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小さな恋のものがたり

15 前室にて

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「さあ、ロマン。話してくれるね?」
「えっ……」

 どきんと胸がはねた。

「いえ、殿下。でも、お茶は──」
「そんなのいいから。さ、話して」
「な、なにを……」
「とぼけたって無駄だからね。このところ、君と黒鳶の様子がますますおかしくなってるじゃないか。三人だけでいる時の私の居心地がどんなものだか、少しは想像してくれると嬉しいのだけれど──」
「え、あの……」
「『ハリノムシロ』だよ、『ハリノムシロ』! こちらの国にはそんな言い方があるだろう? 『針のむしろ』……ちょっと難しい漢字だったね。この間、国語のプログラムでも出て来たばかりだよ、確か」
「あ、はい……」
「なんなのかなあ、もう。ぴりぴりしたあの空気……」
「う……」

 殿下の口調に、責める調子はまったくない。むしろロマン以上に心を悩ませてくださっているようなため息まじりの声である。

「も、申し訳ありません……!」

 ロマンは慌てて頭を下げた。
 殿下にこんなことでご心配を掛けるなんて。こんなこと、従僕ごときに許されることではない。
 だが、ユーリ殿下はいつものように、優しく晴れわたった空の色のような青い瞳で微笑まれた。

「そういうのはいいから。ね? 今はどうせ、君と私のふたりきりなのだし」
「ひっ!」

 そっと隣から手を取られて、ロマンはびくっと跳ね上がった。

「ちゃんと話して。何があったの? 特にあの、波茜が来てから様子がおかしくなったようだけど」
「…………」

 ロマンは絶句した。あの女人の名前そのものが、本当に物理的に胸を刺し貫いたかのように痛みを覚えたことにびっくりしたのだ。
 殿下の目が、慎重にロマンの表情を見て取ったようだった。

「やっぱりそう? どうしたの。波茜と黒鳶に、なにかあったのかな?」
「いえ。あの……別に、大したことではなく」
「そう? でも君はそうは思っていなさそうだよね」
「…………」
「さ、話して。絶対にとは言えないけれど、私にだって何か力になってあげられることがきっとあると思うんだ。もちろん、君が望むなら誰にも口外しないし。ね?」
「で、殿下……」

 じっと殿下の瞳に自分のそれを覗き込まれて、とうとうロマンは観念した。
 そして、俯いて肩を落とした格好のまま、ぽつりぽつりと先日の顛末をなるべく丁寧に語ってお聞かせした。
 さすがの殿下も、あの時の黒鳶の様子を聞いたときには驚かれた様子だった。

「え? 笑ってたって……? あの黒鳶が?」
「……はい」
「間違いないの」
「……と、思います」
 ううん、と殿下が顎のあたりに手を当てる。
「ええと。確認だけど、今まで君には見せたことのない顔だったんだね?」
「……は、はい」
「そうか。……うん。それは衝撃を受けるかもしれない。私だって、玻璃殿が私に向けないような目であんな美しくて聡明な女人を見つめて微笑みあっておられたら、きっとざっくり傷つくものなあ」

 うんうん、と困ったお顔で何度かうなずいておられる。
 ロマンはもう、恐縮しすぎてお尻のあたりがぴりぴり痛くなるようだった。ソファに触れている場所が、それこそ針山にでもなったようだ。
 こんなバカみたいなことで悩んで、仕事に支障が出そうになっているなんて。いくらユーリ殿下だって呆れておしまいになるかもしれない。「その気持ちに整理がつくまでは、お役目から外れてくれ」とおっしゃるかもしれないのだ。
 思わず膝の上の両手をぎゅっと握りしめていたら、拳の甲にまたそっと殿下のお手が載せられてきた。

「よくわかったよ。では、少し私に時間をくれないかな」
「えっ……」
 ぱっと顔を上げると、相変わらずお優しい殿下の目がまたじっと自分に注がれているのが分かった。
「黒鳶と波茜がどんな関係なのか、玻璃殿にお訊ねしてみようと思う。それだけ親しいからには、なにか過去につながりがあるのかもしれないからね」
「ええっ? いえ、それは……!」
「いいからいいから。ほかならぬ私の大事なロマンのことだもの。殿下だって、きっと無碍むげにはなさらないよ。もちろんロマンの気持ちについてはお話ししない。単純に、黒鳶と波茜のことをお訊ねするようにするから。……それならいいだろう?」
「で、殿下……どうして」

 ひくひく震えてくる唇を、自分でもどうすることもできなかった。
 どうしてこの方は、こんなにもお優しいのだろう。故国に居た頃はお二人の兄君たちとなんやかやと比べられ、臣下にまで密かに侮られていらしたのに。
 お父君には愛されておられたのが救いだったとは思うけれど、それでもああいう風にお育ちになってきた方ならば、もっともっと歪んだり、ひねくれたり、意地の悪い人になっていたりしてもおかしくはなかっただろうに。

「さあ、さあ。泣かないで。……おいで、ロマン」
 殿下はすっとロマンの肩を抱きよせると、柔らかく抱きしめて頭をぽすぽすと叩いてくださった。
「殿下ぁ……」

 自分みたいな者が殿下のお召し物を汚したりしてはならないのに、零れるものが止められなかった。殿下の腕におすがりし、ロマンはしばらく声を殺して嗚咽した。

「でも、……でも、いやなのです」
「ん?」
「こんな、の……胸のなか、真っ黒で、ぐちゃぐちゃで──」
 ロマンは殿下の胸で喘ぐようにして訴えた。
「こん、なの……っ、黒鳶どのに……嫌われるに、決まってるっ……」

 ひいいっと声が甲高くなりそうになって、必死に飲み込んだぶん、目元から滴るものが増えてしまう。

「ああ、うん。わかるよ、ロマン。でもね──」

 殿下がそう言いかけられた時だった。
 外から控えめに声が掛かった。

「配殿下。皇太子殿下のお渡りにございます」

 ロマンは慌てて涙をぬぐい、さっと立ち上がると、部屋の隅に座ってこうべを垂れた。
 ほとんど同時に入り口扉が開かれて、凛々しい巨躯をしたこの国の皇太子殿下が入って来られた。
 皇太子、玻璃殿下だった。

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