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9 沖つ波
しおりを挟む事前に教えてもらったボディソープなどを使い、緊張しながら体を洗って浴室から出ると、律は用意されていた新品のパジャマに袖を通した。浅黄色のチェック柄。丈がぴったりなのを不思議に思って見てみると、表示はMサイズだった。
海斗は恐らくLサイズを着る人だと思う。彼の方が自分より背が高く、手足も長い。このパジャマでは、彼の手首や足首がにょっきりと出てしまうのは間違いないだろう。
確か父親の義之氏も、彼と遜色ない体躯をしていたはず。
(まさか、わざわざ私のために……?)
いやまさかね、と思い直してふと気づいた。パジャマの下には大きめの紺のカーディガンが畳んで置かれている。「上から着よ」という意味なのだろう。腕や襟首の白いラインに見覚えがある。間違いなく海斗自身のものだろう。少し鼻先をうずめてみたら、うっすらと彼の匂いがした。
相変わらず、何くれとなくよく気のつく男だ。
バスタオルで髪を拭きながらリビングに戻ると、海斗はキッチンで飲み物の用意をしているところだった。歯ブラシの時のようにまたもや「どれがいいですか」の儀式をひと通りやって、「では自分も失礼をいたします」と、浴室へ消えていく。
ここまでの卒のなさは完璧だ。
いや完璧を通り越している。一般的な二十歳やそこらの青年にできる芸当とは思えなかった。もちろん、律自身を含めてだ。
やはりそこは、前世での五十年以上の月日が重みを加えている、ということなのだろうか? それとも──
(やっぱり、女にモテる男はちがうんだな)
そんな考えたくもないことを考えてしまって一人で勝手に不愉快になる。いじましい自分が厭わしい。
鎌倉の昔からずっと、自分はこんな感じだ。あれやこれやと考えていることは、独りよがりにぐるぐる頭の中で渦巻くばかりでやがて腐り、勝手に自分の精神を痛めつけ、疲弊させる。それでいて、勝手に疲弊しておきながら当の相手を恨めしく思ったりする。
まこと人間というのは勝手なものだ。……いや、こんなにも情けないのは自分だけのことかもしれないが。
ソファに座り、選ばせてもらったウーロン茶のグラスに口をつけながら、律はなんとなくつけたテレビ画面に目をやってぼんやりしていた。
この時間帯はどこの局もバラエティ番組が多い。世間を明るくしようと様々な笑いを生みだす仕事をする人々が、今夜もにぎやかに画面の向こう側をわき立たせている。だが、その内容は小指の先ほども律の頭には染みこんでこなかった。
それでいて、かた、と小さな物音が浴室の方から聞こえただけで飛び上がった。
全身の神経をそちらに集中させていたことをあらためて実感する。そんな瞬間だ。
やがて浴室へとつながる廊下から、パジャマ姿の海斗が髪を拭きながら現れた。彼は上に、部屋で着る上着を羽織っている。
(うわっ……)
想像以上の破壊力だ。
同じような姿のはずなのに、なぜ自分のそれとは雲泥の差なのだろう。
濡れた髪に、少し上気した頬。それだけのことが、この男の色気をいつもの何倍にも演出してしまっている。
ずっと緊張しっぱなしだというのに、さらに緊張に輪を掛けられてしまった。
「ドライヤーをお使いにならなかったのですか」
「あ。わ、忘れていた……」
あまりのことに緊張して、さっき「使ってください」とテーブルに置かれたのをそのままにしてしまっていた。
海斗は「左様ですか」と微笑んで、律の背後に回り、さらさらと髪を乾かしてくれはじめた。
「いや、いいよ。もうほとんど乾いているし」
「いいえ。お風邪でも召されてはいけません」
「か、……海斗さんも乾かさないとでしょう? そっちは私がするよ」
「滅相もない」
「もうっ。今は、上下関係はなしって言ったじゃないですか。敬語もやめてとあれほどお願いしたのに、あなたときたらずうっと相変わらずでっ」
「申し訳ありませぬ。思った以上になかなか抜けず……」
「はああ……」
思わずため息が出た。
ドライヤーの風が当たるのと同時に、海斗の指先が髪と地肌に触れてくる。
ひどく気持ちがいい。いいけれど、やっぱり律は体を固くしたままだった。
「……緊張なさっていますね。やはり、今夜は──」
「もうっ!」
律はがばっと立ち上がると、彼の手からドライヤーをひったくった。
「次は私が乾かす番だから! 早く座って、海斗さん!」
「……はい」
おとなしく座った海斗の背後に立って、同じように髪を乾かしていく。黒くてまっすぐで素直な髪は、するすると指の間をすり抜けていく。
ふたりとも短い髪なので、それはすぐに終わってしまった。
「お……終わったよ」
「ありがとう存じます」
言って海斗がするりと律の手を取った。
どきん、とまた律の胸が跳ねた。
「それで? どういたしましょう」
「ど……どうするって?」
「……お誘いしてもよろしゅうございましょうや。自分の寝室へ」
「うううう~~~~っ」
そんなこと、わざわざ訊かないでほしい。
とはいえこの男に「ここで強引に連れていく」という選択肢がないであろうこともわかっていた。
律は唇をひき結び、しばらく自分の激しい鼓動を感じながらぎゅっと目をつぶった。
沖つ波 八十島かけて 住む千鳥 心ひとつと いかが頼まむ
『金槐和歌集』(実朝歌拾遺)704
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