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レイチェルがいなければ。

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 アリシアは穏やかな令嬢だった。
 微笑みを絶やさず、愚痴もこぼさず、静かに自分のなすべきことを行っていた。そのあまりの穏やかさが王子には胡散臭く、感情を表情に出さない貴族そのもののように思えていた。
 しかし思い返せば、口さがない貴族のように、彼女が誰かの悪口を言うこともなかった。

 好むのはひとりでのんびり、庭の手入れをすることだった。

「それならば確か、アリシアが薔薇を育てて……、いや」
 失言だった。
 ぽつりぽつりと庭の話をしていたレイチェルは表情をなくすと、ふらりと幽鬼のように席を立ち、部屋を出ていった。曖昧な表情をした侍女が追っていく。

「……邪魔をした」
「いえ」
 レイチェルに礼儀作法を教えている教師は、礼儀正しく首を振った。
「殿下のおかげで、本日は着席しておられましたので」

「そ……うか……」
 では普段は、そこまでもいかないということだ。
 レイチェルの教育が上手くいっていないことは聞いていた。そもそも寝室から出てくることが少ない。
 大人しい侍女を必ず数人そばにつけて、ベッドの中で丸くなっているのだそうだ。

 強引に外に出させても、悪評を振りまくばかりだ。
 それに王子も忙しかった。卒業、婚姻とともに立太子の儀を行い、公務に本格的に取り組むようになったのだ。
 勉学のように聞き流していればいいというものではない。
 責任がある。



「殿下、そう気負うことはないですよ。殿下は尊いお方なのですから、堂々としていればいいのです」
 視察先の案内をしながら、薄ら笑いを浮かべた貴族が言う。
「……そうはいかない」
 王子は力なく答えた。
 まるで「無能は何もしなくていい」と言われたように感じたのだ。

 今までの王子であれば、考えもせずに頷いていただろう。
 だがアリシアの死、貴族たちの微笑みながら軽蔑に満ちた目、一向に消えない噂、それらが王子を焦らせる。言葉の裏を感じてしまう。

「それより殿下、レイチェル様は調子がお悪いとか。快復されるまで王子を支える方が必要でしょう。ラウリー伯爵のご息女など……」
「……何を言っている? 私にはレイチェルがいる」
「はは、そうですな。ですが偶然の出会いとはあるもの。それは殿下の瑕疵ではありますまい」
「待て」
「いえ、いえ、お忘れください」
 含み笑いを浮かべた貴族は、そのまま去っていった。



 それからほんの半月も経っていない。
「まあ殿下、御前失礼いたします。わたくしはルミナリア・ラウリーと申します」
「……」
 王子は顔をしかめた。
 王宮の中庭で、あきらかに仕組まれた出会いだった。

「……私は宰相に用がある。失礼する」
「あっ、殿下……きゃあっ!」
「な」
 思わず振り向くと、ルミナリアがうずくまって足を押さえていた。

「……どうした」
「ああ、殿下、はしたないところを……。少しつまずいてしまっただけですわ」
 ルミナリアは身の置きどころもないという様子で、小さくなって頭を下げた。
「どうぞ、お構いなく」

 そうもいかない。
 ちらりと護衛に託すことも考えたが、彼らはあくまで王子の護衛である。令嬢に紳士的な対応ができるかは怪しく思った。

 王子はため息をついて彼女の手を取り、中庭のベンチまで案内した。
「あ、ありがとうございます。殿下の手を煩わせるなんて……」
「構わない。……足は」
「どうかしら」
 王子は思わず声をあげるところだった。

 ルミナリアが当たり前のように靴を脱いだのだ。
 男の前で足を見せるなど、とても令嬢の行動ではない。

「君は……」
「えっ?」
「はしたないことを」
「えっ、あっ、ごめんなさい、だめだったのですね」

 ルミナリアは恥じらうように肩をすくめ、涙のたまった目で言った。
「わたくしは幼い頃、体が弱く……田舎の領地で育ちましたので、貴族の常識がわからないのです。大変申し訳ありません」

「……いや、いい……」
 平伏せんばかりに頭を下げるので、叱りつけるのもためらわれた。
 そうして内心、なるほどとも思う。このような令嬢では、嫁ぎ先を見つけるのも一苦労だろう。王太子の妾にでもして、という話になるのもわかる。

(そうでなければ、誰が私の寵を求めるというのだ)
 身分の低い娘を優先し、婚約者を殺した王子。
 にこやかに近づいてくる令嬢も皆、どこか表情を強張らせている。

(違う。知らなかったのだ!)
 だが釈明する機会は与えられない。誰も正面から王子を責めたりなどしないからだ。

「あっ、もしかしてこの中庭も、入ってはいけなかったのですか!? ど、どうしましょう」
「ここは……問題ない」
 令嬢があまりに悪意なく動揺しているので、つい王子は笑った。
 かつてのレイチェルも、あまりに不慣れで放っておけなかったのだ。

(そうだ、私にはレイチェルがいる)
 ルミナリアに深入りするわけにはいかない。
(今のレイチェルを放っておけない。守らなければ。アリシアの、私のせいで……いや……)

 王子はぼんやりと、かつてのレイチェルと、今のレイチェルを思った。怯え、崩れた顔。
 花についた虫に怯えるレイチェルは愛らしく、守ってやりたい気持ちになった。だというのにアリシアへの怯え、あれは、ひどく、醜く……。

(何を考えているのだ)
 レイチェルこそが愛すべき女だ。アリシアと違って素直で、アリシアと違って愛らしく、アリシアと違ってたやすく距離を詰めてくる。
 アリシア、アリシアと違って、アリシア……。

(違う! アリシアは関係がない)
 その名を思うたびに死に顔が目に浮かぶ。
 どうして考えてしまうのだ。忘れてしまえ。レイチェルがいれば、比べる必要などないではないか。

(そうだ、レイチェルは……)
 レイチェルは嘘つきではないか。

 金のために下賜品を売り払うような、下賤のもの。
(……仕方がなかったのだ。恵まれていない、常識を知らないのは……育ちのせいだ……)
 守らなければ。

(何のために?)

 いったいレイチェルが何をしてくれるというのだろう?
 部屋に閉じこもり、いつも暗い顔をしている、あの女と共にいたいのか?

(アリシアが死んだのは私のせいではない)
 無知だった。
 だが、レイチェルがいなければ、アリシアと婚約破棄などしなかった。

(レイチェルがいなければ……)
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