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後編

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「くそっ、なんだよ」

 エイビルは不機嫌だった。

「どいつもこいつも勝手なやつらだ。俺が忙しい時だって遊んでやってたんだから、忙しくても俺と遊ぶべきだろうが」

 隣国への留学が決まってから、周囲に人がいなくなった。
 もともとエイビルの周囲には高位貴族はいない。中位貴族、下位貴族の次男三男と遊ぶことが多かった。

 しかし留学が決まってから、遊びに誘っても断られる。もう遊びをしている年ではないので、などと言うが、年もバラバラな奴らがいきなり全員そうなるのはおかしい。

「留学の共をさせてやろうと思っていたのに」

 その打診をしたら、どの者も困ったような顔をした。王子の側近のようなことになるわけだから、恐れ多いと思ったのだろう、とエイビルは考えている。

 実際のところは、期待されていない王子とはいえ、おこぼれの可能性を考えてくっついていただけの者たちだ。留学についていくまでの気概はない。
 そもそも目的もない留学に出されること自体、エイビルが王に期待されていないという意味だ。期待されていない王子に仕えても利益はない。

 父にどうにかしてもらおうとしても、近頃は先触れのない訪問は禁止されてしまった。強引に向かっても、兵士たちに止められてしまう。

「どいつもこいつも……ん? グレイドル……と、あの女か」

 庭園で二人が茶会をしているようだ。

(グレイドルもあの女のつまらなさに辟易してるだろうな。あの女も、俺との婚約破棄で落ち込んでいるはずだ)

 エイビルはニヤリと笑った。
 きっとお寒い状況であろうから、覗き見してやろうと思った。

(なんなら俺が盛り上げてやってもいい。ちょうど暇だからな)

 整えられた花の影にかくれるようにして、エイビルは二人に近づいていく。

「ふふっ!」
「はは、たしかに。侯爵は微妙な気分になっただろうね」
「悪気はなかったのですけれど、侍女に止められて本当に良かった。でもその育毛剤は、お母さまがこっそりお父さまに差し上げたみたいで」
「そうなのかい? 侯爵は豊かな髪をしてらっしゃるけれど」
「あの頃のお父さまはお忙しかったみたいなの。きっと一時的なものでしたのね」

(…………なんだ?)

 いつも真面目ぶった二人が楽しげに会話している。
 ロシュナの素直な笑顔などエイビルは見たこともなかった。少し声をひそめて、グレイドルに身を近づけて、秘密の話をするかのようだ。

(……俺に婚約を解消されて、少しは反省したのか)

 どうやらつまらない女を卒業することにしたようだ。そこは褒めてやってもいい、とエイビルは思いながら、もやもやとした気持ちだった。

 楽しそうに笑うロシュナは愛らしかった。
 そもそも、婚約が結ばれる前、エイビルは父に彼女で良いかと打診された。うなずいたのはロシュナが美しかったからだ。
 しかし茶会を繰り返すたび、美しく微笑むだけのロシュナが嫌になった。

(そんな顔ができるなら、最初からそうしていれば婚約を継続してやったのに)

 さすがのエイビルでも、いまさら婚約を復活させることなどできないとわかっている。また婚約を願うなどという格好悪いこともしたくない。

「そういうわけですから、もしかすると少しおかしな空気になるかもしれませんわ。でも、よいお話だと思います」
「あの育毛効果のある薬草は侯爵の領地でしか取れませんから」
「必要な方は多いでしょうね。アリヴェ伯爵領の職人さんに来ていただけるなら、質も量もあがることでしょう」

「では、アリヴェ伯爵に話を持っていってみます」
「よろしくお願いいたします。……助かりますわ、色々と動いてくださって」
「ロシュナ嬢と婚約させていただいたのですから、努力するのは当たり前です。……その、まだ、未熟なところばかりですが、よろしくお願いします」
「いいえ、こちらこそ。気の利かない女ですが、よろしくお願いいたします」

 二人は和やかに、少し恥ずかしげに微笑みあっている。
 そのさまには不満などひとつも見られなかった。

「思ってもいない光栄ですわ。エイビルさまとは、わたくしが至らずに上手くいかなかったのですもの」
「ああ……兄上はいつもああですから……」
「ふふ。どんな話を振っても不機嫌なご様子で、わたくしでは困るしかできませんでしたわ」

 エイビルはむっとした。ロシュナが振ってくる話は、いつもエイビルには興味のないものばかりだ。政治の話、領地の話、技術の話。
 もっと楽しい話をしてくれれば、エイビルだっていい気分になったはずだ。

「わたくしの話がよほどつまらなかったのでしょう」
「そんな、兄上は……貴族的な話を嫌っているようなので」
「そのようですわね。わたくしもエイビルさまの周囲の方々のように『楽しい話』をするべきかとも思ったのですが、わたくしには全く興味が持てませんでした」

 何を傲慢な、とエイビルは思う。
 たとえ興味がもてなくとも、王子であるエイビルが話をしてやっているのだ。ありがたく興味を持って聞くのが当然だろう。

「それでよいと思います。高位貴族にはそれにふさわしい話がありますから。僕も、兄上の話にはついていけないことが多いです」
「まあ、そうですの。きっとわたくしたちは気が合うのでしょうね」
「だったら嬉しいです。ロシュナ嬢、あなたのような素晴らしい方と婚約できて、僕はとても幸せです」
「わたくしこそ喜ばしく思っております。グレイドルさまとのお話は楽しくて……きっと相性がよいのだろうと、勝手に思っているのですわ。……エイビルさまとは違って」

 ロシュナが微笑みながらそう言って、エイビルは愕然とした。
 直接的に悪く言われたわけではない。
 何の気もないように、付け足された言葉だった。

 だからこそ胸にきた。
 鈍感なエイビルでも「自分が選ばれなかった」ことを理解したのである。

 自分が選ぶ立場であるとしか思ったことがないエイビルには、大きな衝撃だった。そして自分が衝撃を受けたことに驚いて、二人の前に出ることさえもできなかった。

 そして留学に出ると、いよいよエイビルは自分が「望まれない男」であることを思い知り、ロシュナを「つまらない女」と呼んだことは黒歴史になっていった。
 恥ずかしさのあまり以降、母国に居を戻すことはなかった。謙虚さを身に着けたことで平凡な幸せを手に入れたが、母国の話をされると、引きつった顔で黙っているのだった。
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