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お父さんと呼んでくれたら……

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<side櫻葉一眞かずま

麻友子の忘れ形見のあの子が生きている。
そんな夢を何度見ただろう。

お父さん! こっち来て!

夢の中で見るあの子は、満面の笑みで私を見つめる、麻友子によく似た顔立ちの男の子。
年は幼稚園児だったり、小学生だったりまちまちだった。

そんな彼の元へ駆け寄った瞬間、あの子が奈落の底に落ちていくのを助けられずに目を覚ます。
そんな夢の繰り返しだった。

その度に私は後悔に苦しみながら生きてきた。

あの子が生まれて、病院で少しだけ二人だけのひと時を過ごしたことがある。

沐浴は私に任せてくれ!

産後の肥立ちが悪い麻友子に代わって、あの子を風呂に入れたんだ。

湯につけると初めての感覚に驚いたのかびくりと身体を震わせたが、まだよく見えてない目で必死に堪えて私を見て微笑んでくれた。
あの笑顔は今でも脳裏に焼きついて一生忘れることはないだろう。

お湯をかけ、髪を洗ってやると気持ちよさそうな表情をみせ、あの時の私は幸せそのものだった。

右足の付け根に三つ並んだ小さなホクロを見つけ、麻友子と同じだと嬉しくなったものだ。

櫻葉家の紋章が入った洋服に着替えさせ、その小さな身体を腕に抱いた。
あの時嬉しそうに笑ってくれたのが、あの子との最後の思い出になるなんて、思いもしなかった。

あの子を新生児室に頼み、麻友子との時間を数時間過ごしていると、看護師が真っ青になって部屋に駆け込んできた。

新生児室から忽然と姿を消し、どこを探しても見当たらないのだと。
眠っていた麻友子に聞かれずに済んだが、生まれたての赤ん坊が一人で歩けるわけがない。

直ちに警察に連絡し、くまなく探してもらったがまだ出生届も出す前だったあの子の情報が少なすぎて発見には至らなかった。

最初は麻友子にはあの子が病気だと嘘をつき、違う病院で検査をしてもらっているのだと話した。
だが、それが一週間、一ヶ月と経つうちにどうにも嘘を突き通せなくなっていた頃、私が席を外している間に看護師からあの子が死んだのだと聞かされ、麻友子は失意のままに病状を悪化させ、あっという間にその短い生涯を終えた。

看護師は麻友子のために嘘をついたのだと話したが、あの嘘が麻友子を死に至らしめる結果となり、しばらく経って解雇となったようだった。
その後の行方を知りたくもないが、あの看護師への怒りは今でも忘れたことはない。

あれから18年。
一人で過ごすには長すぎた年月だった。

それでもあの子のことを忘れられずにいたのは、あの子が私にとって唯一の息子だから。
麻友子と死別しても他の誰かを妻にだなんて思いは起きなかった。
私にとって妻は麻友子だけ。
そして、息子はあの子だけだ。

そう思っていた私にようやく神が舞い降りた。

私の旧知の友人であった貴船コンツェルンの貴船玄哉の息子・征哉くんがあの子と縁を繋ぎ、彼の家で世話をしてくれていたのだという。
その時にそれまでのあの子の過ごしてきた環境を聞いたが、私が苦しんでいた以上に想像を絶するほどの悪環境で育てられていたことを知った。

私があの時もっと探していれば、あの子に苦労はさせなかったのに。
自分への苛立ちと、ようやく出会えることへの喜びと、そんな苦労をさせてしまった私がいまさら父親と名乗っていいのかという不安とが混在する。

けれど、あの子は私に会いたいと言ってくれている。
そんな優しさが麻友子とよく似ている。

あの笑顔の子はどのように大きくなっただろう。
きっと、いや絶対に私のことは覚えていないだろうが、一言だけでいい。
お父さんと呼んでくれたら……。
そして、夢で繋ぐことができなかった、あの子の手を繋げたら……それだけで私のこの18年の苦労が報われる。

麻友子の仏壇に帰ってきたらいい報告をするよとだけ告げて、麻友子があの子に着せたいと作っていた洋服と、そして、麻友子が大好きだったお菓子を手に私は約束の時間ぴったりに貴船邸に到着した。

「櫻葉さま。お待ち申し上げておりました。お部屋にご案内いたします」

ああ、ようやくあの子に会えるのだ。
これまで数々の試練を乗り越えてきた私だが、未だかつてこれほど緊張したことはない。

あの子がいるという二階の部屋までの道のりがとてつもなく長く感じる。

「こちらでございます」

執事が扉を叩き、私が来たことを告げると中から、

「どうぞ」

と小鳥の囀りのような可愛らしい声が耳に入ってきた。

足を震わせながら部屋に一歩踏み入れ、大きなベッドに向かって歩んでいった私の目に飛び込んできたのは、麻友子によく似た、あの時の笑顔そのままの可愛らしい息子の姿。

その姿に、私は言葉もなくその場に崩れ落ちた。
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