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第五章 月下哀艶
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しおりを挟む「そうしてその二の君が、おそらくはベータ殿……いえ、ムラクモ殿の、まことのお母上であられるのに違いございません……!」
(ああ。やはり……!)
アルファは一瞬、眼前が暗くなるのを感じた。
「もう、十数年も前の話にござります。内々のうちにとある貴族のもとに下げ渡された<燕の巣>の女人が子を孕み、その廉で死に処せられたとの噂がひそやかに宮中に流布しておりました。その上、生まれたその子はどこぞへ売られ、その先で人を殺して逃げた……とか、なんとか──」
その一瞬、ベータが何とも言えない暗い目をした。
(ベータ──)
そうか。そうだったのだ。
はるか昔の思い出の中にいる母は、いつも悲しげに池の面を見つめていた。そして確か、意図せずに覗いてしまったベータの記憶のなかのあの女人も、囲われたその屋敷の池の前でそんな風に佇んでいなかったか。
思えば、兄ナガアキラの妻となった皇太子妃ヒナゲシもよく似た様子だったような気がする。あれはもしかすると、同様にして別れてしまった<燕の巣>の誰かを思っていたのではないのだろうか……。
アルファが自分の考えにとらわれているうちにも、マサトビの話は続いている。
「ただ一点、奇妙なことがござりまする。本来<燕の巣>出身の女人が貴族に売り渡されることは多くはなかったと聞いておりますが、たとえその場合でも、その女人が子をもうけることだけは厳に禁じられていたはずなのでござります……」
「えっ? それは……」
目を上げると、マサトビの困ったような瞳と目が合った。
「わたくしも、今は亡き当時の<恩寵博士>から小耳にはさんだ程度でございますれば、詳しいことは分かりませぬが……」
マサトビの話を要約すれば、こうである。
たとえどんな大枚をはたいて女人を我が物にしたとしても、それがどんな高貴な身分の男であったとしても、その女人に子を産ませてはならない。それが彼女を下げ渡される際の決まりごとだった。
つまり、臣下らの手によって皇家の血を引くとみなされかねない子を勝手にこの世に生み出してはならないのだ。それはすなわち、その子を使って政権をひっくり返さんとする企みを事前に阻止するためなのだろう。
ちなみに<恩寵>もちのエージェントの子供たちは、ある一定以上の身分をもってはならぬという決まりがあって、例外はいっさい許されない。
「したがって、その女人、あるいは貴族の男のどちらか、あるいは双方に、子を成せないようにするための医療上の処置が施されるという約定があるはずなのでござります。だというのに、現実、ベータ殿はこうしてお生まれになっている。そこがどうにも、わたくしには不思議でならぬのではありますが……」
(なるほど……そうか)
確かベータの過去を垣間見てしまったあの時も、そのようなことを見聞きしたように思う。勝手に子を産んだムラクモの母親のことを「飼い主」たる貴族の男はひどく詰って、まるで彼女が不義を働いたかのように言い、罰を加えたのではなかったか。女性は子を、つまりベータを産んだことにより、それを自らの命をもって償わされてしまったのだ。
(いや、しかし……だとすれば)
そう言うからには、子を成せない身体だったのは男の方ということになろう。
となれば、ベータの父は一体だれだというのだろう……?
と、いきなりがたんと音がしてアルファはハッと我に返った。
見ればベータが椅子から立ち上がっていた。
その時になって初めてアルファは気づいた。自分が隣にいた彼の膝の上にあった手を強く握りしめていたことに。
(うわ……!)
慌ててぱっと手を離す。幸いテーブルの下になっていたので、マサトビからは見えていないはずだった。
(わ、私は……何を)
かっと体がまた熱くなる。
知らず知らずのうちに彼の手を握っていたなんて。
自分は何を考えているのだろう。
が、ベータはそのことにはまったく頓着する様子もなく、黙って踵を返すと風のように部屋の外に出て行ってしまった。
扉の外ではミミスリとザンギが待ち構えていたのだったが、ベータは彼らのことなど一顧だにせず、そのまま大股に建物の外へと出て行くようだ。ミミスリとザンギが変な顔をしてその背を見送り、次いでどうすべきかを問うようにこちらを見やった。
その時にはもう、アルファも立ち上がっていた。
急いで彼の後を追う。が、ミミスリとザンギが無言のままついて来ようとするのに気づいて、すぐ立ち止まった。
「……すまない。頼むから二人にさせてくれ」
「いや……しかし」
「殿下──」
予想通りの反応に、アルファはぱっと頭を下げた。
「お願いだ。お願いだ……! この通りだよ」
「いえ、殿下。そのような……!」
「頼むから、ついてこないでくれ。決して決して、君たちを困らせるようなことにはしないから……!」
「殿下──」
絶句した二人をそのままに、アルファはすぐに身を翻し、彼のあとを追いかけて走りだした。
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