血と渇望のルフラン

るなかふぇ

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第九章 そして、日常へ

3 車内にて

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(怜二……)

 俺の胸はまたしくしくと痛んだ。
 そうなったら俺はまた、こいつに今回みたいな思いをさせなきゃならないんだ。
 あんなふうに身も世もなく、辛そうに泣かせることになっちまう。
 そうなったら、いったいこいつはどうなっちまうんだろう?

 全部がどうでもよくなって投げ槍になり、周囲のだれかれ構わず傷つけたり殺したりする犯罪者が、この世にはいっぱいいる。「ひどい奴だ」「生きてる価値もない」なんて言う人は多いけど、本当に本人の気持ちを想像したら、一方的に責める気持ちにはあんまりならない。
 だってそれは、たぶん孤独だからだろ?
 だれからも気に掛けてもらえなくて、だれからも愛してもらえなくて。
 自分なんか、いてもいなくても同じだとしか考えられなくなって、追い詰められてどうしようもなくなって。
 そういう人だから、自分と同じようにみんなを傷つけてしまいたくなる。自分だけがつらいなんて、考えたくもないからだ。だれだって、追い込まれればそうなる危うさを秘めている。どんなに「いい人」だってそうなる可能性はあるだろうし、もちろん俺だってそうだろう。想像したくもないけどさ。

 もちろん、怜二はそこまで愚かじゃないって信じてる。だけど、俺が先に逝ってしまって、本当に心の底から希望を失ってしまったら、こいつだってどうなるかは分からない。
 俺が訥々とつとつとあの時見たシルヴェストルの記憶について話すのを、怜二はじっと聞いていた。濁ったところのない、澄んだ赤い瞳のままで。

「……そうか。そういうことだったのか」
 そして最後に、溜め息とともにそう言った。
「なにか色々と納得がいったよ。……僕らはあまりに、地球上の生命体とは異なる存在だったものね」

 宇宙から来たか。そうか。
 独り言みたいにそう言って、怜二は力なく笑った。

「それ以降のことは見なかったの? その後、人間たちと何があったのかとか」
「いや……ごめん。そこまでは」
「そうか」
 怜二は顎に手を添えて俯いた。
「まあ、いいか。想像はつくし、どうせろくでもないことだろうし」

 それもまた、自分に言い聞かせるみたいなぼんやりした言葉だった。
 それからまた怜二はゆっくりと俺の身体に腕を回して抱き寄せた。

「いいんだ、僕は。君さえ無事でいてくれるなら」
「怜二……」
「じゃ、僕はそろそろ行くよ。例の仕事、月代に全部任せておくわけにもいかないし。あまり長居しちゃ、お母さまに申し訳ないからね」

 そう言って、怜二は最後に軽く俺に口づけをすると、音もなく部屋を出ていった。

(けど……怜二。どうするんだよ)

 お前、俺と一緒に年をとっていきたい、って言ったよな?
 そりゃ、お前が形だけなら歳をとることができることはもう知ってるけど。
 それって、それって──。

 考えれば考えるほど悩ましくて、俺は頭を抱えたくなった。
 でも、それは許されなかった。すぐにおふくろが病室に戻ってきてしまったから。





 九月。
 俺はまだ通院はしているものの、なんとか無事に大学の後期の講義に出ることができていた。
 もちろん往復は怜二の家の車で送迎してもらい、講義の間も怜二がつけないときには必ず凌牙が隣にいてくれる……という、厳重すぎるほどのでだけどな。
 なんか恥ずかしい。もうそんなに傷は痛まないし、日常生活にはさほどの支障もないのにさ。
 でも、あの事件で起こったことを考えれば、二人が心配するのも十分に理解できる。シルヴェストルの置き土産の捜索は続行中で、麗華さんをはじめみんなはその仕事に追われていたし。
 だから俺は、特に文句は言わなかった。

「ねえ、勇太。本当に形成外科手術はしなくていいの」
「いいってばよ。何回言わせんだ、お前は」
「本当に腕のいい医者なんだよ、その部下は。すでに世界的な名声も得て──」
「わかってるって。そういうことじゃねえんだわ」

 大学から帰る車の中。いつものように隣に座った怜二に、俺はうんざりした視線を投げた。
 結局、俺の胸には大きな傷が残った。
 胸の真ん中に、子どもが絵に描いた太陽みたいな、ぎざぎざした円形の傷。
 怜二はすごく傷を気にして、同じセリフを何度も俺に投げかけている。でも、俺はずっと拒否しつづけていた。

 だってこれは、俺があいつと戦った証拠だ。みんなの足を引っ張りまくりで、そんなカッコいいもんじゃなかったことは分かってるけど、みんなと一緒に戦った証拠。
 一応、勲章みたいなもんじゃね? ちょっと厨二くせえけど、男子にとってはどうしても憧れちゃうアレじゃねえ?

 それに俺、別にゆづきちゃんみたいな女の子でもねえし。今どき海水浴なんて、男でもラッシュガード着てたっておかしくないんだしさ。
 あとは温泉ぐらいだけど、俺はそこは多分……っていうか間違いなく、怜二が他人と一緒に入らせるのは嫌がるんじゃねえかなと踏んでいた。いや、まあ主にの理由で。
 だから今日は、ちょっとカマを掛けてみることにした。

「そりゃさ。怜二がどうしてもイヤだって言うなら受けないこともねえけど。でも、もうこれ以上入院したり、それで大学に行けなかったり、また親に心配かけたりすんのも、なんか気が進まねーんだよ。そもそも、病院きれえだし。注射も薬もうんざりだしよ」
 怜二は思った通り、かなり困った顔になった。
「うーん……。気持ちはわかるけど」
「もしも困るとしたら、他人に見られる温泉とか、銭湯とかぐらいだろ? 他のお客さんをびっくりさせちまうのは、ちょっと悪いかな~って思うけど──」
「そんな! とんでもない!」

 ほら、やっぱり叫んだじゃんか。目が三角になってるじゃんか。
 ってか、車の中で急に立ち上がろうとするんじゃねえ!

「勇太の肌を他の男に見せるだって? とんでもない! そんなもの、全部貸し切りにするに決まってるだろう!」
「肌とか言うなあ! 気色悪いわこのど変態!」

 思わず自分の胸を抱きしめて怒鳴りつけたら、ものすんごいジト目で睨まれた。

「そうだよ。僕はド変態だ。そもそも本気で人間を恋人にしようっていう時点で、ヴァンピールの中でも異常な個体さ。今さら『ド変態』程度のレッテルなど恐るるに足らず、だよ」
「いや、開き直んなよ……」
 頭を抱えてそう言ったら、今度は顎をひょいとあげ、「ふーん」と見下ろされた。
「……なるほど。そういうことか」
「なるほどってなんだよ」
 はあ、とため息をつかれる。目の辺りを押さえた指の間から、ちらりと見られた。
「要するに、『男の勲章』がどうのこうのってあれでしょう? 昔からそういうマンガが好きだったものね、君は」
「な、……なな」

 かあっと耳が熱くなる。
 畜生。なんもかんもお見通しか!

「まったくもう。勇太は変なところで、まだまだ子どもなんだから。そこも可愛いからいいんだけどね」
「はあ? だれが子どもだ……って、お前に比べりゃ全人類が子どもだわ! 全力で突っ込むぞコラア!」
「はいはい。もうわかったよ」
 まったくなにが勲章だよと苦笑しながらも、怜二はとうとう許してくれた。
「傷があろうとなかろうと、勇太は勇太だ。僕が君を好きなことにも、これからずっと大切にしていくことにも、変わりがあるはずがない。……でも、その代わり」
「ん? なんだよ」

 ずいと隣から近づかれて、俺は思わず腰を引いた。
 なんか、いやな予感がするぞ。

「僕のお願いもひとつ聞いて。……いい? 勇太」
 
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