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20 行く春の
しおりを挟む暗くなっていた意識からゆらゆらと浮上してきて、律はハッと目を開けた。
海斗の部屋の狭いベッド。いまが何時かはわからないが、部屋はすっかり暗くて、外も静かだ。どうやら深夜であるらしい。
自分を抱きしめた状態で、海斗が目の前で眠っている。安らかな寝息と心音が聞こえて、少しほっとした。
それからようやく、じわじわと記憶がもどって体が熱くなった。
(や、やってしまった……んだな)
「最後まではいたしません」とかなんとか言って、結局、この男は自分が強く求めたならば応じてくれた。
なんのかんの言っても、そこはやはり「経験者」。今にして思えば初心者の律とは違って、やはり人を抱くことに手慣れているというか、巧みさを持っていたと思う。そこがなんとなく悔しいけれど、男同士の行為に不安を持っていたのも事実なので許すしかないことでもある。
正直、相手がこの海斗で安心できたのも本当だし、はじめてなのに快感まで得ることができたのは驚きだった。事前に収集していた情報だと、最初からそこまでいくには相当の準備と気遣いが必須だということだったからだ。
(やすとき……いや、海斗さん)
そっと男の寝顔を見上げると、彼の寝息がふと止まった。と、するりと長い睫毛があがってこちらを見つめてきたものだから、びっくりして固まってしまった。
「……お目覚めですか」
「あ。う、うん……。起きていたのか」
「いえ。いま目覚めました。お体の具合はいかがでしょう」
「え……と。うん。大丈夫、だと思う」
海斗は少し身じろぎをして、律の頭の下になっていた腕をそっと引き抜いた。ずっと腕枕をしていてくれたのだろうか。だとしたらずいぶん大変だったのでは。
「あのままお休みになってしまわれたので、簡単な後始末しかしておりません。すぐに入浴の準備をいたします」言いながらもう身を起こしている。「少々お待ちを」
律には否やを言う隙も与えなかった。海斗はするっとベッドから抜け出すと、よどみない足取りで浴室へ行ってしまった。
「うう……」
あらためて言われると、また羞恥が這い上がってきた。掛け布を引き上げて、自分の状態をそろそろと観察する。互いの精液やなにかでドロドロだったに違いない下腹部は、きれいに拭われていて気持ち悪くはない。下着と、夜着がわりの彼のTシャツに、スウェットパンツも穿かされている。すべて海斗の手によるものだろう。勝手に意識を飛ばしてしまった自分が情けない。
(でっ、でも。あんなのムリだし……!)
かああっとまた全身が熱くなった。後半は朦朧としていたので定かではないけれど、そこまでは行為の細かなところまでを明瞭に思い出してしまったのだ。
(どっ……どうしよう)
海斗の顔が見られない。というか、何を話せばいいのかもわからない。ベッドで悶々としているところへ、海斗が戻ってきた。律は彼に背を向けた形で、さらに掛け布にくるまった。
「湯はすぐに張れまする」
「あっ、ありがとうございます。……ひ、ひとりでできますからねっ」
「……おひとりで?」
背後から怪訝そうな声がやってくる。そこに少し不満そうな音色が含まれているように思うのは、気のせいなのだろうか。
海斗がベッドの隅に腰をおろしたのが、重みとともに伝わってきた。
「本当に大丈夫ですか。お立ちになれますか」
「そっ、そんなことぐらい──うっ?」
言って起き上がろうとした途端、つきりと腰に痛みが走った。
「あ、いたたた」
そのままベッドに元通りに沈んでしまう。
「ほらご覧なさい。お手伝いいたします。どうかお任せを」
「いっ、いや。大丈夫です。このぐらい──」
いや、たぶん大丈夫ではない。普段あまり運動らしい運動をしない自分のせいなのだから仕方がないが、使っていない筋肉のありとあらゆる部分が文句を言っているのがわかる。さらに、彼を受け入れた部分にもかなり違和感を覚えた。まだ彼のものを咥えこんでいるかのような異物感がぬぐえないのだ。
「まあ、そうおっしゃらずに」
海斗の声はどこまでも謙虚で柔らかく、優しかった。
「どうかお手伝いさせてくださいませ。自分が衝動を抑えきれなかった結果にございますし……。申し訳もなきことです。どうかお許しくださいませ」
「え。あ、いや。わ、私もその……悪いのだし」
あれだけ煽って、「もっと」と求めたのは間違いなく自分である。彼にだけ非を負わせるのは不公平というものだ。
と、海斗が掛け布に丸まった律を布ごとぎゅっと抱きしめてきた。
「いいえ。絶対に無理をおさせしてはならぬとあれほど自戒しておりましたものを……。まことに申し訳ありませぬ」
「い……いいって言うのに」
頬から耳から首から、もう全部がどんどん熱くなってきてたまらない。掛け布を放り投げてしまいたくなる。
「く、苦しくなかったと言えば嘘になるけれど。……ちゃ、ちゃんと、気持ち……よかった、から」
声の最後は尻すぼみで、ほとんど聞き取れないほどのものだったろう。それでも、海斗はしっかり聞き取ったようだった。
「左様にございますか。よろしゅうございました」
そして、聞こえた。
「──自分も、大変に悦うございました」、と。
行く春の かたみと思ふを 天つ空 有明の月は 影も絶えにき
『金槐和歌集』115
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