑加奈です」と名乗ると、「戸畑加奈さんね」と漢字名で答えてくれてなんだか心の底から安心した。
 そのあと一緒に庭を散歩した。庭を歩きながらなんかどこかで見たことあるような気がするな、映画とかアニメかなと思っていたが自分が現れたというガゼボを見てわかった。
 (ここ『君僕』の世界に似てるんだ)
 『君僕』は『君と紡ぐ僕の夢』という中世ヨーロッパ風の恋愛小説で、平民の女の子が貴族の男性に見初められて侯爵夫人になる話だ。
 いわゆるシンデレラスト―リーだ。貴族の男性には意地悪な婚約者がいて主人公の平民の女の子をいじめぬく。
 主人公の名前はルビー、男性はラウル、意地悪な婚約者はヴィオラ。この3人は同じ学園に通っていた。
 確かラウルは侯爵令息で、ヴィオラは伯爵令嬢だったはず。四条さんに聞いてこの世界が本当に君僕の世界なのか確かめた。
 結果はなんかこう曖昧でヴィオラはいないがヴィオレットならいてラウルは侯爵令息じゃないし、人の名前にルビーとは今はあまり名付けないらしい。
 もしかして君僕の世界の未来の世界だったりするんだろうか?そもそも君僕にマレビトなんか出てなかったし。
 でも国名はフランセス王国で合っていたし、あのガゼボは王宮で開かれる舞踏会でラウルとルビーが口づけを交わす場所だ。
 ヴィオラと婚約破棄したラウルはルビーと結婚してルビーは侯爵夫人となり幸せに暮らしました、で終わる物語。
 試しに四条さんに平民の子が侯爵夫人となれるのか聞けば絶対にない、と答えが返った。
 どうしてもというなら一旦貴族の家の養子になって貴族籍に入りそれから結婚になる。ただ侯爵夫人ともなれば普通の主婦ではないので平民には厳しいだろうということだった。
 それに平民を養子にするメリットが貴族側にない。貴族側の血を引いてるような浮気の末の子とかならまだしもただの平民を養子にはしない。
 多分平民と結婚したいといった時点で男側が貴族籍から除籍される、つまり勘当ということになるんだろう。
 身分制度がないからあまりピンと来ないけどいいところの坊ちゃんが一般庶民と結婚するにはハードルが高いみたいなもんだろう。
 けれどそうなるとますます君僕の世界から遠ざかる。確かに身分差がどうこうという描写はあったけれど、乗り越 えてしまったし。
 まああくまでフィクションの小説だし、と思っても、じゃあ今自分がいる現実はなんなのだろうと疑問にぶち当たる。
 小説は小説、でも今いるここはどこなの?って話だ。君僕の世界であってそうではない。

 穏やかだけれど不安な日々を過ごしつつ考える。フィクションだけれどフィクションじゃない異世界。
 小説が先にあって異世界が生まれたと思っていたけれど、逆なのかもしれない。
 異世界から日本に来た誰かが異世界をこのフランセス王国をモチーフにして君僕を書いたのかもしれない。
 日本からこっちに来るのだからその逆があってもおかしくないんじゃないかなって。
 よくある召喚とかされたわけじゃないんだから何かのはずみで世界を渡ってしまうのかもしれない。
 きっと日本からこっちに来た人が『マレビト』という言葉を教えてそれが根付いたんだろう。
 何かのはずみで来るのなら一方通行ではないかもしれない。
 『君と紡ぐ僕の夢』はたぶんフランセス王国から日本に渡ってしまった人が、書いたんだろう、と結論付けた。
 そして、ならばここでやりたいと思えることができた。

 「四条さん」
 「なんでしょうか?」
 「私、物語を書きたい」
 「物語、ですか?」
 「ええ。恋愛小説を、この世界の設定で」
 「ではノートとペンをご用意しますね」
 与えられた王宮の一室。そこで私はマレビトとして保護されながら『君と紡ぐ僕の夢』を思い出しながら執筆した。

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