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泣きたい時は泣けばいい※

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森崎刑事は神妙な顔をして、口を開いた。

「結果から先に申し上げますと、逮捕した男は真島ではありませんでした」

「なにっ?」

驚いて晴を見ると、晴に驚いている様子はない。

「晴、知っていたのか?」

「んっ? あの人が真島ではないこと? それともあの人のことを知っているかということ?」

「まぁ、どっちもだけど。真島ではないのはわかっていたのか?」

「うん。真島は同じ学部だし、あんまり話したことはないけど顔はよく見たことあるから。ぼくを連れ去ったあの人は見覚えはある顔だったけど、どこであったかはわからない」

そうか、たしかにそうだよな。
確か理玖の友達もあのサークルに入ってたって言ってたし、その繋がりで顔を覚えているはずだから、もしあいつが真島なら、最初からついていくはずがなかったんだ。
あの時、変装をしている様子もなかった。
桧山さんも余所余所しい違和感はあったとは言ってたが、変装しているとは言ってなかった。

そうか。俺は最初から真島だと思い込んで……。
そこから間違っていたんだ。

「彼は鉢屋 大地はちや だいち。20歳。私立緑進りょくしん学園大学の3年生です。真島とはインカレサークルで知り合ったと話しています」

「そのサークルで知り合った真島に頼まれて、今回晴を連れ去ったということですか?」

「頼まれたと言うよりは、自分の意思も入っていますね。その、鉢屋は……その」

森崎刑事の言葉が辿々しい。
どうやら言いにくい何か理由があるのだろう。

そんな様子に痺れを切らしたのか、晴が続きを話すように促した。

「森崎刑事、ぼくは大丈夫です。全部教えてください」

俺の袖をぎゅっと握る晴の手は少し震えているようだったが、気丈に振る舞っているその様子がなんともいじらしい。

俺がついているから大丈夫!
その意味を込めて、晴の手を握ってやると、晴はパッと俺の方を向いてニコッと笑った。

その様子に安心したらしい森崎刑事は、落ち着いた様子で先を続けた。

「鉢屋は、香月くんに好意を持っていたようです。それで、真島に香月くんを連れ去ったら好きにして良い、あの時間にスタジオに行けば、香月くんがいるからこのジュースを飲ませて連れて帰ればいいと言われて、ジュースも貰ったと話しています」

晴を好きにして良いだと?!

真島、お前ほんとに許せないな。
今度は間違いなんかじゃなく、絶対に捕まえてやる。

晴は森崎刑事の言葉に少し身体を震えさせた。

「晴、大丈夫か?」

背中を摩りながら声をかけると、晴は言葉なく小さく頷いた。

「香月くん、早瀬さんたちから離れて連れ去られるまでの状況を聞きたいんだけど、いいかな?」

晴は少し戸惑いながらも頷き、その時の状況について説明を始めたが、急遽部屋が変わったからと連れて行かれた部屋で飲み物を渡され、いつもと違う味がすると感じた途端に身体がふらついて倒れてしまったことまでは覚えている。
次に目を覚ました時はもう病院にいたから、その間のことは何もわからないと話した。

「そうですか。わかりました」

森崎刑事と田ノ上刑事は、手帳に晴の話したことを全てメモして、

「また何か思い出したことが有れば、いつでもいいのですぐに連絡してください」

と話して病室から出ていった。

病室には晴と俺、そして医師の竹内だけが残された。

「香月くん、体調でおかしなところはないですか?」

「はい、先生。特にないです」

「検査の結果、使われた薬は後遺症の残るものではありませんでしたので、体調が良いようでしたらもう帰宅して構いませんよ。ただし、明日までは家で安静に過ごしてください。そして、何か異常があればすぐに来てください。今までみなさんの話を聞いてる限り香月くんは多少きつくても我慢しそうなので、早瀬さん、よく見ててあげてくださいね」

晴の性格をよく見抜いてる。
さすが、医者といったところか。

「わかりました。ちゃんとゆっくり休ませて、よく見ておきます」


それからすぐに支払いを済ませ、病院からタクシーに乗りマンションへと帰った。

タクシーが到着したことに気づいたらしい高木がすぐに入り口へとやってきた。

「おかえりなさいませ。早瀬さま、香月さま」

「ああ、出迎えありがとう。ちょっと晴の体調が良くないから、1時間後くらいに消化に良いものをデリバリーで持ってきて欲しいんだが、大丈夫か?」

「はい。かしこまりました。すぐに手配致します」

晴に先日のプリンのお礼を言おうとしていたであろう高木の柔かな表情が、晴の顔色をみて瞬時にすぐに強ばったことに俺は気づいた。

だから、晴の食事を頼むと少し安心しているように見えた。
晴は誰からも好かれる、本当に素晴らしい人間なのに、どうして真島にはわからないんだろう。

早く捕まえて、晴を心の底から安心して生活させてやりたい……そう願うばかりだ

晴をベッドに寝かせようと思ったら、ソファーが良いというので、クッションを背もたれにソファーに横たわらせ、もこもこのブランケットを上からかけてあげた。

「晴、寒くはないか?」

「うん。ちょうどいいよ。ありがとう」

俺は晴の隣に腰を下ろし、晴が俺の方に身を預けるように肩に手を回した。

俺の腕の中にすっぽりと収まった晴の頭を撫でながら、

「晴が無事で良かった」

心からの言葉をかけると、晴は俺を見上げた。

みるみるうちに涙が溢れ、頬を伝っていく。
上着のポケットに入れておいたハンカチでそっと拭ってやると、晴は小さな声でごめんなさいと謝った。

「さっきも言っただろう。晴は何にも悪くないんだ。ただ、晴が俺の腕の中に戻ってきたことが嬉しいだけなんだよ。本当に無事で良かった」

「僕も隆之さんの元に戻れて嬉しい。絶対助けに来てくれるって思ってた」

晴は私を信じて待っていてくれたんだ。
あんな怖い思いをしている最中に。

「ああ、俺がどんな時でもいつでも助けに行くよ。晴は俺のことだけど信じていればいい」

「うん。隆之さんのこと信じてる」

晴の視線が俺の唇に向いたことを俺は見逃さなかった。
晴の柔らかな唇にそっと口付けると、もう後には戻れなかった。
お互い離れていた時間を惜しむかのように、何度も啄み、角度を変えて下唇の感触を味わった。

どちらから舌を挿れたのか分からないほど、気づいた時には舌が絡み合っていた。
断ち切ることなど出来ない麻薬のように、甘く痺れる唾液がお互いを行き来する。

「……ふぅ……っん、は……ぁ」

「晴……もっと味わわせて……」

晴の舌先をそっと甘噛みすれば身体がピクンと跳ねた。
晴はもっともっとと請うように、舌を俺の舌に絡ませ、吸い付いてくる。

「は……ぁん……っ」

晴の吐息に俺の興奮もどんどん高まっていくが、晴はまだ安静にしなくてはいけない身体だ。
名残惜しいが、そろそろ終わりに……と唇を離そうとすると、晴の唇が付いてきた。
もう一度、口腔内を深く舐めとってから俺は唇を離した。

「はぁ……っ、はぁ」

晴は身体を俺に預けるように寄りかかった。

「晴、水でも飲むか?」

「う、ううん。今はまだ一緒にいて」

甘える晴の声に、俺は嬉しくなって離さないようにぎゅっと抱きしめた。

ピンポーン

静まり返った部屋にインターフォンの音が響いた。

ああ、高木が食事を持ってきてくれたのだろうか。

晴の顔を見ると、名残惜しそうにゆっくりと手を離した。

「晴。すぐ戻ってくるから」

晴が小さく頷いたので、おでこにそっとキスをしてから俺はソファーを離れた。

モニターを覗くと、やはり高木だ。

俺は玄関の扉をあけ、高木を招き入れた。

「早瀬さま、お料理をお持ちしました。ダイニングに並べますか?」

「ああ、頼むよ」

ダイニングからはリビングのソファーに横たわる晴の姿は見えない。
それがわかっているから、高木も申し出たんだろう。

手際良く料理を並べていく。

「美味しそうだな。これなら、晴も食べられそうだ」

「ありがとうございます。こちらは先日お話ししました叔父のお店の料理でございます。あっさりした中華粥ですので、香月さまにも安心してお召し上がりいただけます」

「そうか。いろいろ考えてくれたんだな。助かるよ」

晴は本当に誰からにも好かれるんだな。

「先日、香月さまからいただきましたプリン、とても美味しくいただきました。わたくしども、みんな甘党でして、プリンはよく頂くのですが、あれほど美味しいプリンに出会うことはなかなかなく、感動いたしました」

高木の晴への賛辞がまるで自分のことのように嬉しい。これは晴に伝えないとだな。

「ああ、あのプリンは美味しかったな。晴にもそう伝えておくよ」

「はい。ありがとうございます。それで、ささやかではございますが、こちら御礼のお品でございます。お召し上がりいただければ幸いでございます」

「いいのか?」

「はい。私ども3人で香月さまに一番召し上がっていただきたいものをお選びしました」

「そうか。それなら、有り難くいただいておくとしよう」

そういうと、高木は嬉しそうに頭を下げ、部屋を出て行った。


「晴。料理が届いたぞ。食べられそうか?」

俺はすぐに晴の元に戻ると、晴はさっき脱いでソファーにかけておいた俺のジャケットを顔のすぐ傍に置いてスースーと小さな寝息を立てて、可愛らしい顔で眠っていた。

薬を飲まされていたんだ。
大変なことがあったし、身体も疲れているんだろう。

俺は晴の隣に身体をそっと滑り込ませて、ジャケットの代わりに自分を置いた。

うーんと身動いだ後、俺の胸元に顔を擦り寄せ、大きく深呼吸をするとそのまま深い眠りへと誘われていった。

それからしばらく晴の寝顔を眺めていたが、俺にも睡魔が押し寄せ、知らない間に晴を胸に抱いたまま眠ってしまっていた。

それからどれくらい時間が経っただろう。

俺はブーブーと規則的に鳴る音で目を覚ました。

んっ? 携帯か?

俺はゆっくりと晴を胸から離し、ジャケットを晴の傍に戻して息を殺すようにゆっくりとソファーから立ち上がった。

携帯を見ると、高木が来てから小一時間ほどだ。

なんだ、まだそこまで時間は経ってなかったんだな。

そう思いながら、不在着信を見るとリュウールの緒方部長だった。

ーもしもし、早瀬です。

ー緒方です。今、お時間大丈夫ですか?

ーはい。すみません、こちらからお電話するべきでした。

ーいいえ、お気になさらず。それで、香月くんの様子はいかがですか?

ーお陰様で、薬の影響もないそうで今は私の自宅で休んでいます。

ーそうですか。安心しました。それで、こんな時に申し訳ないんですが……ポスターの件で最終打ち合わせの日時を確認しておきたくて連絡させていただいた次第です。

ーああ、緒方部長。申し訳ありません。予定通り、来週の木曜日にポスターの最終データをお持ちします。

ーそうですか。安心しました。その時は香月くんも一緒に来られるようでしたら是非。

ー承知いたしました。体調を見てお伺いできるようでしたら必ず。この度は御心労おかけして申し訳ありません。

ーいえ、こちらこそ。ポスター楽しみにしております。


『では失礼致します』と言って電話を終えた直後、またすぐに着信があり表示を見ると、今度は田村さんだった。

話したいことがあるので家に行ってもいいか? という連絡だった。

晴の今の状態を知りながらわざわざ連絡してくるくらいだから、何かわかったのかもしれないと了承した。
ソファーで眠る晴を俺のベッドへと移し、30分ほどで現れた田村さんとリビングで話を聞くことになった。


田村さんは開口一番、

「申し訳ありませんでした」

と謝罪の言葉を口にした。

「どうしたんですか? 何があったんです?」

「香月くんがあんな目にあったのは私のせいです」

田村さんは悔しそうに拳をぎゅっと握り、自分の太腿をバンバンと音が出るほど叩いた。

「落ち着いて話してください」

「香月くんが連れ去られた後、見慣れないスタッフがいたという話で、警察に真島の写真を見せられて『この人です』と証言した人を覚えていますか?」

「えっ? ああ……っと、確か女性でしたよね? えー、ああ、桧山さん?」

「はい。その桧山はあの三浦あすかの友達でした」

「ええっ?」

思いがけない真実に驚いて、思わず大声をあげてしまった。

「友達って……どういうことなんですか?」

「真島の写真をみて自信満々に『この人です』って言っていたのがどうも気になって、本当に真島だったのか問い詰めたんです。そうしたら、急に実はこの計画を知っていたと言い出して……それで詳しく問いただしたんです」

田村が言うには、桧山は三浦と高校の同級生で卒業してからも時々会うほどの親しい仲だった。
三浦がミスコンに出ると知って応援していたのに、ミスコン後に大した話題にもならず、その代わりに話題になった男の子がいる、その子に告白したけれど、セフレとしてなら付き合っても良いと言われて、会う度に身体の関係を迫ってくる。最近ではストーカーのようになってきたから捕まえる協力して欲しいと頼まれた。
ところが、ここ最近三浦と連絡が取れず、心配していたところに突然三浦の彼氏だという真島という男から連絡が来た。
真島はそのストーカーを捕まえる計画を立てた、三浦から桧山が協力してくれると聞いている。
今度桧山の働くスタジオでその男が撮影をする。
そのヘアメイクを担当して、その男が1人になったら連絡するようにと言われた。
しかし、今日、晴を見て、あまりにも良い子だったから今まで三浦たちから聞かされていたことが嘘だとわかって協力したくないと思ったが、真島から何度も連絡が来て怖くて断れず、連絡してしまった。
晴がいなくなり、連れ去ったのが真島だと思い込んで、早く見つけてあげて欲しくて真島だと証言したということだった。

そうか、本当は鉢屋が連れ去ったのに桧山が真島だと証言したのはそういうわけだったんだ。


「本当に申し訳ない。香月くんになんと顔向けしたらいいか……」

「いいえ、田村さんが謝罪されることでは……」

「いや、私なんです。桧山を香月くんの担当に指名したのは。私がちゃんと調べておけば、香月くんの担当にはしなかったし、香月くんが連れ去られることもなかったはずです」

田村さんは以前に晴をフラッシュバックさせてから、ずっと心を痛めている。
そして、今回もまた自分が責任を負おうとしている。
そんなこと、晴が望むわけがない。

「田村さん、頭を上げてください。これは仕方のないことです。真島は桧山が担当にならなくても他の作戦を考えたはずです。晴が確実に現れて、1人になる時間を作れるのだから、なんとしてでも考えたはずなんです。だから、田村さんが指名してもしなくても、未来は変わらなかったはずです。それよりも、田村さんが桧山から証言を取ってきてくれたから、事件が早く解決するかもしれません! あまりそう自分を責めないでください」

項垂れていた田村さんは俺の言葉にゆっくりと顔を上げた。

「早瀬さん……ありがとうございます。私、香月くんをいつも泣かせるようなことをさせてしまっている気がして辛かったんです。でも、そう言っていただけて、少し気持ちが落ち着きました。香月くんは薬の影響はなかったんですよね?」

「はい。それだけが心配だったので、ちゃんと検査してもらって大丈夫だとお墨付きをいただきました」

「はぁ……良かった」

田村さんは心から安堵の声を漏らした。

「それから、先ほどリュウールの緒方部長から連絡いただいて、最終の打ち合わせが来週の木曜日になりました。晴の撮影も無事に終わりましたし、あとは完成まで持っていくだけです。いろいろありましたけど、なんとかポスターは完成しそうです」

「香月くん、気づいていないようでしたけど、素晴らしい表情してましたからね。あれが世に出るのが今から楽しみですね」

そんな話をしていると、奥の部屋から少し物音が聞こえた気がした。

晴が起きたか?

「すみません、田村さん。もしかしたら、晴が起きたかもしれません。ちょっと様子を見てきますのでお待ちいただけますか?」

「あっ、もう私、失礼しましょうか?」

「いいえ、起きていたら多分晴も田村さんにお会いしたいでしょうから。すぐ見てきますね」

俺はリビングを出て、晴のいる寝室へと向かった。

「晴? 起きたのか?」

声をかけてみると、晴はベッドの真ん中で涙をいっぱいこぼしながら身体を起こしていた。

「晴? どうした?」

「たかゆき、さん……おきたら、ぐすっ、いなかったから……」

1人で怖かったのか……。
そりゃあそうか。
1人で連れ去られたんだもんな。

「ごめん、俺の配慮が足りなくて怖い思いさせたな」

晴の頭を優しく撫でながら、ぎゅっと抱きしめると晴は少し落ち着いたのか、

「泣いたりしてごめんなさい」

と謝ってきた。

「晴は何も悪いことしてないんだよ。我慢するより、泣きたい時は泣いたらいいんだ」

そう言うと、晴はゆっくりと微笑んだ。


「なぁ、晴。田村さんが晴を心配して来てくれてるんだが、顔を出せるか?」

「えっ? 田村さんが?」

俺が頷くと、『もちろん行く!』と嬉しそうに笑った。

俺は晴を支えながら、ベッドから下ろした。

少しフラついていたので心配で横抱きにすると、晴は恥ずかしそうにしながらも下りたいとは言わなかった。

リビングへ入ると、田村さんが心配そうにこちらを見ていて、晴の姿を確認した途端、

「香月くん、ああ……無事でよかった」

その場に崩れ落ちるように跪いた。

俺が田村さんのいる場所のすぐ近くにあるソファーに晴を下ろすと、晴は田村さんへ声をかけた。

「田村さん、心配かけてしまってごめんなさい」

そう謝ると、田村さんもまた俺と同じように、

「香月くんは何も悪いことしてないのだから、謝らなくて良いんですよ」

と言っていた。

先ほどの桧山の話はとりあえず今日のところは晴には内緒にしておくことにしたので、田村さんは晴には何も告げなかった。

晴の様子が落ち着いていると分かったようで、これ以上は事件の話をしない方がいいと判断したのだろう。

「香月くんが頑張ったから撮影もうまくいったし、リュウールさんも、喜んでいらっしゃいましたよ」

そう上手く話題を変えると、晴もそのことを心配していたようでうまく話に乗って来た。

「僕、いつ永山さんに写真撮られたかもわからないくらいあっという間に終わってしまって、どんな写真になってるかドキドキします」

「それくらい、香月くんの自然な写真が撮れたと言うことじゃない? 私もポスターの完成が楽しみですよ」

暗くなっていた雰囲気が一気に和やかになったところで、

『くぅぅ……』

可愛らしい音が聞こえた。

「ごめんなさい……おなか、鳴っちゃった……」

恥ずかしそうにそう言う晴が可愛くて、たまらなかった。

「そうだよな、お腹減っただろ。さっき、食事も届いたんだ。田村さんもよかったら一緒に召し上がって行きませんか?」

「えっ? でも、おふたりの分なのでは?」

「いえ、晴がどれだけ食べられるかわからなかったので、たくさん注文したんです。余っても勿体無いので是非!」


それなら、と田村さんも一緒に食べることになった。

晴の分の中華粥を温めて、おかずも食べられそうなやつ摘んでと声をかけると、柔かな笑みを見せてくれた。

「この中華、美味しいですね! この味、私好みだな」

「そうですか? よかったです。このお店、実はここのコンシェルジュの叔父さんのお店だそうなんですが、私もこのお店の味気に入ってるんですよ。今度お店の方にも行ってみましょう!」

そう誘うと、田村さんは嬉しそうに頷いていた。

食事を終えて、そろそろお暇しますといって帰る支度を始めたので、晴をリビングに残して、玄関先まで見送った。

「また何かわかったらすぐに連絡します!」

そう言って帰っていった。

田村が来た時のどんよりした顔色から、明るくなって帰ってもらえたのでよかったと心から思えた。



週末を家で安静に過ごした晴は、週明けの月曜日にはすっかり元気になっていた。

「晴、どうする? 今日は一緒に出社するか?」

「うん! 行きたい!」

「じゃあ、準備するか」

俺が晴の服を選んでいる間に、晴が朝食の支度をしてくれていた。

今朝のメニューは、晴が食べたがっていた近くのパン屋の焼き立ての食パン。
高木に無理を言って早朝から買ってきてもらったものだ。

昨夜、特別手当を払うから買ってきて貰えないだろうか? と頼むと、朝こちらに伺う通り道ですから、特別手当などいりませんと言って、頑なに拒んだ。

俺は高木の気持ちが嬉しくて、今回は好意を有り難く受け取ることにした。

朝、食パンを受け取った晴は、高木に何度もお礼を言って、良かったら今度お休みの日に食事しに来てくださいと誘っていた。

普通なら、社交辞令だと思うだろうが、晴には社交辞令など存在しない。

高木はありがとうございます。ぜひ伺いますね。後ほどスケジュールお送りしますと言ってフロントへと戻っていった。


その焼き立ての食パンと晴お手製のチーズ入りオムレツ、コーンスープにトマトサラダが並べられた食卓は、とても輝いて見えた。

久しぶりの晴の手料理だからだろうか、なんだか心がウキウキして食べるのが勿体無いような気になってしまった。

とっておきのコーヒー豆を出し、晴と自分の分とコーヒーを入れるとダイニングにコーヒーの香りが漂って、食欲をそそった。

元気になった晴と向かい合わせに座り、しゃべりながら食べる朝食はすごく楽しくて、俺はこういう日常の幸せを噛み締めた。



会社へ着くと、何だかロビーが騒がしい。
なんだ? 

見ると、ロビーに置かれていた観葉植物や花瓶がなぎ倒され、ソファーや机もぐちゃぐちゃになっていた。

誰かがもみ合った跡のようだな。
何かあったのか?

入り口で動くこともできず、晴と2人で佇んでいると、不意に後ろから肩を叩かれた。

「早瀬さん! 香月くん! 今出社ですか?」

「森崎刑事……! 朝からどうなさったんですか?」

「いやぁ、タイミング良かったですよ!」

いつになく興奮しているように見える森崎刑事に俺は挨拶をするのも忘れて驚いてしまった。

「何かあったんですか?」

「はい。真島が現れたんです!」

「えっ?? 本当ですか?」

思いがけない言葉に思わず大声をあげてしまった。

「はい。そのことについて、お話したいので、どこか部屋をお借りすることはできますか?」

ああ、どこがいいだろうか……そう思っていると、

「7階の会議室を使えばいい」

後ろから聞こえた声に振り返ると、桜木部長がいた。

「桜木部長、おはようございます」

晴と声を合わせるように挨拶をする。

「ああ、おはよう。少し話が聞こえたのでな。もし、差し支えなければ私も同行してよろしいですか?」

部長は森崎刑事にそう問いかけると、森崎刑事は晴さえ良ければと言ったので、晴は何の迷いもなく了承した。


俺と晴、森崎刑事と桜木部長は7階の会議室へと向かい、向かい合わせになるように座った。

「ここは防音設備が整っていますので、外部に漏れることは絶対にありません。どうぞ安心してお話しください」

部長はそういうと、立ち上がってコーヒーを淹れに行った。

「部長、私が……」

そう言ったけれど、早瀬は香月くんの傍についていてやりなさいと言って、部屋の隅にある小さな給湯室にさっさと入っていった。

森崎刑事は部長が戻ってから話をしようと思ったのか、コーヒーを持ってくるまで晴の体調を聞いていた。

「さぁ、どうぞ」

部長が人数分コーヒーを置き、席に座ってから森崎刑事は話を切り出した。

「あれから、鉢屋の取り調べを続けているうちに真島がこの会社に現れるんじゃないかということで、昨夜からこの会社を見張っていたんです。来るなら週明けの今日だろうということで、見張っていたら思った通り真島が現れました。ゲートを突破して入ろうとしたところを捕まえようとして、田ノ上と取っ組み合いになり、ロビーがあのような状態になってしまって申し訳ない限りです」

「では、真島は拘束されたということですか?」

「はい。一応今はこちらの会社への不法侵入ということで拘束しています。真島をパトカーに乗せて連行しようとしたところでお二人をお見かけしたので、田ノ上と応援に来ていた先輩刑事に真島を任せて声をかけさせていただいた次第です」

森崎刑事の言葉を聞いて、晴は

「そうなんだ……よかった」

と安堵の声を上げた。

泣き声もあげずにぽろっと涙を流す晴がすごく神々しく見えて、俺も他の2人も黙って晴を見つめていた。

「泣いたりしてごめんなさい……」

俺たちが黙っていたから、気にしてしまったんだろうか。

「僕のせいでみんなに心配や迷惑をかけていることが本当に辛くて、だからやっとみんなに安心して貰えると思ったら嬉しくなって、つい……涙が出ちゃいました。すみません」

「晴、みんな晴のせいだなんて何にも思っていないよ。みんなは自分の気持ちで晴を守りたいって思っていたんだから」

俺がそう言うと、桜木部長も

「そうだぞ、香月くん。君が真島に狙われたことは君の過失ではないし、君は被害者なんだ。気にすることは何もないんだ」

晴はその言葉に止まりかけていた涙がまた頬を伝っていた。

「ありがとうございます」

そうにっこり笑う晴はやはり神々しく美しかった。

「真島は一応今のところ、この会社に対する不法侵入で取り調べを進めていますが、今までの件も合わせてしっかり取り調べをしていきますので、香月くんにもお話を伺うことがあるかと思いますが、その時はご協力をお願いいたします」

森崎刑事はそう言うと、『それでは失礼します』と部屋を出て行った。


「まぁ、でもこれで少しは気が楽になったな。あとはリュウールのポスター完成を待つばかりか。早瀬、撮影は無事に終わったんだろう?」

「はい。今週木曜日に先日撮影した画像を入れた最終データをリュウールに確認してもらって、オッケーならそのままポスター作成に入ります。この完成形を見てからすぐに第二弾、第三弾の作成にも入っていきますので、そちらはスムーズに進んでいくかと思います」

「そうか、良かった。香月くんも良く頑張ってくれたな」

部長は我が子でも見るような眼差しで晴を優しく見つめる。
晴ほど部長に目をかけてもらってるやつなんかいないから本当にうちの営業部のやつらが見たら驚くだろうな。

「早瀬、今日は香月くんと別行動にしろ。今日は私が香月くんと仕事をする。来年度にはうちに入社するんだから、インターンとしていろんな仕事を手伝わせるのも良い勉強になるだろう。昼には社食に連れていくから、お前も来るといい」

「えっ? でも……」

突然の桜木部長の提案に俺が反応できない間に、分かったなと言って、さっさと晴を連れて行って出て行ってしまった。

もう本当に部長は晴に目をかけすぎて困るな。
早くやること終わらせて、晴を連れ戻さないと!

本当に恋人が人気者だと大変だな……。
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かし子
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貴族が絶対的な力を持つ世界で、平民以下の「獣人」として生きていた子。友達は路地裏で拾った虎のぬいぐるみだけ。人に見つかればすぐに殺されてしまうから日々隠れながら生きる獣人はある夜、貴族に拾われる。 「やっと見つけた。」 サクッと読める王道物語です。 (今のところBL未満) よければぜひ! 【12/9まで毎日更新】→12/10まで延長

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