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4 風吹けば
しおりを挟む海斗の父、清水義之。
彼が帰らないってどうして、というかなぜ自分が訪問してからようやくそんなことを言い出すんだ、この男は。いったい何が目的で?
今夜は自分とそなたのふたりきりになるということか。それはそなたが敢えて仕組んだことなのか?
自分とふたりきりになっていったい何をしようというんだ。
そうしたもろもろの言いたいことは全部喉のところで止まってしまって、律の口からやっと出たのはこれだけだった。
「そ、そうですか」
情けない。
いや、なんにしても勝手に先走るのはよくない。勝手に海斗の内面を予想して断じてしまうのは失礼にあたるというものだ。疑問に思うことはちゃんと訊いて、はっきりさせてからでなければ、何も判断がつかないのは当然である。
律は深く息を吸ってから、訊いた。
「どうして?」
「は。本日から一泊二日の日程で出張だとのことで」
「そうじゃなくて。なんで今になってそれを?」
「あ……申し訳ありません。つい、言いそびれてしまいまして」
「……そうなんですか」
なんとなくぎくしゃくした空気が流れる。海斗もきっと、こうなることを予想していたのだ。だからこそ言い出しにくかったのに違いない。
ふたりともそこから少し言葉すくなになってしまったが、それでも予定通りにふたりでカレーを作った。せっかく食材を買ってきたのだし、もともとそういう約束だったのだ。ここで帰ってしまうようなことは、律だってやりたくなかった。
彼とふたりで料理をするのも、これで何度目かになる。最初のとき、あれほどあぶなっかしかった包丁を持つ手もだいぶマシにはなってきたようだ。なにより、ジャガイモの皮むきはかなりうまくなった。まあ、麻沙子による特訓の成果と、ピーラーという神の道具のおかげでもあるのだが。
「では、食べましょうか」
「はい。……いただきます」
海斗の腕前は当然のごとくで、カレーは至ってうまくできているようだった。ただ律には、いま何を食べているかも怪しかったけれど。
海斗がいつものように、夜のニュースを見るためにテレビをつけた。そのおかげで、途中で布を噛んで動かなくなったファスナーのようになった部屋の空気は、無機質なアナウンサーの声によってなんとなく中和されていく。
律も、ついほっとしてしまう自分を認めないわけにはいかなかった。
アナウンサーの声をワンクッションにして、特に興味もないニュースに無駄に反応したり、お互いにあたり障りのない話題をふったりして時間が過ぎていくのを待つ。
一番訊いてみたいことは、カレーを食べ終わってもやっぱり律の喉のところでひっかかったままだった。
「……もう、こんな時間ですね」
「ええ」
いつもならこの時間、遅くとも十時半ごろには義之が帰宅してきてお開きになる。彼がまだ帰宅していない場合、少しばかりのキスやハグをすることはあるけれど、それだって結局はその程度のことだった。
今夜の海斗は、いったいどうするつもりなのだろう。
自分の脳みそから一歩も外へ出ていかない思考がひたすら渦を巻いて、次第に律の頭は痛みはじめた。
空になった食器を食洗器に入れている間、海斗はもう一度コーヒーを淹れてくれた。
「……あの。俺、そろそろ」
「お待ちください」
コーヒーをいただいてそそくさと立ち上がりかけたところを、眼光だけで座り直させられてしまった。
こういうところは、さすがもと鎌倉武士、しかもそれをたばねる執権の立場にあった人というべきなのだろうか。
「お話がある、と申しました」
「…………」
そういえばそうだった。
いや、話があるなら食事中にでもすればよかったものを、とつい恨みがましく考えてしまう。その思いがあふれる目つきになってしまったのか、海斗はあっさりと「申し訳ありません」と白旗をあげた。
「お訊ねしたかったのはこのことです。このところずっと、なにかお悩みなのではないかと思って見ておりましたが……間違いないでしょうか」
「…………」
「こう言うと大変おこがましいようで恐縮なのですが……それは、自分に関することでしょうか」
律は唇を噛んだ。
これは、ダメだ。カレーを作り、食べている間もずっと、どうにか話を誤魔化せないかとあれこれ考えてみたのだけれど。これはどうやら無理そうである。彼は今夜、絶対に律を逃がすまいとずっと考えてきたというわけだ。
(……しかた、ないか)
律はとうとう観念して、言った。
「そうだよ。そなたのことを考えていた。……ずっと」
風吹けば 波うつ岸の 岩なれや かたくもあるか 人の心の
『金槐和歌集』(実朝歌拾遺)688
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