血と渇望のルフラン

るなかふぇ

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第七章 陥穽

2 休憩室

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 車内に隣り合って座らされても、俺たちはしばらく口をきかなかった。運転手と俺たちの間には小窓のついた仕切りがあって、向こうに会話は聞こえないようになっている。
 歩いて十分程度の道のりはあっというまに終わってしまい、俺の元々の目的地である駅前にはすぐに着いてしまったんだけど、怜二はそこを素通りした。宣言どおり、そのままバイト先まで送るつもりらしい。だけど、なかなか話は始まらなかった。

「なんだよ。話があんなら、さっさとしろや」
 俺はとうとう、むっつりと口を開いた。
「教えてくれるなら、どうぞしゃべって。まあ、僕が訊きたいことも、結局は同じだから。君がさっき、月代に訊かれていたのとね」
「てめっ、聞いてたのかよ」
「あのねえ。君のそばにはいつもクロエがいるんだし。その子が必要なことはなんでも教えてくれるんだから」
「うっわ。クロエ! まじかよ。この裏切りものぉ!」

 俺は思わず、姿を現しているクロエを睨んだ。クロエは申し訳なさそうに「きゅんっ」と鳴いて、いつもよりふた回りぐらい体を小さく縮めてしおれている。そのぐらいだと、ちょうどソフトボールぐらいの大きさだ。
 ……うう。なんかさらに可愛い。
 こんな風になっちゃったら、これ以上は責められないじゃん!

「いいよ、クロエ。それがお前の仕事だもんな。それで俺、助かったこともあるんだもんな。大きい声出してごめんな……」

 やわらかくて黒い毛をそっと撫でてやると、クロエはおずおずとまた俺の肩に乗っかってきた。
 怜二はものすごく平静な目でそんな俺たちを観察していたけど、やがて抑揚のない声で言った。

「本当に、あいつとは関係がないんだね? 勇太」
「ないって言ってるだろ。あの時は本当に、ただ気分が悪くなっただけだ」
「生理中の女子みたいなこと言ってるね。そんなこと、今まで一度もなかったのに」
「なかったってこたあねえだろ? 男にしちゃあ、気を失うことは結構あったじゃねえか。おもにお前のせいで、だけどな」

 途端、怜二はむっとしたように黙りこんだ。腕組みをして難しい顔になり、口元を手で覆っている。明らかに言い返せないって顔だ。
 無理もない。これを言えば、こいつが痛そうな顔をするのはわかってた。胸の底に鈍い罪悪感がちらりとよぎるけど、俺は敢えてそれを無視した。
 そうこうするうち、車はいつのまにかバイト先である配送センターの前に着いていた。

「んじゃ俺、行くわ。遅刻するし」

 動かなくなった怜二のことはほっぽって、俺は勝手に車から降りた。そのままどんどん職員用の入り口に向かう。
 ぶぶっと尻ポケットに入れたスマホが震えたけど、完全に無視した。どうせ怜二か凌牙だ。いま話すことはなにもない。
 いや、下手に話してしまったらゆづきちゃんが危ないんだ。





 夏の短期バイトは、宅配便の配送センターでの荷運びだった。
 お中元の時期はどうしても配送される荷物が増える。人手不足の解消のため、この時期だけバイトの募集があるわけだ。
 これは庶民の男子学生にとっては比較的わりのいいバイトと言えた。もちろん力仕事だから、家庭教師とか塾講師のほうが体力的には楽だし、時給もいいんだけどさ。でも、それは怜二に止められてるし。
 それに、支給された作業着を着て重い荷物を抱え、汗をかきながら体を動かしていれば、色々難しいことを思い悩まなくて済む。そのほうが、今の俺にはかえってありがたかった。

 幅の広いレーンを流れてきた荷物を伝票に従って大まかに仕分けするのは、機械の仕事だ。最近じゃAIが進化してきたおかげで、こういう所もだいぶ人員削減ができてきているらしい。人は機械の操作や監視のために最低限いるだけでいいみたいだ。
 でも機械だけじゃ不安なところもまだまだある。だから最後にちゃんと人の目でも配送先の確認をする。配達員はそれぞれ配送情報端末を持って移動するんだけど、そこに荷物の情報を送ってから、それぞれの行先のトラックに積み込む。この最後の積み込むところが、俺たちバイトの仕事だった。
 顧客情報の管理だとかなんとかいう大事な部分は社員さんたちの担当で、俺たちバイトは基本的にサポートが中心。つまり単純な荷運び作業が多かった。
 バイトといっても俺ら大学生ばかりじゃなくて、成人したフリーターらしい人もいるし、中には女性もいる。働いている時はみんな黙々とやっているので、お互いあまり話はしない。だけど、休憩時間なんかだと気の合う同士で集まっておしゃべりすることもある。

《勇太くん。そろそろ返事が欲しいんだけどね》

 シルヴェストルの声が聞こえたのは、バイト三日目の昼休みのときだった。
 一応予期はしていたものの、俺はやっぱり、飲んでいた缶コーヒーをもうちょっとで吹きそうになった。

《シルヴェストル……!》

 簡易のテーブルと椅子に細長いロッカーがずらりと壁一面に並んだ休憩室には、社員さんと俺たちバイトがそれぞれに弁当やコンビニ飯を持って集まっている。
 俺は一瞬、周囲のみんなの表情を目の端で伺った。でも、奇妙な動きをしている人はだれもいない。みんなそれぞれ、他の人と世間話をしたりスマホを眺めたり、休憩室に置いてあるテレビでニュースなんかを見たりと、自由に過ごしているだけだ。
 俺は缶と弁当のごみを捨てにいくようなふりをして、そっと休憩室を出た。

《ちゃんと期限を切っておくべきだったかな? あまり待たされると、退屈すぎてこの子にいたずらをしちゃうかもしれないよ、私は》
《ってめ! ゆづきちゃんに余計なことすんなよ、こら!》

 こうして声が聞こえるってことは、ゆづきちゃんがこの建物の近くにいるんだろうか。
 あの時も思ったけど、今のこいつの声はゆづきちゃんが比較的近くにいるときにしか聞こえない。多分それが、肉片の状態でいることによる制限なんだろうと思う。
 俺は慌てて、きょろきょろ周囲を見回した。窓の外をひょいと覗いてみる。でも、あの可愛くて涼しげなお嬢様の姿はどこにも見当たらなかった。

《ああ、君から見える場所にはいないよ。ちょうどいま、外に車を停めているんだよね。お嬢様も、習い事や何やらでなかなかに忙しい夏休みみたいでさ》
《お前。ゆづきちゃんを操ってるんじゃねえだろうな?》
 そんな都合よく、あのお嬢様が作業場の近くを通ったりしないはずだ。シルヴェストルはくすくす笑っただけだった。
《まあ、そこはご想像にお任せするよ》
《ちっ。鬱陶しい野郎だぜ》
《話をはぐらかそうとしているのかな。時間稼ぎのつもりかもしれないけれどね、勇太君。たぶんそれは無駄だと思うよ?》
《……どういうこったよ》

 どきん、と俺の胸が変な音をたてた。

《あのウェアウルフの男の子の方はともかく、レイジ君には人望がない。まあ、彼だけのことじゃなく、ヴァンピールは全体的にそのような生きものだけれどね。彼らが一丸となって私に戦いを挑むというのは、そもそも難しいはずだからさ》
《なんだって……?》

 飲み干したコーヒーの空き缶を握りしめて、俺は眉間に皺を寄せた。
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