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終わりの始まり

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「もうわかっているんだ。君がこの国に張り巡らせているのは浄域であって、結界ではない」
「……いいえ、結界です」

 私は静かに真実を告げました。
 この、さして広くないとはいえ国全体に私は結界を張っています。魔物を決して侵入させない結界です。魔物が近づくことを忌避するというだけの「浄域」ではないのです。

 けれど私の上司という立場の大神官は、もう自分の中で結論を出してしまっているのです。

「結界ならば、どうして魔物を倒した報告が相次ぐのだ」
「結界の外で倒したのでしょう」

 それは私の中で自明のことです。結界は魔物を通しません。
 雇われた兵士たちは自分の生活を守るために、魔物を倒して報酬を得るのです。

「多くの兵士たちが嘘をついていると? 話にならんな。だいたいおかしな話だ。いくら神器の助けがあり、力の強い聖女でも、結界を国全体に張り続けていられるわけがない」

 でも、できてしまっていたのです。
 その力もそろそろ尽きる頃でした。私は信託の通り、与えられた聖力でこの国を守りました。

 十年前のことです。世界的な魔物の大発生がありました。私は隣国に生まれましたが、隣国は武力で国を守ることを選んだため、この国に求められて聖女となったのです。
 そして強力な魔物達の侵攻を退けました。
 その時は私を神とばかりに崇めてくれたものです、目の前の大神官様も。

「浄域ならば見習い巫女にでも張ることができる。各地で数人ずつ雇ったとしても、君ひとりの給料に及ばない額でね」
「結界でなければ、大侵攻を耐えることはできなかったでしょう」
「ああ、あの時はそうだったのだろう。だが、今は浄域だ。大義を果たした君の力はもう尽きている。そうだろう?」
「衰えていることは否定しませんが」

 それでもまだ、国を覆うほどの結界を張れています。もっと衰えたとしても、恐らく小さな範囲の結界は張り続けられるでしょう。
 この国に結界を張れる聖女はいません。
 充分に私は価値のある存在だと思っていましたが、大神官様にとってそうではないようです。国からの支援金が減っているのかもしれません。

「身の引き時は弁えたまえ。もともと君は隣国の生まれだ。この国のことは、この国で動かしていく。隣国と関わりのある者を聖女とし続けることを、皆、よく思っていないのだ」
「……」

 それはそうでしょう。
 武力で魔物の侵攻を退けることができた隣国は、いつでもこの国を攻め滅ぼすことができます。
 実際のところ、他国を敵に回すことを恐れるため、理由なく隣国が攻めて来ることはないでしょう。ですがこの国の人々は怯えているのです。私が裏切り、他国の軍を引き入れることを恐れているのです。

 この国を救った聖女であることは、そこにはもう関係がないようでした。

「高い給金とおっしゃいましたけれど、私はそれを持ち出すことができるのですか?」
「……最後に持ち出すのが金の話か。君は嘘つきだが、聖女だろう」
「私は事実を述べています。あなたに従い続けた結果、使うことを許されなかった給金のことです。存在しない給金で神の使徒を使い続けていたのですね?」
「人聞きの悪い。君の快適な生活のために使っていたさ」
「ええ、私を快適にするはずの、特に役に立たない人たちのためにですね。特に、あなただとか」

 大神官が顔をしかめたので、少し溜飲を下げることにしました。どうせこのまま文句を言っても、すべてを持ち出すことはできないでしょう。
 そもそも、残っているお金は少ないはずです。

「では、十分の一にまけてさしあげましょう。それをすぐにご用意いただけるのであれば、黙って出ていきます。そうでなければこの場で自害します」
「なっ……そんな脅しにのると」
「大神官様、この十年、私が得られたのは存在しない給料だけでしたよ。これまでの給料をいただけないのであれば、私はこの国に何もいただかなかったことになります。であれば、この国が神の怒りを受けて滅びたとしても胸は傷みませんよ」

 大神官様は、これまでよくしてやったのに、だとか、恩知らずとかぐちぐち言い出しましたが、私は涼しい顔ですべてに「あなたのことを言っておられるのですか?」とお返ししました。
 結局、お金は用意していただけました。よかったです。そのお金で老馬を一匹譲っていただき、残りを体にぐるりと巻き付けて、私は神殿をあとにしました。

「隣国まで、お願いね」

 馬を聖力で強化してやり、隣国まで急いで駆けます。この国で聖女を殺し、神の怒りを受けることは避けたいでしょうが、金を奪うくらいはしてくるかもしれません。
 そもそも神の怒りと言っても、実際には有り余る聖力が死後に呪いのようになるだけです。神は人に力を授けますが、自ら動くことはありません。

「馬に乗れるようになっていて良かった。……あの人の言ったこと、全部当たったわね」

 私はこの十年、守り続けた国を駆けていきます。
 町中も森も街道にも、まだ魔物の姿はありません。それが当たり前になり、人々はのんきに行き交っています。

 私はぼんやりと、あの人……母国の王子の言葉を思い出します。

『君はいずれ排除されるだろう。脅威というのは、そこになければ脅威ではない。君の結界が優秀であればあるほど、人々はその価値を認めなくなる』

 あの時の私はどう答えたのでしょうか。わずか14の私は、確か、そう、そこまで人が悪辣であるはずはないと言ったのです。
 守られておいて感謝しないなんて、まるきり恩知らずです。

『悪辣なのではないよ。ただ、愚かなのだ。目の前のことだけしかわからないし、自分の常識の中でしか生きられない。……常識外な君の力を、ずっと認めているのは無理なのだ』

 その通りでした。
 私の力が常識外すぎたのでしょう。この国を結界で覆い続けるなど非常識だったのです。どこかのタイミングで浄域に切り替えるべきだったのでしょう。でもそうすれば、そこで人が死に、私は責められていたでしょう。

 それに規格外のこの力を持ったままでは、私はうっかり死ぬこともできません。聖力を少しでも使い続けたかったのです。できるならば、誰かに感謝されながら。
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