金槐の君へ《外伝》~恋(こひ)はむつかし~

るなかふぇ

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22 春すぎて

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 結局、翌日は昼ごろまで海斗の部屋でごろごろすることになった。
 海斗の父、義之の帰りは午後になるとのことだったので、「それまでには間違いなくおいとまを」と考えていた律は、目が覚めた途端に「うわっ」と飛び起きた。
 海斗はと言えば、例によって遅めの朝食の準備のために、早々にベッドから出ていっている。まあ、しばらくは律の寝顔を見てひとり楽しんでいたのは間違いないが。
 リビングの方から、こちらまでよいコーヒーの香りが漂ってきていた。海斗はやってくると、ベッドの縁に腰かけた。

「おはようございます。そろそろお起きになりませんか」
「う……うん」

 額や頬に優しい朝のキスが落ちてくるのを、律はくすぐったくも黙って受けた。が、のそのそと起きようとしたら、下半身を中心にいろいろな場所に痛みが走った。

「あ、いたた……」
「大事ありませぬか」

 すぐに海斗の手が支えてくれる。痛むのはあらぬ場所ばかりで、それだけで昨夜のあれこれをまざまざと思い出し、全身が熱くなった。

「だ、大丈夫です。ひとりで行きますから」
「……そうですか」

 なんとなく海斗の声が残念そうだ。が、律はあえて気づかぬふりをして、そそくさと服を身に着け、洗面所に向かった。
 顔を洗ってからなんとなしに前を見る。その瞬間、固まった。

(えっ)

 シャツの襟の陰に、点々と赤い痕跡が残っている。襟を開いて恐る恐るのぞいてみたら、首筋だけでなく胸元にも脇腹にも、あちこちに愛撫の花が咲いていた。

「わわ、ちょっ……これ」

 これがあの有名な、アレか。マンガやなんかで目にすることこそあれ、まさかそれが自分の体の上で開花するような事態が本当にやってこようとは。とても現実とは思えない。いや、現実であることを脳が拒否する。

(うううう……)

 思わず襟元までぴっちりとボタンを留めてしまった。そのままキッチンへ向かう。スマホは起きてすぐに確認したが、特に家族からの連絡などは入っていなかった。
 一応、家族には正直に「清水さんの家に泊まる」と告げてある。とはいえ、その本当の意味を知っているのは恐らく妹の彩矢あやだけだろう。父と母は単純に、「よく世話になっている大学の先輩宅に泊まる」という事実しか認識していないにちがいない。

(というか。いつかは、ちゃんと説明しなきゃならないんだろうけど──)

 出されたトーストの角をかじりながら、律はぼんやり考えている。
 そう考えると、なかなか前途多難だ。
 目の前で同じようにトーストとコーヒーとハムエッグの朝食をとっている見目のいい男の相貌をなんとなく眺める。
 この関係がずっと続いてくれるかどうかなんてわからない。いくら自分が望んだところで、海斗が「いやだ」と思えばそれきりのことなのだ。なんとなく、それは海斗が決めることのような気がしていた。決定権はすべて彼にあり、自分にはない。なんとなくだが、それは鎌倉殿だった昔から、ずっとそんな風に感じてきた。たぶんそれが「惚れた弱み」なんて呼ばれるものなのだろう。

 いやもちろん、こんなことを言えばきっと海斗は怒るだろう。いや、傷ついてしまうかもしれない。だからわざわざ言うことはないと思う。思うけれど、これは多分に事実なのだ。
 さく、とトーストの二口目をかじって、律はふと視線を落とした。


 春すぎて 幾日いくかもあらねど わが宿の 池の藤波ふぢなみ うつろひにけり
                     『金槐和歌集』119
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