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第2章:雪上の誓い
第39話:トラッシュトーク
しおりを挟むタムトゥラムは緊迫する空気に不敵なクラウチングスタートの構えで臨戦態勢を整え、その俯く表情からは黒い笑みが読み取れた。
その身体は先程よりも質量を増し、より筋骨隆々となっていた。
僧帽筋は首の付け根から盛り上がり、広背筋はまるで頑強な甲羅のように形状を変化させていた。
だが——それ以上に人目に立つのは、その丸太のような『両腕』であった。
三角筋から上腕三頭筋に二頭筋、前腕は常人の4倍以上太さを増し、そしてその拳は人の頭部程までの大きさへと肥大していた。
タムトゥラムは地面に着いた拳と大きく曲げた肘、そしてその屈強な両膝からの屈伸運動によって発生した爆発的な推進力は雷火へと目掛けてスタートダッシュを決めた。
その瞬間——蒸気機関車の様に纏わりついていた赤黒いオーラを飛散させ、猛烈なダッシュで雷火との間合いを詰めた。
「——ッッ!?」
大凡考えられる人間の移動速度の範疇から逸脱したスピードで、10m程の間合いを詰めたタムトゥラム。
その尋常ではないスピードの中、タムトゥラムはその赤々と染め上げられたモヒカンを大きく揺らしながら、雷火へと空気を振るわせる程の強烈な右ストレートを放った。
雷火は咄嗟の判断で両腕でガードするも、骨は軋み、筋繊維は断裂し、脳は衝撃のあまり意識を停滞させた。
そして雷火は車に撥ねられたかの様に雪上に轍を作った。
「——ッ、雷火!!」
使役者・雷火の救出為、藁の左腕を伸ばし雷火の胴を鷲掴みにするハーディー。そして、タムトゥラムから遠い位置へと雷火を放った。
それと同時に右の拳を高速で伸ばし、降りしきる雪の間を潜りタムトゥラムへと反撃を繰り出した。
——が、直撃の瞬間、ハーディーは自身の右腕に強い痛みを感じた。
タムトゥラムの肥大化したその手が、ハーディーの右手首を掴み、握り潰していた。
「——!? グッ……があ"あ"あ"ーー」
だが、ハーディーは痛みの後に訪れた覚えのない『感覚』に支配された。
身体の芯から『何か』が逆流し、タムトゥラムへと流れ込む様な感覚。
それはまるで、想像力が吸収されているかのような——
「ハーディー!!」
吹きつける吹雪の中、男の声が鳴り響いた。そして、タムトゥラムはその声の持ち主の方へと目を向ける。
そこには——タムトゥラムの目線より遥か上まで跳躍した二階堂 一守が。
恐怖をアドレナリンへと変換する。
惚ける思考を研ぎ澄ます。
あの日の誓いを心でなぞる。
一守の頭の中で聞き覚えのある、もう一人の自分の声が小さく囁いた。
『——行ってこい、相棒』
そして、一守は小さく口角を上げた。
「根性見せろよ……二階堂 一守!」
そして、咆哮と共に一守が繰り出した初手は、一守が得意とする前方に跳躍した状態で打撃を繰り出す "" ジャンピングパンチ "" をタムトゥラムの左頬へと振り下ろした。
重心の乗った一守の右ストレートがタムトゥラムのがら空きの顔面を貫いた。
——が、その瞬間、一守は二つの『違和感』を覚えた。
一つめの違和感は、『頚椎』を認識できなかった事である。
総合格闘技を経験しており試合経験もある一守の経験上、強烈な打撃が入った場合少なからず相手の『頚椎』を認識できるものだ。
しかし——タムトゥラムの顔面を撃ち抜いた一守は首の揺れによる『頚椎』を認識できず、それはまるで硬い大木を殴っている感覚に近かった。
そして二つめの違和感は、その『無防備さ』であった。
タムトゥラムは殴られたにも関わらず、避ける動作や目を瞑る仕草、ましてや一守の振るった拳にすら視線を配らず、ただ怒りを宿した冷たい目線で一守を直視し続けていた。
それらの『違和感』は間もなく『恐怖』へと変貌を遂げ、一守の脳内を蝕んだ。
だが、一守はその『恐怖』を振り払うかのように、着地と同時に重心を入れ替え、即座に左ハイキックを繰り出した。
一守のしなやかな左ハイキックはまたしてもタムトゥラムのガラ空きの左側頭部へと直撃し、そして——その推進力を『停止』させた。
一守の持ち得る技の中で最も威力の高いハイキック。
それは確かに強く踏み込み、重心を乗せ、がら空きのその側頭部へと的確に打ち込み、そしてめり込んだ。——はずだった。
決して雪のせいで踏み込みが浅くなった訳ではない。
雷火との戦いで負ったダメージのせいでもない。
ましてや、一守の実力不足のせいでもなかった。
ただ——物理の法則に反して一守の蹴りがめり込み、そして止まった。
否——止められたのである。
対面した時よりも明らかに二回りほど肥大化したタムトゥラムの身体の防御力が、その丸太のようなその首が、一守の全力の左ハイキックを首の筋力のみで止めてみせたのだ。
「……お前、まさか——」
極寒の氷点下の中、一守の額から冷や汗が伝った。
「そんなモンじゃ満たされねぇんだよ…………もっとだ。もっと、俺を昂らせろよッ!」
——殺気。禍々しく淀むタムトゥラムの周囲から殺気が放たれた。
鬼気迫る殺気が一守の心臓を締め付けた。
身体中の毛穴は開き、肺は呼吸を仕方を忘れた。
『避けろ』と細胞が悲鳴をあげる。
『逃げろ』と本能が叫ぶ。
殺気による恐怖が一守を支配した。
タムトゥラムは大きく身体を捻り、その肥大化した右腕を右をアッパーのフォームで一守目掛けて下から振り上げた。
一守は即座に両腕でガードを固め、スウェーで後方へと移動した一守。
丸太の様な腕から放たれたアッパーは空を切り、風圧が一守のウェーブがかった前髪を揺らした。
だが——、一守はガードの隙間から宙に舞う『鮮血』を目の当たりにし、目を疑った。
直後、一守の両腕に焼ける様な鋭い痛みが押し寄せた。
——ッッ、爪だと!?——
「タルパの一匹従いきれねぇ奴なんざに用は無え。視界から消え失せろッ!」
タムトゥラムの怒号が一守の鼓膜に突き刺さった。
そしてその直後、一守は眼前を黒く染めた。
——衝撃。
かつてない程の衝撃がガードした両腕から伝わり一守の脳を揺らし、打撃音が脳の中をかき混ぜた。
吹き飛ばされる一守の身体はまるで人形の様に歪に転がった。
その裂かれた腕からは鮮血が滴り、白雪を点々と赤く染めていた。
辛うじて直撃の瞬間、後方身体を跳躍させタムトゥラムの左ストレートの威力を殺したお陰で一守は致命的なダメージを負わずに済んだ。
だが、打撃系の格闘技に多く見られる、所謂いわゆる—— "" フラッシュダウン " に陥っていた。
ダメージが蓄積されている訳では無く、ましてや急所に当たった訳でもない。
意識の途絶が短く、ダーメジ量も少ない、面を食らった攻撃であった。
しかし、タムトゥラムの肥大化した筋力による攻撃は、フラッシュダウンと済ませるには度が過ぎていた。
朦朧とする意識の中、一守の鼓膜を打つ聞き覚えのある声が——
「————くん! カズ君!!」
その声の持ち主は一守の後方から涙目で駆け寄って来ていた。
「チッ……女が出しゃばるんじゃあねぇッ。ここは、男の場だろうがァ!」
タムトゥラムの怒りはドロシーの介入によりさらに増幅した。
そして、憤懣の化身の怒りの矛先は一守からドロシーへと向けられ——、その怒りの矛先は圧倒的なまでの『暴力』といった形で成された。
「ハーディー……『伸縮する槍』オプラス!!!」
——拳が振り下ろされる刹那、藁の拳が、一本の槍がタムトゥラムの背中へと突き刺さる。
タムトゥラムの身体は逆くの字にへし曲がった。
衝撃の最中、タムトゥラムの目に跳躍する人影が映った。
金色の鬣を風になびかせた男が、金色の獅子が、高く——推進力を増しタムトゥラムへと跳躍していた。
そして、タムトゥラムの視界は歪む。
雷火の右膝はタムトゥラムの顎に深く刺さり、そして真上に振り抜いた。
雷火の跳び膝蹴りをまともに顎に受けたタムトゥラムはその場に崩れ落ち、雷火は一守を担ぎ、ドロシーを連れタムトゥラムとの距離を取った。
「 おい一守!! 大丈夫か!?」
「あ……ああ、痛えよ畜生。クソ、首がもげたかと思ったよ」
首をさすりながら肩を担がれる一守をドロシーは心配そうに涙目で見つめている。
そんなドロシーを安堵させる様に一守は目配せをした。
そして——、一守は神妙な面持ちで一同へと語り出した。
「それより……推測だが、奴は食ったタルパの『何らかの能力』で身体を強化してると思う。その強化を誘発してるのが、『時間経過』なのか、それともダメージを『吸収』してるのか……だが、奴のノーガードの姿勢を見る限り後者が濃厚だと思う」
一守は自身が感じた『違和感』の答え合わせを伝えた。
「通りで蹴った質量が違う訳か。だがどうする、このまま攻撃を続けても……」
「ああ、フィジカルの差でジリ貧かつ、奴の戦闘力を上げるだけで詰むな……」
雷火の疑念に同意をする一守はどこかに打開策がないか思考を巡らせる。
その時、ハーディーがその重い口を開いた。
「奴の能力が『吸収』と仮定して、恐らくアイツが吸収できるのはダメージだけじゃない。『想像力』も吸収できると思う」
「なんだと!?」
「掴まれた時に想像力を吸い上げられた。難儀な能力だよ……」
唇を噛み締めるハーディーから戦慄の事実を突きつけられ、言葉を失う一守と雷火。
——奴の能力はバフ特化。どう戦う、どう打開する、何か使えるものはないか。頭をフル回転させろ、思考を止めるな。何か……!?——
そして、一守は打開策への糸口に成り得る『鍵』を記憶の片隅から手繰り出した。
「……雷火、少しだけ時間を稼げるか?」
「構わねえが、策があるのか?」
「どうだかな……ドロシー、一緒に来てくれ!」
険しい表情でドロシーの手を取る一守。その小さい手を強く握りしめ、戦地を後にした。
雷火から15m程離れた位置で先程よりもさらに質量を増したタムトゥラムがムクリと起き上がった。
「おいおい、尻尾巻いて逃げるなんて萎えちまうだろッ。お前らだけで俺様を昂らせられるのかァ?」
その血走った目が、獰猛に剥き出された牙が、そして——憤怒に満ちた声色が、怒りの度合いを物語っていた。
——その時、緊迫する空気の中、雷火がニヤリと笑い口を開いた。
「随分とよく喋るサンドバックだ。今からお前は一方的に殴られる事になるけど、痛くて起き上がれませんじゃ済ませねぇからな」
「ハッ、全身の骨を砕いてやるよッ……恨むなら俺様を怒らせたテメー自身を恨みやがれ小虫ッ」
まるでジャブを牽制し合うかの様にトラッシュトークを交わす片桐 雷火と癇癪。
そして、雷火は深く呼吸をし——
「……お前に『雪国の戦い方』を教えてやるよ」
雷火とハーディーは羽織っていたリバーシブル仕様のマントを裏返し、白地の生地に身を包んだ。
そして、沸騰する血潮を隠す素ぶりすら見せず臨戦態勢をとった。
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いえろ〜様
御感想頂き、ありがとうございます!
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