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おまけのおはなし2 ロマン君のおたんじょうび
22 真名(まな)
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「ですが、ロマン殿。これだけは申し上げておきたい」
「はい?」
今度は何を言い出すのか。
思わずロマンは身構えた。
気がつけば、最前から力いっぱい握りしめていた自分の拳を、黒鳶の手が上から柔らかく握ってくれている。
「ユーリ殿下をお救いし、殿下の安全を確認したなら」
その手をついと持ち上げられて、手の甲に口づけられた。
「自分も、即座にあなたを追いまする」
「黒鳶どのっ……!」
かっと耳が熱くなった。
それと同時に、どうしようもなく身内が震えてくるのを覚えた。
「あなた一人でなど、どうして逝かせられましょうや。必ず、お傍に参ります。お約束いたします。少々お待たせはしてしまうが。……そこのところはどうか、お許しいただきたく」
「黒鳶、どの……」
必死でこらえていたものが、またぽろりとロマンの片方の目からすべり落ちた。
本当はそんな場面、見たくもない。
土壇場の、もうどうしようもない状況で。
黒鳶が自分よりもユーリ殿下の命を選んで。
自分は真っ逆さまに崖下へ落ちていく。
殿下が悲痛に叫ぶ声。
黒鳶がすっかり血の気の引いた、それはひどい顔をして自分を見ている。
その顔が、遠ざかる。
……そんな、そんな悲劇。
そんなことは、決してあってはならないのだ。
ロマンは奥歯を噛みしめた。
黒鳶はしばらくじっとそんなロマンの表情を見つめていた。が、目の光をわずかに和らげると、彼の濡れた頬を優しく拭った。そうして、懐から小さな箱を取り出した。
(え──)
ロマンは目を瞠った。
手のひらに乗るほどの大きさの、濃い赤ワインの色をした天鵞絨張りの箱だった。いかにも高級そうな品である。
「こちらを……つけて頂けましょうや」
こちらに中身が見える形でぱかりと開かれた箱の中に、銀色に輝く二本の指輪がきちんと鎮座ましましていた。
(な……!)
ロマンはこちんと固まった。
指輪。間違いない、それはユーリ殿下と玻璃殿下がなさっているような、大切な約束を交わした二人だけが着けられる、特別な指輪だった。
「こ、……これ──」
ロマンの声も視線も震えた。口元を手で覆う。
まさか、先日のあの店で?
あの時、街で物欲しそうにしていたのを見られていたのか?
そう考えかけて、ロマンは「いいや」と心の中で首を振った。これは、もっとずっと前に準備されていたものだろう。あの時の装飾品の店には恐らく、こんな高級な品は多くなかったはずだ。
「誤解なさらないでくださいませ」
思った通り、黒鳶もやんわりとロマンの考えを否定した。そうして、指輪のひとつを取り出してロマンに見やすいように近づけた。
「内側をご覧ください。……こちらを」
「え、これって──」
指輪の内側に、細かい文字が彫りつけられている。滄海の言語ではなく、アルファベットで並んでいるが、アルネリオの言語とも違っていた。黒鳶が簡単に読み上げてくれる。そこにはいまの年と月、そしてふたりの名前が並んでいた。
ひとつはロマン。
そしてもうひとつは──
「あれ? でもこれ……」
その名は初めて目にするものだった。「クロトビ」とはどこにも刻まれていない。怪訝な顔になったロマンに向かって、黒鳶は優しく微笑んだ。
「そちらが自分の実名です。『黒鳶』は飽くまでも滄海の忍びとしてのコード・ネームにございますゆえ」
「あっ。そうか……!」
言われて納得した。そう言えばそんな話を聞いたことがあった。彼ら忍びは、忍びとしてのコード・ネームを使って働く。あの瑠璃殿下のお傍にいる藍鉄だって、きっとコード・ネームのはずなのだ。
仕事上、彼らは身元を知られるわけにはいかない。家族や親族を質に取られて、自分が誰よりも守るべき貴人を裏切るようなことがあってはならないからだ。
「こちらの名前はこれまで、群青陛下と玻璃皇太子殿下、そして波茜しか知らぬものでした。昔の施設にいた者らとは、付き合いが途絶えておりますゆえ──」
実質的に、ロマンは黒鳶の本名を知る四人目の人間になるということだ。
「ただし波茜は、この名を決して口外せぬことを群青陛下と玻璃殿下に誓っておりまする。ですから実質、あなた様が三人目ということになりますな」
「な、なるほど……」
「あなたにもお願いを申し上げねばなりませぬ。この名を決して口外なさいませぬよう。もちろんご家族にさえも。それを、この場でお誓い頂きたいのです」
「も、もちろんです!」
ロマンは叫ぶように言った。
当然だ。どんなことがあっても、仮令ひどい拷問に遭うような事態になったとしても、決して口にしてはならぬ名である。
黒鳶は満足げに頷いた。
「それで、あのう……こちらの読み方は? 『漢字』はどんなものなのですか」
訊ねることに、黒鳶はよどみなく答えてくれた。漢字については宙に指で書いてみせてくれる。それはすでにあの「ニライカナイ」の人である彼の両親が、彼の未来に願いをこめてつけてくれた大切な名前だった。
ロマンは何度か、その名を口の中で繰り返した。
何よりの贈り物だった。
彼が大切な大切な、秘密の本名を教えてくれたのだ。
この、自分に!
(…………)
そっとその名を心の中で唱えてみる。
その名を持つ精悍な男の顔が、また新たに滲んだものでぼやけていく。
ぼやけたままの男の顔から声がした。
「……お手を、こちらへ」
言われるまま手を差し出すと、ゆっくりと、左の薬指に指輪が嵌められた。
ロマンは右手で涙をぬぐうと、同じように彼の指にも指輪を嵌めた。
ふたりは互いに両手を握り合い、身を寄せ合った。
ロマンは少し背伸びをして、黒鳶の耳に口を寄せた。
「愛してる。……」
最後に、彼の本当の名を囁いて。
目を閉じると、すぐに口づけが与えられた。
そのまま唇を重ねあう。
西の空にじわじわと茜色がにじんでいる。
はるか眼下で、人の営みなどそしらぬふりの潮騒の音がする。
ふたつの人影はその日、その岬でいつまでも身を寄せあい、
沈みゆく夕日を見つめていた。
「はい?」
今度は何を言い出すのか。
思わずロマンは身構えた。
気がつけば、最前から力いっぱい握りしめていた自分の拳を、黒鳶の手が上から柔らかく握ってくれている。
「ユーリ殿下をお救いし、殿下の安全を確認したなら」
その手をついと持ち上げられて、手の甲に口づけられた。
「自分も、即座にあなたを追いまする」
「黒鳶どのっ……!」
かっと耳が熱くなった。
それと同時に、どうしようもなく身内が震えてくるのを覚えた。
「あなた一人でなど、どうして逝かせられましょうや。必ず、お傍に参ります。お約束いたします。少々お待たせはしてしまうが。……そこのところはどうか、お許しいただきたく」
「黒鳶、どの……」
必死でこらえていたものが、またぽろりとロマンの片方の目からすべり落ちた。
本当はそんな場面、見たくもない。
土壇場の、もうどうしようもない状況で。
黒鳶が自分よりもユーリ殿下の命を選んで。
自分は真っ逆さまに崖下へ落ちていく。
殿下が悲痛に叫ぶ声。
黒鳶がすっかり血の気の引いた、それはひどい顔をして自分を見ている。
その顔が、遠ざかる。
……そんな、そんな悲劇。
そんなことは、決してあってはならないのだ。
ロマンは奥歯を噛みしめた。
黒鳶はしばらくじっとそんなロマンの表情を見つめていた。が、目の光をわずかに和らげると、彼の濡れた頬を優しく拭った。そうして、懐から小さな箱を取り出した。
(え──)
ロマンは目を瞠った。
手のひらに乗るほどの大きさの、濃い赤ワインの色をした天鵞絨張りの箱だった。いかにも高級そうな品である。
「こちらを……つけて頂けましょうや」
こちらに中身が見える形でぱかりと開かれた箱の中に、銀色に輝く二本の指輪がきちんと鎮座ましましていた。
(な……!)
ロマンはこちんと固まった。
指輪。間違いない、それはユーリ殿下と玻璃殿下がなさっているような、大切な約束を交わした二人だけが着けられる、特別な指輪だった。
「こ、……これ──」
ロマンの声も視線も震えた。口元を手で覆う。
まさか、先日のあの店で?
あの時、街で物欲しそうにしていたのを見られていたのか?
そう考えかけて、ロマンは「いいや」と心の中で首を振った。これは、もっとずっと前に準備されていたものだろう。あの時の装飾品の店には恐らく、こんな高級な品は多くなかったはずだ。
「誤解なさらないでくださいませ」
思った通り、黒鳶もやんわりとロマンの考えを否定した。そうして、指輪のひとつを取り出してロマンに見やすいように近づけた。
「内側をご覧ください。……こちらを」
「え、これって──」
指輪の内側に、細かい文字が彫りつけられている。滄海の言語ではなく、アルファベットで並んでいるが、アルネリオの言語とも違っていた。黒鳶が簡単に読み上げてくれる。そこにはいまの年と月、そしてふたりの名前が並んでいた。
ひとつはロマン。
そしてもうひとつは──
「あれ? でもこれ……」
その名は初めて目にするものだった。「クロトビ」とはどこにも刻まれていない。怪訝な顔になったロマンに向かって、黒鳶は優しく微笑んだ。
「そちらが自分の実名です。『黒鳶』は飽くまでも滄海の忍びとしてのコード・ネームにございますゆえ」
「あっ。そうか……!」
言われて納得した。そう言えばそんな話を聞いたことがあった。彼ら忍びは、忍びとしてのコード・ネームを使って働く。あの瑠璃殿下のお傍にいる藍鉄だって、きっとコード・ネームのはずなのだ。
仕事上、彼らは身元を知られるわけにはいかない。家族や親族を質に取られて、自分が誰よりも守るべき貴人を裏切るようなことがあってはならないからだ。
「こちらの名前はこれまで、群青陛下と玻璃皇太子殿下、そして波茜しか知らぬものでした。昔の施設にいた者らとは、付き合いが途絶えておりますゆえ──」
実質的に、ロマンは黒鳶の本名を知る四人目の人間になるということだ。
「ただし波茜は、この名を決して口外せぬことを群青陛下と玻璃殿下に誓っておりまする。ですから実質、あなた様が三人目ということになりますな」
「な、なるほど……」
「あなたにもお願いを申し上げねばなりませぬ。この名を決して口外なさいませぬよう。もちろんご家族にさえも。それを、この場でお誓い頂きたいのです」
「も、もちろんです!」
ロマンは叫ぶように言った。
当然だ。どんなことがあっても、仮令ひどい拷問に遭うような事態になったとしても、決して口にしてはならぬ名である。
黒鳶は満足げに頷いた。
「それで、あのう……こちらの読み方は? 『漢字』はどんなものなのですか」
訊ねることに、黒鳶はよどみなく答えてくれた。漢字については宙に指で書いてみせてくれる。それはすでにあの「ニライカナイ」の人である彼の両親が、彼の未来に願いをこめてつけてくれた大切な名前だった。
ロマンは何度か、その名を口の中で繰り返した。
何よりの贈り物だった。
彼が大切な大切な、秘密の本名を教えてくれたのだ。
この、自分に!
(…………)
そっとその名を心の中で唱えてみる。
その名を持つ精悍な男の顔が、また新たに滲んだものでぼやけていく。
ぼやけたままの男の顔から声がした。
「……お手を、こちらへ」
言われるまま手を差し出すと、ゆっくりと、左の薬指に指輪が嵌められた。
ロマンは右手で涙をぬぐうと、同じように彼の指にも指輪を嵌めた。
ふたりは互いに両手を握り合い、身を寄せ合った。
ロマンは少し背伸びをして、黒鳶の耳に口を寄せた。
「愛してる。……」
最後に、彼の本当の名を囁いて。
目を閉じると、すぐに口づけが与えられた。
そのまま唇を重ねあう。
西の空にじわじわと茜色がにじんでいる。
はるか眼下で、人の営みなどそしらぬふりの潮騒の音がする。
ふたつの人影はその日、その岬でいつまでも身を寄せあい、
沈みゆく夕日を見つめていた。
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