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美しく、そして、とても手癖の悪いお方だったのです。
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「ちょっと! サヘル様! 昼食ですよ!」
「は、はい!」
私は慌てて天井裏から降り、天井の穴をふさいで扉に向かいました。倉庫のような自室に最初は鍵もなかったのですが、暇にあかして、簡単につっかいを作っています。
扉を開けると使用人のアデラがいて、夕食の盆を両手に持っていました。
「すぐに出てくださいよ! こっちも忙しいんです。お食事の時間はわかっているでしょう?」
「すみません」
私が謝ると、アデラはそれも気に食わない様子で、斜めに私を見ました。
「サヘル様が謝るお立場じゃないってわかってるんでしょ? 謝るだけで、全く聞いてくれないんですから」
「それは……」
私はまた「すみません」と言おうとして、口をつぐみました。
これ以上アデラに嫌味を言われたくありません。部屋を出ることを禁じられている私に、関わる人は限られているのです。そのわずかな接触で嫌味を聞かされるのは、とても気が滅入ることでした。
「どうせ暇なんでしょ、なにしてたんですか」
アデラは悪い子ではありません。いい子でもありません。ただ、思ったことをそのまま言ってしまうようでした。
「……眠っていました」
私は困ってそう答えました。
もちろん、天井裏を歩き回って夫と愛人の様子を見ていた、などとは言えません。もし知られたら……知られたらどうなるのでしょうか?
この家を叩き出されてしまうのでしょうか? いえ、それは、きっとご当主さまがお許しになりません。私の楽しみは奪われ、もっと不便な生活を強いられるでしょうか。
「はあ。良いご身分ですこと。早く食べてくださいよ!」
「はい」
「食器はすぐ取りに来ますから。手間をかけさせないでください」
アデラが出ていくと、私はとにかく急いで食事を口に運びました。食べ終わる前にアデラが戻ってきたら、途中だろうと下げられてしまいます。
とうてい貴族の食事と思えない、使用人と同じものですが、それに不満はありません。ただ、ゆっくりと……できれば誰かとともに食事がしたいと思います。今の私には望めることではありません。
嫌味ばかり言うアデラも、それでも、私にとって必要なものなのです。
他の使用人は私に話しかけようともしません。夫に顧みられないお飾りの妻に媚を売っても、何も得られるものはないからです。無言で仕事として食事を運び、面倒そうに部屋の掃除をしていきます。
こんな日々が死ぬまで続くのでしょうか?
父が死に、夫か子供が伯爵号を手に入れれば、私は無用な人間として家を出ていくのでしょうか。その頃には私も老いて、なんの希望もないかもしれません。
(……クリフト様とラーミア様は? どうなっているでしょう)
思って、私は手を止めました。
美しいラーミア様と、彼女を愛するクリフト様の恋は、どんな結論を迎えるのでしょう。ラーミア様は妾としてこの家に住むでしょうか? 扇情的な衣装を捨て、クリフト様の実質の妻として振る舞うのでしょうか?
きっとそんなラーミア様も美しいでしょう。
上品で、儚げで、手を触れることもためらわれるような方です。ドレスをまとって社交の場にも出るのでしょうか。
妻である私は教育が出来ていないという理由をつけて、社交の場にはでていません。我が家の困窮はよく知られたことですから、今のところ問題になってはいないようです。
きっと私よりもずっと、ラーミア様はうまくやるでしょう。ただその美しさだけでも、皆の目をひきつけるに決まっています。
「ちょっと! もう片付けますよ!」
「あっ……ごめんなさい」
「早くして下さい。もういいでしょ? 動かなきゃお腹もすかないんだから」
アデラがやってきて、食器を片付けていきました。ラーミア様のことを考えていた私は、少しだけ食事を残してしまいました。心残りですが、仕方がありません。
私は悲しみを堪えて、なんとか笑顔を浮かべてアデラを見送りました。たとえアデラが私の表情などひとつも気にしていないとしても。
それからひどく切なくなり、ため息をつきました。
私には何もやることがありません。いえ、どうにか用意してもらった編み物や刺繍はできます。けれどそれを完成させたとして、いったい誰に渡すのでしょう。父の誕生日に贈ることは許されていますが、それだけです。
虚しさに襲われた私は、天井を見上げました。やはり私の楽しみはこれしかありません。
昼食前に見たラーミア様は、クリフト様とともに午前のひとときを楽しんでおりました。昨日屋敷に泊まった彼女は、昼食を食べてお帰りになるそうでした。
きっと今は、ゆっくりと食事をしているでしょう。一家揃っての食事は夕食のみですから、二人での昼食を楽しんでいるはずです。
私はもう慣れたやり方で天井裏に上がり、音を立てないように這ってクリフト様の部屋の上へ向かいました。
天井裏は暗いですが、迷うことはありません。一筋、小さな穴から光が上がっておりますので、そこに向かいます。
そして鼓動する胸を押さえながら、穴に目を押し付けました。
「あっ……」
思わず声が出ました。
ラーミア様が不審そうに背後を振り向きました。幸い、私には気づきません。気づかないでしょう。天井裏に誰かがいるなんて。
ラーミア様はお一人です。クリフト様はどうしたのでしょう。食事の用意されたテーブルの席に、上着だけがかけられています。
そしてラーミア様は、ああ、なんということでしょうか。
慎重に周囲を伺いながら、クリフト様の上着のポケットに手を入れました。取り出したもの、それは……。
(財布……?)
そう、財布です。
そこから当たり前のようにお金を抜いて、もとのポケットに戻したのです。
「すまない、遅れた」
「ふふ。あなたの分まで食べてしまうところよ」
クリフト様が戻ってきた時にはもう、ラーミア様は席について、食事を始めていました。機嫌よさそうに微笑み、ナイフとフォークを軽やかに使います。
さらさらと銀色の髪が揺れるのが、動く絵画のようでした。
とても、ついさっき泥棒を行った人には見えないのです。私の見間違いだったのでしょうか? いいえ、なぜか私の胸は高鳴りました。
ラーミア様はそのような方だったのです。美しく、そして、とても手癖の悪いお方だったのです。
「は、はい!」
私は慌てて天井裏から降り、天井の穴をふさいで扉に向かいました。倉庫のような自室に最初は鍵もなかったのですが、暇にあかして、簡単につっかいを作っています。
扉を開けると使用人のアデラがいて、夕食の盆を両手に持っていました。
「すぐに出てくださいよ! こっちも忙しいんです。お食事の時間はわかっているでしょう?」
「すみません」
私が謝ると、アデラはそれも気に食わない様子で、斜めに私を見ました。
「サヘル様が謝るお立場じゃないってわかってるんでしょ? 謝るだけで、全く聞いてくれないんですから」
「それは……」
私はまた「すみません」と言おうとして、口をつぐみました。
これ以上アデラに嫌味を言われたくありません。部屋を出ることを禁じられている私に、関わる人は限られているのです。そのわずかな接触で嫌味を聞かされるのは、とても気が滅入ることでした。
「どうせ暇なんでしょ、なにしてたんですか」
アデラは悪い子ではありません。いい子でもありません。ただ、思ったことをそのまま言ってしまうようでした。
「……眠っていました」
私は困ってそう答えました。
もちろん、天井裏を歩き回って夫と愛人の様子を見ていた、などとは言えません。もし知られたら……知られたらどうなるのでしょうか?
この家を叩き出されてしまうのでしょうか? いえ、それは、きっとご当主さまがお許しになりません。私の楽しみは奪われ、もっと不便な生活を強いられるでしょうか。
「はあ。良いご身分ですこと。早く食べてくださいよ!」
「はい」
「食器はすぐ取りに来ますから。手間をかけさせないでください」
アデラが出ていくと、私はとにかく急いで食事を口に運びました。食べ終わる前にアデラが戻ってきたら、途中だろうと下げられてしまいます。
とうてい貴族の食事と思えない、使用人と同じものですが、それに不満はありません。ただ、ゆっくりと……できれば誰かとともに食事がしたいと思います。今の私には望めることではありません。
嫌味ばかり言うアデラも、それでも、私にとって必要なものなのです。
他の使用人は私に話しかけようともしません。夫に顧みられないお飾りの妻に媚を売っても、何も得られるものはないからです。無言で仕事として食事を運び、面倒そうに部屋の掃除をしていきます。
こんな日々が死ぬまで続くのでしょうか?
父が死に、夫か子供が伯爵号を手に入れれば、私は無用な人間として家を出ていくのでしょうか。その頃には私も老いて、なんの希望もないかもしれません。
(……クリフト様とラーミア様は? どうなっているでしょう)
思って、私は手を止めました。
美しいラーミア様と、彼女を愛するクリフト様の恋は、どんな結論を迎えるのでしょう。ラーミア様は妾としてこの家に住むでしょうか? 扇情的な衣装を捨て、クリフト様の実質の妻として振る舞うのでしょうか?
きっとそんなラーミア様も美しいでしょう。
上品で、儚げで、手を触れることもためらわれるような方です。ドレスをまとって社交の場にも出るのでしょうか。
妻である私は教育が出来ていないという理由をつけて、社交の場にはでていません。我が家の困窮はよく知られたことですから、今のところ問題になってはいないようです。
きっと私よりもずっと、ラーミア様はうまくやるでしょう。ただその美しさだけでも、皆の目をひきつけるに決まっています。
「ちょっと! もう片付けますよ!」
「あっ……ごめんなさい」
「早くして下さい。もういいでしょ? 動かなきゃお腹もすかないんだから」
アデラがやってきて、食器を片付けていきました。ラーミア様のことを考えていた私は、少しだけ食事を残してしまいました。心残りですが、仕方がありません。
私は悲しみを堪えて、なんとか笑顔を浮かべてアデラを見送りました。たとえアデラが私の表情などひとつも気にしていないとしても。
それからひどく切なくなり、ため息をつきました。
私には何もやることがありません。いえ、どうにか用意してもらった編み物や刺繍はできます。けれどそれを完成させたとして、いったい誰に渡すのでしょう。父の誕生日に贈ることは許されていますが、それだけです。
虚しさに襲われた私は、天井を見上げました。やはり私の楽しみはこれしかありません。
昼食前に見たラーミア様は、クリフト様とともに午前のひとときを楽しんでおりました。昨日屋敷に泊まった彼女は、昼食を食べてお帰りになるそうでした。
きっと今は、ゆっくりと食事をしているでしょう。一家揃っての食事は夕食のみですから、二人での昼食を楽しんでいるはずです。
私はもう慣れたやり方で天井裏に上がり、音を立てないように這ってクリフト様の部屋の上へ向かいました。
天井裏は暗いですが、迷うことはありません。一筋、小さな穴から光が上がっておりますので、そこに向かいます。
そして鼓動する胸を押さえながら、穴に目を押し付けました。
「あっ……」
思わず声が出ました。
ラーミア様が不審そうに背後を振り向きました。幸い、私には気づきません。気づかないでしょう。天井裏に誰かがいるなんて。
ラーミア様はお一人です。クリフト様はどうしたのでしょう。食事の用意されたテーブルの席に、上着だけがかけられています。
そしてラーミア様は、ああ、なんということでしょうか。
慎重に周囲を伺いながら、クリフト様の上着のポケットに手を入れました。取り出したもの、それは……。
(財布……?)
そう、財布です。
そこから当たり前のようにお金を抜いて、もとのポケットに戻したのです。
「すまない、遅れた」
「ふふ。あなたの分まで食べてしまうところよ」
クリフト様が戻ってきた時にはもう、ラーミア様は席について、食事を始めていました。機嫌よさそうに微笑み、ナイフとフォークを軽やかに使います。
さらさらと銀色の髪が揺れるのが、動く絵画のようでした。
とても、ついさっき泥棒を行った人には見えないのです。私の見間違いだったのでしょうか? いいえ、なぜか私の胸は高鳴りました。
ラーミア様はそのような方だったのです。美しく、そして、とても手癖の悪いお方だったのです。
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