15 / 16
「……寂しくなります」
しおりを挟む
「辞めることになったの」
「え……?」
私が死刑囚の気持ちで扉を開けると、アデラは嫌そうに言いました。
「辞めることになったの。だから悪いけど、明日からあなたのお世話はできません。手際の悪い誰かが来るだろうけど、あたしのせいじゃありませんから、」
「辞めてしまうの……?」
引き止めてもどうしようもないことはわかっていて、問いかけました。本当に、辞めてしまうのでしょうか。
私はアデラが犯人でないことは知っています。潔白が明らかになることも、もしかするとあるかもしれないでしょう。
「……ええ、辞めるんです。もうこんなところ、辞めてやるんだから……」
「そう」
私は悲しくなりましたが、悪いのは私です。これ以上、ひどい職場と思いながら務めてほしいとは言えません。
「……寂しくなります」
私はそう言いました。
するとアデラは目を見開いて私を見ました。思わず悲鳴をあげそうになります。その目には真犯人が写っているのでしょうか?
「ふん。……残念だけどね」
ですがアデラはにやりと笑いました。
「とても、残念です。アデラは……とても、よく、してくれたので」
「そうでしょ?」
「ええ。他の方よりずっと、テキパキしていて……」
「そりゃそうよ。まあ、あたしが出来るっていうより、他の奴らが無能すぎるんだけどね」
アデラはにやつきが隠せないくらいに嬉しそうです。せめて彼女をいい気分で送り出したい私も、嬉しくなりました。
もっと褒め言葉を探します。
「それに話していて楽しいので、いなくなるなんて寂しいです」
これは本当のことです。アデラがいなくなったら、私は誰とも会話できなくなってしまうでしょう。
「ふうん」
「……寂しいです、とても」
「そう」
つんとアデラは鼻を高くして言いました。
「でもまあ、しょうがないわ。もう決めたことだから。あなたも大人なんだから一人で頑張ってちょうだい」
「はい」
私は少しおかしくなり、笑うことができました。奥様扱いでないのは最初からですが、もう友達か、なんなら年下くらいの言葉遣いです。
「とろくさいあなたに教えておいてあげる。奥様なんて言われていい気で暮らしてたら痛い目見るわよ」
「そう……なんですか?」
「そうよ。若旦那様には愛人がいるし、あなたの子供を生む妻を見繕うつもりよ。あなたの子供なら、伯爵家を乗っ取れるんでしょ?」
「私の子供ということになっているのなら」
つまり私が黙っていれば問題ないということです。
いえ、黙らせるか、私の信用を地に落とせば、私が何を言っても誰も聞いてはくれないでしょう。もともと社交界に出なければ、貴族社会での発言力などないようなものです。
名ばかりの伯爵家でも、この家のご当主様なら使いようを知っているのでしょう。父が子供のことをどう考えていたかは知りませんが、もともとそういう契約です。伯爵家を譲り渡すかわりに、私の面倒を見る、という。
「つまりあんたは用無しってこと。……気をつけなさいよ」
「……」
「それだけよ! ま、頑張りなさい」
「ありがとうございます」
私の礼を聞いたのかどうか、アデラは颯爽と走っていきました。ずいぶん機嫌が良くなったようでした。
もちろん彼女は私の心配などしていなかったのでしょう。
ただ、褒められに来たのです。
皆に引き止められなかったので、自分の価値を見失っていたのでしょう。アデラはそういう欲に忠実そうで、私は羨ましく思いました。
扉を閉じると私は一人きりでした。
外に出てはいけないと言われています。
言われています。
「……」
だから私は、この扉から外に出たことがありません。
天井裏をネズミのように這っていただけ。本当に、人間ではない生活をしていたのでしょう。
閉じた扉を私は開きました。
そして足を踏み出しました。
場所はわかっています。
ゆっくり、ゆっくりと歩きます。自分が何をしようとしているのか、わかるようでわかりません。いえ、やはりわかっています。
私は何も考えていません。
ただ、そうしたいと思ったのです。
「ご当主様。お話したいことがあります」
「……サヘル嬢、か……?」
「はい」
追い返されるかと思いましたが、堂々とした私に何を思ったか、ご当主様は部屋に入れてくださいました。
私は貴族らしいマナーも、挨拶も知りません。
ただ、率直に言いました。
「クリフト様に子供ができたら、私を自由にして下さいませんか?」
「え……?」
私が死刑囚の気持ちで扉を開けると、アデラは嫌そうに言いました。
「辞めることになったの。だから悪いけど、明日からあなたのお世話はできません。手際の悪い誰かが来るだろうけど、あたしのせいじゃありませんから、」
「辞めてしまうの……?」
引き止めてもどうしようもないことはわかっていて、問いかけました。本当に、辞めてしまうのでしょうか。
私はアデラが犯人でないことは知っています。潔白が明らかになることも、もしかするとあるかもしれないでしょう。
「……ええ、辞めるんです。もうこんなところ、辞めてやるんだから……」
「そう」
私は悲しくなりましたが、悪いのは私です。これ以上、ひどい職場と思いながら務めてほしいとは言えません。
「……寂しくなります」
私はそう言いました。
するとアデラは目を見開いて私を見ました。思わず悲鳴をあげそうになります。その目には真犯人が写っているのでしょうか?
「ふん。……残念だけどね」
ですがアデラはにやりと笑いました。
「とても、残念です。アデラは……とても、よく、してくれたので」
「そうでしょ?」
「ええ。他の方よりずっと、テキパキしていて……」
「そりゃそうよ。まあ、あたしが出来るっていうより、他の奴らが無能すぎるんだけどね」
アデラはにやつきが隠せないくらいに嬉しそうです。せめて彼女をいい気分で送り出したい私も、嬉しくなりました。
もっと褒め言葉を探します。
「それに話していて楽しいので、いなくなるなんて寂しいです」
これは本当のことです。アデラがいなくなったら、私は誰とも会話できなくなってしまうでしょう。
「ふうん」
「……寂しいです、とても」
「そう」
つんとアデラは鼻を高くして言いました。
「でもまあ、しょうがないわ。もう決めたことだから。あなたも大人なんだから一人で頑張ってちょうだい」
「はい」
私は少しおかしくなり、笑うことができました。奥様扱いでないのは最初からですが、もう友達か、なんなら年下くらいの言葉遣いです。
「とろくさいあなたに教えておいてあげる。奥様なんて言われていい気で暮らしてたら痛い目見るわよ」
「そう……なんですか?」
「そうよ。若旦那様には愛人がいるし、あなたの子供を生む妻を見繕うつもりよ。あなたの子供なら、伯爵家を乗っ取れるんでしょ?」
「私の子供ということになっているのなら」
つまり私が黙っていれば問題ないということです。
いえ、黙らせるか、私の信用を地に落とせば、私が何を言っても誰も聞いてはくれないでしょう。もともと社交界に出なければ、貴族社会での発言力などないようなものです。
名ばかりの伯爵家でも、この家のご当主様なら使いようを知っているのでしょう。父が子供のことをどう考えていたかは知りませんが、もともとそういう契約です。伯爵家を譲り渡すかわりに、私の面倒を見る、という。
「つまりあんたは用無しってこと。……気をつけなさいよ」
「……」
「それだけよ! ま、頑張りなさい」
「ありがとうございます」
私の礼を聞いたのかどうか、アデラは颯爽と走っていきました。ずいぶん機嫌が良くなったようでした。
もちろん彼女は私の心配などしていなかったのでしょう。
ただ、褒められに来たのです。
皆に引き止められなかったので、自分の価値を見失っていたのでしょう。アデラはそういう欲に忠実そうで、私は羨ましく思いました。
扉を閉じると私は一人きりでした。
外に出てはいけないと言われています。
言われています。
「……」
だから私は、この扉から外に出たことがありません。
天井裏をネズミのように這っていただけ。本当に、人間ではない生活をしていたのでしょう。
閉じた扉を私は開きました。
そして足を踏み出しました。
場所はわかっています。
ゆっくり、ゆっくりと歩きます。自分が何をしようとしているのか、わかるようでわかりません。いえ、やはりわかっています。
私は何も考えていません。
ただ、そうしたいと思ったのです。
「ご当主様。お話したいことがあります」
「……サヘル嬢、か……?」
「はい」
追い返されるかと思いましたが、堂々とした私に何を思ったか、ご当主様は部屋に入れてくださいました。
私は貴族らしいマナーも、挨拶も知りません。
ただ、率直に言いました。
「クリフト様に子供ができたら、私を自由にして下さいませんか?」
82
お気に入りに追加
1,484
あなたにおすすめの小説
【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断
Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。
23歳の公爵家当主ジークヴァルト。
年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。
ただの女友達だと彼は言う。
だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。
彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。
また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。
エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。
覆す事は出来ない。
溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。
そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。
二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。
これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。
エルネスティーネは限界だった。
一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。
初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。
だから愛する男の前で死を選ぶ。
永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。
矛盾した想いを抱え彼女は今――――。
長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。
センシティブな所へ触れるかもしれません。
これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。
初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。
ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。
※短いお話です。
※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。
晴れて国外追放にされたので魅了を解除してあげてから出て行きました [完]
ラララキヲ
ファンタジー
卒業式にて婚約者の王子に婚約破棄され義妹を殺そうとしたとして国外追放にされた公爵令嬢のリネットは一人残された国境にて微笑む。
「さようなら、私が産まれた国。
私を自由にしてくれたお礼に『魅了』が今後この国には効かないようにしてあげるね」
リネットが居なくなった国でリネットを追い出した者たちは国王の前に頭を垂れる──
◇婚約破棄の“後”の話です。
◇転生チート。
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇なろうにも上げてます。
◇人によっては最後「胸糞」らしいです。ごめんね;^^
◇なので感想欄閉じます(笑)
王家も我が家を馬鹿にしてますわよね
章槻雅希
ファンタジー
よくある婚約者が護衛対象の王女を優先して婚約破棄になるパターンのお話。あの手の話を読んで、『なんで王家は王女の醜聞になりかねない噂を放置してるんだろう』『てか、これ、王家が婚約者の家蔑ろにしてるよね?』と思った結果できた話。ひそかなサブタイは『うちも王家を馬鹿にしてますけど』かもしれません。
『小説家になろう』『アルファポリス』(敬称略)に重複投稿、自サイトにも掲載しています。
虐げられた令嬢、ペネロペの場合
キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。
幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。
父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。
まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。
可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。
1話完結のショートショートです。
虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい……
という願望から生まれたお話です。
ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。
R15は念のため。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる