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第七章 兄二人
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しおりを挟む座敷牢を出て少し歩き、庭に面した縁まで出てから、やっとアルファは息をついた。それはほとんど嘆息だった。長兄と顔を突き合わせての話し合いは、思った以上に精神力を消耗したのだ。
しかしこれで終わりではない。次はどうしても、あのツグアキラ兄に会わねばならなかった。
「殿下。本日のところはここまでになされては」
背後から控えめに進言するのはミミスリである。ザンギもすぐに続いた。
「左様ですな。殿下はまだ床上げなさったばかりのお体。ご無理は禁物にございましょう」
「……いや、駄目だ」
アルファは目を上げると振り向いて、忠実な二人の臣下に微笑んで見せた。
「二人とも、そんなに私を甘やかさないでくれ。いずれにしてもツグアキラ兄上にも直にお会いせねばならないんだ」
「いえ、しかし──」
言ってミミスリが何故かちらりとベータのほうを見やった。ザンギを見れば、彼も何やら意味ありげな目でベータを見下ろしているようだ。
(なんだ……?)
一体、何があると言うのだろう。
確かにここまで、意識不明だったアルファの代わりにこの男たちが罪人たちの訊問をしてくれていたわけなのだが。その中で、どうやらアルファには聞かせにくい様々な問題が生じていたということなのか。
「どうしたんだい、二人とも」
「あ、いえ……」
ミミスリが素直な反応で口ごもる。赤褐色の目がまたちらりと隣のベータを見やったが、当の本人は惚けた顔で庭を見やり、曲水の池など眺める風情なだけだった。因みに男はあれ以来、無精髭もきちんとあたって、いつものこざっぱりしたいで立ちに戻っている。
アルファは少し不審には思いながらも言葉を続けた。
「ともかくも。私は予定外のことで、あまりにも皆の時間を無駄にしすぎてしまった。裁きを下さねばならない大臣たちもまだまだ残っているのだろう? 私自身、彼らに直接会わぬまま裁きを下すわけにはいかないと思っているし。これ以上、ことを引き延ばすわけにはいかないよ」
そこまで言われてしまえば、二人は黙るしかないようだった。対するベータはと言えば、先ほどと同様、こちらの話など聞こえなかったかのような顔であらぬ方を眺めやっているだけだ。
「……参ろう。さあ、案内してくれ」
「は……」
◆◆◆
ツグアキラが捕えられている場所は、長兄ナガアキラのいた座敷牢と似たような部屋だった。しかしこちらはより狭く、かなり日当たりの悪い場所になっている。周囲には長兄のところと同様に、衛士たちが数名立っている。
ナガアキラとは座敷牢内で対面したアルファだったが、ツグアキラに対してはミミスリやザンギの強硬な反対もあって、やむなく鉄格子ごしでの面会となった。
ツグアキラは薄鼠の直衣姿で、向こうを向いて敷物に横たわっていた。片手でしっかりと頭を支えているので、眠っているわけではないらしい。だと言うのに、格子のこちらで皆が座ったあとになってもしばらくは、次兄はこちらを見ようともしなかった。
「無礼だぞ。殿下のわざわざのお越しだ。礼をもってお迎えせんか」
遂にしびれを切らしてミミスリが唸ると、男はのろのろとこちらを見やり、やがてひどく大儀そうに座り直した。
黒髪は少し乱れ、頬もこけてはいるものの血色は悪くない。その目の光は相変わらず危ないもので、視線だけでもひりひりとアルファの頬の皮を焼くかのようだった。
「ふん。どうせ殺されるだけの罪人が、いまさら誰に礼を尽くすか。気に入らぬなら、今ここで八つ裂きにでもなんでもすればよかろう」
ぎすぎすした声音のどこにも、反省だの親愛だのは匂いもしない。ツグアキラは憎悪のこもった赤い目をして、気味の悪いほどにじっとアルファの顔を凝視してきた。
「ああ、まことに惜しいことをした。あと一歩、拳ひとつぶんだけでも深く、貴様に槍を突き込んでおればな……」
「…………」
アルファはただ呆然と、言葉をなくして兄の顔を見た。
長兄と話をしたときにも思ったけれど、一体この兄はどうしてこうまで自分を憎んでおられるのだろう。ともに育ったとは言えないまでも、それでも自分たちは同じ父母から生まれた兄弟ではないか。それがどうしてこんな風に憎悪にまみれていがみあい、争い合わねばならなくなってしまったのか。
膝の上で一度、ぐっと拳をにぎりしめてから、アルファは静かに兄に訊ねた。
「……ツグアキラ兄上。なぜですか」
兄は何も答えない。
「なぜ、左様なまでにわたくしをお厭いでおられるのでしょう。わたくしは兄上に、何かしてしまったのでしょうか」
兄はその表情もぴくりとも動かさなかった。能面のようにすら見える青白い顔が、仄暗い座敷牢でぼんやりと浮かんで見えた。
「もしもそうなのだとしたら、謝ります。床の中で、ずっとそう考えておりました。もしも私が幼いあまり、愚かなあまりに迂闊にも兄上のお心を傷つけてしまったことがあるのなら……それは、きちんと謝罪せねばならないと」
「はっ!」
突然、狂人の発するような甲高い声がした。兄の笑声だった。
「は、はは……! 謝る? 謝罪するだと……? 何をいまさら。しゃらくさい……!」
白目の部分を赤く染めた兄の目がかっと見開かれている。どろりと濁ったその瞳の奥には、ぐらぐらと隠しようもない憎悪の炎が燃えていた。
「その、『自分は何も知りませぬ、分かりませぬ』という、清げ面がいらつくのよ! 貴様らも貴様らだ。そいつを私の前につれて来るなとあれほど言ったではないか。俺はそいつの、そのお綺麗な顔が憎うて憎うてたまらんのだからな……!」
兄の狂ったような絶叫が、座敷牢にこだました。
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