星のオーファン

るなかふぇ

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第八章 愛別離苦

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 アルファは目を見開いた。その仕草には覚えがあった。
 彼が「彼女」を呼ぶ、その仕草には。

(……イヤだ)

 とくとくと胸の鼓動が早くなってくる。
 その先は、聞きたくない。

 ベータは微笑みを消さないままに、夏の青空をふいと見上げた。それはその青嵐の果ての、さらに遠くを見る目だった。
「俺には、俺の場所がある。長いことほったらかしにしていたあっちこっちの店のことも気がかりだ。そろそろ失礼させていただく」
「な──」
「貴様、何を言っている」

 遂に、たまりかねたようにしてミミスリが立ち上がった。ザンギとマサトビもそれに続く。

「勝手が過ぎよう。殿下のお許しもなしに──」
「ベ、ベータ殿っ。さ、左様な……」
「聞こえなかったのか? 言ったろう。『俺との契約はここまでだ』とな」
「左様な詭弁が通ると思うか! 貴様、殿下のお気持ちを──」

 噛みつくように叫びかかったミミスリの声を、低いベータの声が打ち消した。

「報酬はいずれ、国庫が少し潤ったあたりで回収に来る。だからせいぜい、頑張って金を貯めろよ。踏み倒すのだけは許さんからな」
 言い捨てて、もう踵を返している。
「待っ……」

 そう言いかけた時だった。
 きゅうん、と頭上で静かな振動音がした。
 あの音は知っている。
 彼の愛機、<ミーナ>が来たのに違いなかった。

「う……?」

 思わず彼に駆け寄ろうとしたが、あまりうまく行かなかった。手にも足にも、まるで力が入らない。自分の体とは思えないほどに、本当に言うことを聞かないのだ。アルファは思わずその場に膝をついた。
 周囲を見れば、どうやらザンギやミミスリも同様らしい。何となく体が痺れたようになり、それぞれ地面に片手をついている。

「き、貴様っ……! 何をした……!」
 ベータが楽しげにくはは、と笑った。
「忘れたか? 機内で皆様に、俺コーヒーを差し上げた。一応、そっちのプロとしてはそんなものをお出しするのは不本意ではあったんだがな。心配するな、すぐに治る。後遺症もないはずだ」
「ベータ……!」
 アルファはそれでもどうにか彼の方へと必死に手をのばした。
「いや……だ。ベ──」

 いやだ。
 こんな。
 こんな形で、お前と別れてしまうなんて。

 ベータは相変わらず体を向こうに向けたまま、横顔だけをちらりと見せた。

「……元気でな。皇子サマ」

 途端、ベータの左腕が変形した。
 しゅるっと鋼の縄のように伸びたそれが、ぐんぐん空へ向かっていく。そこにはすでに、見慣れた彼の愛機<ミーナ>がやってきて空中にとどまっていた。
 と見る間に、ベータが一散に走り出した。
 もう、一顧だにされなかった。

「ベータ……!」

 そういう間にも彼の体はあっと言う間に上方へと跳ね上がり、<ミーナ>の機体に吸い込まれていった。
 周囲のミミスリやザンギたちも、ただ驚いて悔しげに空を見上げる様子だ。ベータの「特製コーヒー」を頂かなかった唯一の人物、マサトビはと言えば、ただおろおろしてアルファの体を支え、同じく空を見上げるばかりだ。

「なんっ……! あいつッ!」
「なんのつもりだ……!」

 ミミスリとザンギの声も虚しい。
 アルファ自身、動かぬ自分の体がひどく歯がゆかった。

(いやだ……!)

 ダメだ。
 そんな……そんなことが。

 ミミスリとザンギが痺れた体をおしてこちらへ這い寄るようにしてきた。二人とも何もできない申し訳なさをその瞳に浮かべ、奥歯を噛みしめているようだ。

(ベータ……!)

 もう遅かった。
 彼の愛機<ミーナ>はとっくに上空へと舞い上がり、宇宙を目指して加速を掛けたところだった。そのまま、真っ青な夏の空の中に吸い込まれてどんどん小さくなっていく。

(そんな……。そんなっ……!)

 やがて<ミーナ>は小さな米つぶほどになり、一瞬だけ日の光にその銀翼をきらめかせて、白く湧きあがる悠々とした雲の狭間に隠れてしまった。

「ベータ……ベ──」

 わなわなと声が震え、アルファはあとは言葉もなく、機影の消えた空の彼方を見つめ続けていた。

「……なんなのでしょうな、あやつ」
 ザンギとは反対側に座ったミミスリが独り言のように言った。
「殿下が臥せっておいでの間はあれほど──」
 言いかけてアルファの表情に気づき、ミミスリはふと言葉を途切れさせ、耳をしおたれさせた。

(もしや──)

 そこで襲ってきたのは、恐ろしい考えだった。

(まさか……。まさか、私があの時──)

 自分が、調子に乗ってあんなことを言ってしまったのがいけなかったのか。
 あれが自分の命の終わりだと思えばこそ、言ってしまったあの言葉。
 いくらあのどさくさだったからとは言っても、隠し続けてきた気持ちをただ彼に強引に押し付けてしまったから……?

「そうだ……。きっと──」

 自分は何だ?
 彼と彼の母親を地獄に叩き落した一族の、その一人ではないか。一切預かり知らなかったことだとは言え、間違いなく責任の一端はあるくせに。
 どんなきれいごとを並べたところで、それはたがえようのない事実なのに。
 そんな自分に告白などされて、彼が喜ぶはずなどないではないか。
 むしろただ、心底からの嫌悪を覚えたって無理もないのに。
 間違いなく、「殺してやりたい」と思われていたはずのこの自分が。
 ましてやあの蜥蜴の男に散々に弄ばれて、すっかり汚れ切ってしまったこんな身で。

(わたし、なんかが……!)

「で、殿下……?」

 アルファが真っ青になり、かたかたと震えだしたのを見て、ミミスリとザンギがさらに近くに寄って来た。
「ミ……ミ、スリ……」
 アルファはミミスリの胸元を思わず握り、そこに顔をうずめた。
「わ……わたしが──」
 わななく声はもう、どうしようもなかった。

「私が、いけなかったんだ。私が……わたしが……!」
「殿下……? 一体──」

 まごまごしながら背中を軽く抱かれた時には、アルファの喉からはもう子供のような嗚咽が飛び出していた。

「め……いわく、だったんだ……! わ、わたしが……わたしが、あんなことを言ったからああっ……!」

 ミミスリは胸元で幼子のように泣きじゃくっているアルファの背中におずおずと手を回した。そのまま困り果てたような顔で耳をたれ、ぽすぽすとアルファの背中を叩いている。側に座り込んだマサトビはと言えば、しゅんと項垂れてひたすらに涙をぬぐうばかりだ。

「何を仰います」ザンギが押し殺したような太い声で言った。「左様なこと、あるはずがございませぬ」
「殿下はご存知でいらっしゃいませぬ。殿下がお目を覚まされなかった間、あの男がどんな様子であったのか」
 耳元でミミスリも言う。
「奴は決して、殿下のお言葉を迷惑などと思ったはずがありませぬ」
「と言うか、そんなことを抜かすならこの自分が許しませぬ」
「それは我ら二人が保証いたしまするぞ」

 しかし、二人からなんと言われてもダメだった。
 アルファはミミスリの軍服に取りすがり、ただもう周囲の目も憚らず、ひたすらわあわあ泣き続けた。

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