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第四章 暗躍
6 脱出 ※※
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──タスケテ。
助けて……怜二。
助けて、凌牙……!
多分、俺は叫んでた。
どっちの名前を? それはわからない。
たぶん、どっちも。
その時だった。
頭の中で声が響いた。
《目を閉じてて、勇太!》
次の瞬間、部屋の中に暴風が巻き起こった。
ほとんど竜巻みたいな強さだ。それと共に、物凄い獣の唸り声が聞こえた。
「ぐあっ……!」
何かの鈍い音とともに、シルヴェストルの濁った悲鳴が上がった。
体が凄まじい風で持って行かれそうになる。でも、手を戒められているため、体だけが浮き上がって翻弄された。
「うあああっ!」
腕が今にもちぎれそうだ。筋が限界まで引き延ばされて激痛が走る。
と、上からふわりと何かが覆いかぶさるような感覚があった。
「大丈夫だよ、勇太」
「怜二……っ!」
開いた目の前にあったのは、完全にヴァンピール化した怜二の顔だった。
それでもその瞬間、俺を満たしたのは、どうしようもない安堵だった。
怜二は俺をマントに包んで風から守りながら、手首の戒めをあっさりと引きちぎった。タオルで縛られていたんだけど、やっぱりすごい力だ。今の怜二の手は筋張って、いつもよりはるかに大きくなっている上に、真っ黒な長い爪が生えていた。まさに「怪物」の手、そのものだ。
でも、俺は不思議とちっとも怖くなかった。怜二は俺の身体を抱き起こしても、その爪で俺の皮膚を傷つけるようなことはいっさいなかったしな。それどころか、怜二の手はとても優しかった。……なんか、泣きたくなるほどに。
怜二に助け起こされてようやく周囲を見ると、部屋の中では猛獣二匹がもつれ合い、激しい格闘を繰り広げていた。
片方はもちろんシルヴェストルだ。もう片方は、全身を灰色の毛におおわれた巨大な狼だった。
いや、人狼だ。一応、服は着ているし、両足で立ってるし。まあ服は、ほとんど破れまくって腰の所しか残ってないけど。
「り、凌牙……? なのか?」
凌牙は腹に響くような凄まじい咆哮をあげつつ、後ろからシルヴェストルの首っ玉にがっぷりと何度も噛みつき、肉を引きちぎっている。シルヴェストルを羽交い絞めにしたまま、ほとんどひとつの肉塊になって壁に、天井にと互いにぶち当たっている。調度が跳ねとび、床に落ちた卓上ランプが派手な音をたてて砕けた。
シルヴェストルは長い爪で凌牙の頭や腕を掻きむしっている。一瞬だけ動きが止まった時によく見たら、男の胸に深々と銀色の長い杭が突き刺さっていた。
どちらの身体からのものかもわからない血しぶきが、そこいらじゅうにはね散って、部屋の壁といわずカーテンといわず、真っ赤な痕をつけていく。世界が赤く染まっていく。
あの可愛いふかふかの耳がざっくりと裂けて血に染まっているのを見て、俺は必死にそっちに腕を伸ばし、絶叫した。
「凌牙ああぁっ!」
「大丈夫だ。最初に杭を心臓に貫通させているしね。だいぶ力は削いである。あとは彼らに任せよう」
「でもっ、凌牙が……!」
「大丈夫」
よく見ると、周りにもいっぱい他の人狼らしい者や、吸血鬼らしい者たちの姿があった。吸血鬼らしい者たちは、メイド服やフットマン服の者が多い。要するに、怜二の配下の者たちなんだろう。
みんな、もつれ合っている二体の怪物の隙を見つけては、シルヴェストルの足や腕に飛びついて噛みついたり、爪を立てたり、別の杭を突き刺したりしてくれている。
「ギャアアアアッ!」
背中といわず脇腹といわず、体に杭を突き刺されるたび、シルヴェストルが怪物のような咆哮をあげる。
けど、ほとんどの者がそこには至らず、あっさり振り飛ばされて壁に叩きつけられたり、顔を斜めにざっくりと引き裂かれては悲鳴をあげていた。
シルヴェストルが鋭く身を跳躍させるたび、部屋いっぱいに悲鳴と血しぶきがほとばしる。みんなもう血まみれだ。中には、鋭い爪で裂かれた腹から、中身がはみだしかかってそこをおさえ、呻いている者までいる。
(ひでえ……)
俺は思わず目をそむけた。
ひでえ。ひどすぎる。
部屋がいきなり、血みどろの阿鼻叫喚地獄になっちまってる。
「君は見なくていい」
怜二の手がそっと俺の目の上に当てられた。
「さ、今のうちだ。跳ぶよ、勇太」
「え……」
俺の返事を聞くこともなく、怜二が俺を抱きかかえて《跳躍》をした。
次に目を開けたらもう、俺たちは夜空を飛んでいた。俺はしっかりと怜二の身体にしがみつき、体を丸めている。まだ体の欲望がおさまっていない。下腹の熱はじんじんと、どうしようもない欲求を突き付けてくる。
恥ずかしくてたまらない。でも、たまらず太腿をすり合わせ、体が勝手に震えてしまうのをどうにもできなかった。
「れ、……れい、じ……」
「あいつの唾液の影響だよね。わかってるよ、勇太。つらいだろうけど、少し我慢して。まずは距離をとらないと」
怜二の声はとても優しかった。どこにも俺を責める響きはなかった。
それを聞いてるだけで、なんかもうガキみてえに泣きだしそうになる。
「ごめ、俺……」
「謝らないで。謝らなくちゃならないのは僕のほうだ。こんなにあっさり、君をあいつに奪われるなんて……。まさか、メイドの一人とすり替わっているとは思わなかった。ここまで奴が匂いや気配を消せるとは思ってなくて。僕が甘かったんだ。本当にごめん。君をこんな目に遭わせて」
怜二がキリキリと奥歯を噛みしめている。
俺は怜二の胸元でぶんぶん顔を横に振った。
「けど、ともかく君のおじい様がご無事でよかった。君のお陰だと思う。君がおじい様をお守りしたんだ。頑張ったね、勇太」
「そうだ、じいちゃんは? あの後どうなった……?」
「大丈夫。一応、病院で検査してもらってね。特にどこも問題なし。ひと晩だけ経過観察で入院されたけど、もうご自宅に戻られているよ」
俺は、やっと少し体から力が抜けた。
「よ、よかった……」
「すべて君の頑張りのおかげだよ。君があの時、僕らになにかメッセージでも残していたら、おじい様は今頃この世におられなかったはずだからね。シルヴェストルは、そんな甘い奴じゃないから」
「そう……か。ありがと」
「少し待ってね。安全な場所まで行ったら、楽にしてあげるから」
「え……」
「本当に待たせてごめん。まさか、海外まで逃げるとは思わなくてさ」
「え、海外……?」
俺は驚いて顔を上げた。なんとなく眼下を見るけど、夜の町の明かりが煌々と輝いているのを見てるだけだと、あんまり違いはよくわからなかった。
でも、なんとなくどこかが変だ。
河に架かってる橋の形が、なんか優雅だし。
そして。
「あ、……あれ? あれって、まさか」
「うん。テレビなんかで見たことぐらいはあるよね? エッフェル塔だよ」
「えええっ? う、うそだろ──」
俺は呆然と、見覚えのあるすらりとした美しい塔を見下ろした。東京タワーに似ているけど、絶対違う。そうして少し離れた場所に、やっぱり世界的に有名な凱旋門が見えた。
うわ、マジか。マジでフランスか!
どうなってんだ、シルヴェストルの奴!
助けて……怜二。
助けて、凌牙……!
多分、俺は叫んでた。
どっちの名前を? それはわからない。
たぶん、どっちも。
その時だった。
頭の中で声が響いた。
《目を閉じてて、勇太!》
次の瞬間、部屋の中に暴風が巻き起こった。
ほとんど竜巻みたいな強さだ。それと共に、物凄い獣の唸り声が聞こえた。
「ぐあっ……!」
何かの鈍い音とともに、シルヴェストルの濁った悲鳴が上がった。
体が凄まじい風で持って行かれそうになる。でも、手を戒められているため、体だけが浮き上がって翻弄された。
「うあああっ!」
腕が今にもちぎれそうだ。筋が限界まで引き延ばされて激痛が走る。
と、上からふわりと何かが覆いかぶさるような感覚があった。
「大丈夫だよ、勇太」
「怜二……っ!」
開いた目の前にあったのは、完全にヴァンピール化した怜二の顔だった。
それでもその瞬間、俺を満たしたのは、どうしようもない安堵だった。
怜二は俺をマントに包んで風から守りながら、手首の戒めをあっさりと引きちぎった。タオルで縛られていたんだけど、やっぱりすごい力だ。今の怜二の手は筋張って、いつもよりはるかに大きくなっている上に、真っ黒な長い爪が生えていた。まさに「怪物」の手、そのものだ。
でも、俺は不思議とちっとも怖くなかった。怜二は俺の身体を抱き起こしても、その爪で俺の皮膚を傷つけるようなことはいっさいなかったしな。それどころか、怜二の手はとても優しかった。……なんか、泣きたくなるほどに。
怜二に助け起こされてようやく周囲を見ると、部屋の中では猛獣二匹がもつれ合い、激しい格闘を繰り広げていた。
片方はもちろんシルヴェストルだ。もう片方は、全身を灰色の毛におおわれた巨大な狼だった。
いや、人狼だ。一応、服は着ているし、両足で立ってるし。まあ服は、ほとんど破れまくって腰の所しか残ってないけど。
「り、凌牙……? なのか?」
凌牙は腹に響くような凄まじい咆哮をあげつつ、後ろからシルヴェストルの首っ玉にがっぷりと何度も噛みつき、肉を引きちぎっている。シルヴェストルを羽交い絞めにしたまま、ほとんどひとつの肉塊になって壁に、天井にと互いにぶち当たっている。調度が跳ねとび、床に落ちた卓上ランプが派手な音をたてて砕けた。
シルヴェストルは長い爪で凌牙の頭や腕を掻きむしっている。一瞬だけ動きが止まった時によく見たら、男の胸に深々と銀色の長い杭が突き刺さっていた。
どちらの身体からのものかもわからない血しぶきが、そこいらじゅうにはね散って、部屋の壁といわずカーテンといわず、真っ赤な痕をつけていく。世界が赤く染まっていく。
あの可愛いふかふかの耳がざっくりと裂けて血に染まっているのを見て、俺は必死にそっちに腕を伸ばし、絶叫した。
「凌牙ああぁっ!」
「大丈夫だ。最初に杭を心臓に貫通させているしね。だいぶ力は削いである。あとは彼らに任せよう」
「でもっ、凌牙が……!」
「大丈夫」
よく見ると、周りにもいっぱい他の人狼らしい者や、吸血鬼らしい者たちの姿があった。吸血鬼らしい者たちは、メイド服やフットマン服の者が多い。要するに、怜二の配下の者たちなんだろう。
みんな、もつれ合っている二体の怪物の隙を見つけては、シルヴェストルの足や腕に飛びついて噛みついたり、爪を立てたり、別の杭を突き刺したりしてくれている。
「ギャアアアアッ!」
背中といわず脇腹といわず、体に杭を突き刺されるたび、シルヴェストルが怪物のような咆哮をあげる。
けど、ほとんどの者がそこには至らず、あっさり振り飛ばされて壁に叩きつけられたり、顔を斜めにざっくりと引き裂かれては悲鳴をあげていた。
シルヴェストルが鋭く身を跳躍させるたび、部屋いっぱいに悲鳴と血しぶきがほとばしる。みんなもう血まみれだ。中には、鋭い爪で裂かれた腹から、中身がはみだしかかってそこをおさえ、呻いている者までいる。
(ひでえ……)
俺は思わず目をそむけた。
ひでえ。ひどすぎる。
部屋がいきなり、血みどろの阿鼻叫喚地獄になっちまってる。
「君は見なくていい」
怜二の手がそっと俺の目の上に当てられた。
「さ、今のうちだ。跳ぶよ、勇太」
「え……」
俺の返事を聞くこともなく、怜二が俺を抱きかかえて《跳躍》をした。
次に目を開けたらもう、俺たちは夜空を飛んでいた。俺はしっかりと怜二の身体にしがみつき、体を丸めている。まだ体の欲望がおさまっていない。下腹の熱はじんじんと、どうしようもない欲求を突き付けてくる。
恥ずかしくてたまらない。でも、たまらず太腿をすり合わせ、体が勝手に震えてしまうのをどうにもできなかった。
「れ、……れい、じ……」
「あいつの唾液の影響だよね。わかってるよ、勇太。つらいだろうけど、少し我慢して。まずは距離をとらないと」
怜二の声はとても優しかった。どこにも俺を責める響きはなかった。
それを聞いてるだけで、なんかもうガキみてえに泣きだしそうになる。
「ごめ、俺……」
「謝らないで。謝らなくちゃならないのは僕のほうだ。こんなにあっさり、君をあいつに奪われるなんて……。まさか、メイドの一人とすり替わっているとは思わなかった。ここまで奴が匂いや気配を消せるとは思ってなくて。僕が甘かったんだ。本当にごめん。君をこんな目に遭わせて」
怜二がキリキリと奥歯を噛みしめている。
俺は怜二の胸元でぶんぶん顔を横に振った。
「けど、ともかく君のおじい様がご無事でよかった。君のお陰だと思う。君がおじい様をお守りしたんだ。頑張ったね、勇太」
「そうだ、じいちゃんは? あの後どうなった……?」
「大丈夫。一応、病院で検査してもらってね。特にどこも問題なし。ひと晩だけ経過観察で入院されたけど、もうご自宅に戻られているよ」
俺は、やっと少し体から力が抜けた。
「よ、よかった……」
「すべて君の頑張りのおかげだよ。君があの時、僕らになにかメッセージでも残していたら、おじい様は今頃この世におられなかったはずだからね。シルヴェストルは、そんな甘い奴じゃないから」
「そう……か。ありがと」
「少し待ってね。安全な場所まで行ったら、楽にしてあげるから」
「え……」
「本当に待たせてごめん。まさか、海外まで逃げるとは思わなくてさ」
「え、海外……?」
俺は驚いて顔を上げた。なんとなく眼下を見るけど、夜の町の明かりが煌々と輝いているのを見てるだけだと、あんまり違いはよくわからなかった。
でも、なんとなくどこかが変だ。
河に架かってる橋の形が、なんか優雅だし。
そして。
「あ、……あれ? あれって、まさか」
「うん。テレビなんかで見たことぐらいはあるよね? エッフェル塔だよ」
「えええっ? う、うそだろ──」
俺は呆然と、見覚えのあるすらりとした美しい塔を見下ろした。東京タワーに似ているけど、絶対違う。そうして少し離れた場所に、やっぱり世界的に有名な凱旋門が見えた。
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