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民の心
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母国まではそれなりの距離があります。
私は馬を労い、人の多い町で宿を取りました。あまり寂れた町では目立ってしまうことを恐れたのですが、それにしても賑やかな町でした。
この国にやってきた時、民達は皆、魔物に怯えて暮らしていました。こんなにも賑やかな町の空気を初めて感じたのです。
「やあお嬢さん!」
「ああ、なんてことだ、今日もカードで負けてしまった」
「仕事の調子はどうだ?」
「だめよ、この店は美味しすぎて太っちゃうのよ!」
人々の声を聞きながら、私は食堂でのんびりと食事をしました。聖女でいる間に与えられていた食事より、あきらかに美味でした。
粗食が聖力に影響を与えるという証拠はありません。少なくとも私はそんなことを感じてはいませんでした。けれど聖女といえば、慎ましい生活をするべきだという考えがあったようです。
あの生活のどこにお金が使われていたのだろうと、また考えます。
大神官は魔物の侵攻が落ち着いた頃から太り始め、近頃ではまた痩せていました。神殿への寄付が減っていたのでしょうね。神殿を維持するための費用が大きかったことはわかっています。私という存在から資金が引き出しづらくなった以上、貴族女性を巫女にして寄付金を募りたかったのでしょう。
「おい、町に魔物が入ったらしいぞ」
「なんだって!? どんなやつだ」
「このくらいの……」
「ははっ、なんだ、子猫じゃないか、それじゃ」
「武器屋の親父が踏み潰したらしい」
のんきに話す人々の言葉に、私は少し緊張しました。
結界はもう張っていません。王都にある神器の助けがなければ、維持し続けることはできませんでした。
この町に巫女の浄域は感じられますが、やはり魔物の侵入を防ぐことはできないのでしょう。
魔物は地中から湧きます。どこからでも現れます。
今は小さなものだけれど……。
「小さすぎて聖女の結界をすり抜けたのかもな」
「いや、結界をすり抜けるなんていつものことなんだろ? それを自警団が狩っていると聞いたぞ」
「へえ。聖女の力が衰えてるってのは本当らしいな。聖女をくびにして、自警団に金をくれりゃあ仕事にあぶれるやつがいなくなっていいんだが」
「おいおい、十年前にこの国が守られたのは聖女様のおかげだろ」
「どうだかなあ」
多くの人々を雇えるほどのお金を頂いてはおりませんでした。それに失業者を自警団に仕立てたところで、魔物を相手にすればお金をもらう前にほとんど死んでしまうでしょう。
私は憂鬱な気分になります。
ですがいずれ私の力は衰えます。遅いか早いかだけです。ならば大神官が予定通りにすすめてくれることを願うしかありません。
『無理な話だ。今日鍛えて、明日魔物と戦えはしない。ぬくぬくと結界に入ったまま鍛錬できるわけもない』
彼の言葉をまた思い出しました。
翌日、私は早朝からその町を後にしました。まだ大神官が上手くやる可能性はありますが、早く母国に戻った方がよいのでしょう。
次の町では子供が魔物に噛まれて怪我をし、その次の町ではすでに大人が一人食い殺されていました。この町では浄域を張れる巫女がいなかったようです。
大神官が思うほど、多くの巫女の浄域の範囲は広くありません。いえ、能力最大の範囲をずっと張り続けることは難しいのです。恐らく予想より多くの巫女が必要とされるでしょう。そしてすぐに巫女を育てることなどできません。
とてものんびりと宿を取れる状況ではなくなり、私は先を急ぎました。国の端にいくほど不穏な気配は増し、そこから落ち着きを取り戻していきました。
母国が近づいているのです。
武力で魔物を抑え込んだ国です。その国に近くなればなるほど、魔物の倒し方、制御の仕方が知られているのでした。
「……ああ」
国境の門はひどく懐かしいものでした。私は急にぐったりと疲れを感じ、馬から転げ落ちるところでした。
戻ってきた。
戻ってきてしまった。
14のあの日、私は決意を胸にしていました。この国を救おうと思っていました。あの人の言ったことなど実現しないと信じていました。
『君は戻ってくることになる。そして、我が国のため、隣国のために最後の仕事をしてくれるだろう』
私の行動は結局、王子の手のひらの上でした。
それでも最後にやるべきことをやらなければ、多くの人が命を落とすことになるでしょう。いえ、本当にこれが正しいのか、私にはわかりません。
私は力を与えられただけです。神は何もしてくれず、何も教えてくれないのです。
「ガディス王子に連絡を。……セーラだと言えば、わかってくださいますから」
連絡に手間取るだろうと思っていたのに、国境の門番はすぐにうなずいて、私を保護してくれました。そろそろ私が戻ってくることも予測していたのかもしれません。
恐ろしい人です。
私はきっともっと、彼の話をよく聞いておくべきだったのでしょう。
私は馬を労い、人の多い町で宿を取りました。あまり寂れた町では目立ってしまうことを恐れたのですが、それにしても賑やかな町でした。
この国にやってきた時、民達は皆、魔物に怯えて暮らしていました。こんなにも賑やかな町の空気を初めて感じたのです。
「やあお嬢さん!」
「ああ、なんてことだ、今日もカードで負けてしまった」
「仕事の調子はどうだ?」
「だめよ、この店は美味しすぎて太っちゃうのよ!」
人々の声を聞きながら、私は食堂でのんびりと食事をしました。聖女でいる間に与えられていた食事より、あきらかに美味でした。
粗食が聖力に影響を与えるという証拠はありません。少なくとも私はそんなことを感じてはいませんでした。けれど聖女といえば、慎ましい生活をするべきだという考えがあったようです。
あの生活のどこにお金が使われていたのだろうと、また考えます。
大神官は魔物の侵攻が落ち着いた頃から太り始め、近頃ではまた痩せていました。神殿への寄付が減っていたのでしょうね。神殿を維持するための費用が大きかったことはわかっています。私という存在から資金が引き出しづらくなった以上、貴族女性を巫女にして寄付金を募りたかったのでしょう。
「おい、町に魔物が入ったらしいぞ」
「なんだって!? どんなやつだ」
「このくらいの……」
「ははっ、なんだ、子猫じゃないか、それじゃ」
「武器屋の親父が踏み潰したらしい」
のんきに話す人々の言葉に、私は少し緊張しました。
結界はもう張っていません。王都にある神器の助けがなければ、維持し続けることはできませんでした。
この町に巫女の浄域は感じられますが、やはり魔物の侵入を防ぐことはできないのでしょう。
魔物は地中から湧きます。どこからでも現れます。
今は小さなものだけれど……。
「小さすぎて聖女の結界をすり抜けたのかもな」
「いや、結界をすり抜けるなんていつものことなんだろ? それを自警団が狩っていると聞いたぞ」
「へえ。聖女の力が衰えてるってのは本当らしいな。聖女をくびにして、自警団に金をくれりゃあ仕事にあぶれるやつがいなくなっていいんだが」
「おいおい、十年前にこの国が守られたのは聖女様のおかげだろ」
「どうだかなあ」
多くの人々を雇えるほどのお金を頂いてはおりませんでした。それに失業者を自警団に仕立てたところで、魔物を相手にすればお金をもらう前にほとんど死んでしまうでしょう。
私は憂鬱な気分になります。
ですがいずれ私の力は衰えます。遅いか早いかだけです。ならば大神官が予定通りにすすめてくれることを願うしかありません。
『無理な話だ。今日鍛えて、明日魔物と戦えはしない。ぬくぬくと結界に入ったまま鍛錬できるわけもない』
彼の言葉をまた思い出しました。
翌日、私は早朝からその町を後にしました。まだ大神官が上手くやる可能性はありますが、早く母国に戻った方がよいのでしょう。
次の町では子供が魔物に噛まれて怪我をし、その次の町ではすでに大人が一人食い殺されていました。この町では浄域を張れる巫女がいなかったようです。
大神官が思うほど、多くの巫女の浄域の範囲は広くありません。いえ、能力最大の範囲をずっと張り続けることは難しいのです。恐らく予想より多くの巫女が必要とされるでしょう。そしてすぐに巫女を育てることなどできません。
とてものんびりと宿を取れる状況ではなくなり、私は先を急ぎました。国の端にいくほど不穏な気配は増し、そこから落ち着きを取り戻していきました。
母国が近づいているのです。
武力で魔物を抑え込んだ国です。その国に近くなればなるほど、魔物の倒し方、制御の仕方が知られているのでした。
「……ああ」
国境の門はひどく懐かしいものでした。私は急にぐったりと疲れを感じ、馬から転げ落ちるところでした。
戻ってきた。
戻ってきてしまった。
14のあの日、私は決意を胸にしていました。この国を救おうと思っていました。あの人の言ったことなど実現しないと信じていました。
『君は戻ってくることになる。そして、我が国のため、隣国のために最後の仕事をしてくれるだろう』
私の行動は結局、王子の手のひらの上でした。
それでも最後にやるべきことをやらなければ、多くの人が命を落とすことになるでしょう。いえ、本当にこれが正しいのか、私にはわかりません。
私は力を与えられただけです。神は何もしてくれず、何も教えてくれないのです。
「ガディス王子に連絡を。……セーラだと言えば、わかってくださいますから」
連絡に手間取るだろうと思っていたのに、国境の門番はすぐにうなずいて、私を保護してくれました。そろそろ私が戻ってくることも予測していたのかもしれません。
恐ろしい人です。
私はきっともっと、彼の話をよく聞いておくべきだったのでしょう。
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